不幸令嬢、今度は継母として新しい幸せを手に入れます!
「え、えっと。そんなに叩いたら可哀想じゃない?」
しばらく猫と少年の様子を見ていた私だったのだが、あまりにも一方的に猫が叩かれていたので我慢できずについ口を挟んでしまった。ぴたりと動きを止めた少年は、その青く澄んだ瞳で私を見据えてきた。
「だって猫が生意気言うから」
『生意気なのはそっちだろ! ボクは聖獣だって言ってるだろうが。そんな乱暴に扱うんじゃない!』
「うるさい、猫!」
『だから猫じゃないってば』
放っておくと、延々と猫なのか否かをめぐって口論が続きそうである。やんわり笑みを浮かべた私は、さりげなくふたりの間に割って入ると今にも少年に飛びかかろうとしていた猫を抱き上げた。そんなことをされたら、また大喧嘩に発展してしまう。さりげなく猫と少年を引き離す。
「ほら。喧嘩はやめよう?」
ね? と少年に微笑みかけると、彼はむすっとした顔で黙り込む。すごく不満を露わにした態度なのだが、争いがやんだのでこれで良しとしよう。
「それで、君は? 私はメアリー。この屋敷に住んでいるのだけど。というか、君どこから入ってきたの?」
高い塀に囲まれた子爵家である。いくら子供とはいえ、そう簡単に侵入できるような場所ではないはずだ。首を傾げる私に、少年は「ん」と塀の一角を指さした。
「……まさか塀を登ってきたの?」
あり得ないと思いつつも、子供とは時に驚くような行動をしてみせると聞く。目を丸くする私だったが、少年はすぐに「違う」と呆れたような顔で言った。
「あっちにね、穴が開いてるんだよ」
「え、穴?」
「そう。塀にね。これくらいの穴があるの」
言いながら顔の前で大きな丸を作ってみせた少年だったが、私はそれどころではない。
え、塀に穴が開いてんの!? それって警備上、大丈夫なのか?
いや大丈夫なわけがない。自宅の警備に文字通り穴があると知らされて、私は青ざめる。急いで塞がなければならないと思い場所を尋ねてみると、少年が「ロイだよ」と唐突に己の顔を指し示した。
「え?」
「俺、ロイっていうの。七歳」
どうやら自己紹介をしてくれたらしい。にこりと笑って「よろしくね。ロイくん」と片手を差し出した。すぐに握手をしてくれたロイは、私が抱き上げていた猫を指さす。
「それは俺の猫。名前はミミちゃん」
「ミミちゃん」
なんかすごく可愛い名前である。ガラの悪い猫なのに。
『誰がおまえの猫だ! あとミミちゃんって呼ぶのやめろ!』
あ、ミミちゃん呼びには納得してないのね。ジタバタ暴れはじめたミミは、するりと私の腕から抜け出してしまった。
『この野郎! ガキが調子にのるんじゃない』
「うるさいぞ、猫」
『誰が猫だ!』
シャー! と尻尾を立てて威嚇するミミであるが、対するロイは腕を組んでふんぞり返っている。そのミミなんて敵でもないと言わんばかりの態度に、ミミがますます毛を逆立てている。
しばらくオロオロと眺めていた私なのだが、いつまでもこうしているわけにもいかない。
それにどうやらロイは、塀にあいた穴を通って子爵家に侵入してきたらしい。おそらく猫のミミを追ってここまで入り込んでしまったのだろう。ロイのご両親も心配しているだろうと思い、「ロイくん。おうちはどこ?」とできるだけ優しく問いかけてみた。
ジョセフとの間に子供ができなかった私である。おまけにひとりっ子だったので、小さい子と接する機会はあまりなかった。自分が子供好きなのか否かも判断できないくらいには、私はこれまでの人生子供とは無縁であった。
「お父さんとお母さん、ロイくんがいなくなって心配しているんじゃない?」
「お母様、いないから大丈夫」
「えっ」
いないってなに。思わぬ返答にたじろいだ私は、もしかしてデリケートな部分に首を突っ込んでしまったのだろうかと焦ってしまう。
「え、あ、ごめんね」
「うん。いいよ」
あっさり笑って許してくれるロイは、私のことを見上げてきた。
「メアリーは何歳?」
「私? 二十六よ」
「俺のお父様は二十八だよ」
「あら、そうなの?」
私と歳が近い。二十八でもう七歳の子供がいるのか。いや、でも十代で結婚する人も多いわけだし、そう考えると珍しいことでもない。私だって、ジョセフと一度は結婚したわけだし。
突然己の不甲斐なさを突き付けられたような気分になって、頬が引きつってしまう。けれどもロイに悪気があるわけではないと理解している。単に父親と私の歳が近かったので教えてくれただけなのだろう。それにしても、父親だけで母親の年齢を教えてくれないことが気になってしまう。先程の「お母様はいない」発言も合わさって私の中にひとつの可能性が思い浮かんだ。
いや、ひと様の家庭事情を詮索している場合ではない。今はロイを家まで送り届けてあげないと。
「ロイくん。私がお家まで送ってあげるね」
「いいの?」
「うん。どうせ私も暇だし」
離婚したばかりで、実家の居心地がすこぶる悪いのだ。少しでも気分転換になればと、私はロイに微笑みかけた。
にこにこと笑顔を浮かべるロイは、「帰るぞ、猫!」と言い捨ててから塀に向かって歩き出す。その後を追いかけるミミ。
「ロイくん。門はあっちよ」
もしや塀にあるという穴から出るつもりなのか。たしかに穴の位置も把握しておきたいが、小柄なロイはともかく私は普通に門から出入りしないと厳しいかもしれない。
けれどもロイは止まることなくずんずん歩いて行く。仕方がないので、私も追いかけた。
「ロイくん? 普通に門から出ようか。私じゃあ、ちょっと通れないかもしれないから」
「大丈夫だよ」
一度振り返ったロイは、にこやかに言うなり塀の一部を指さした。
「あ。本当に穴が」
ぽっかりと開いている。背の高い草に覆われて、ぱっと見ではわからない。ガサガサと草をかき分けたロイの脇をすり抜けて、ミミが素早く外に出てしまった。その後にロイも続く。
「メアリーもおいでよ」
「え」
当然のように手招きされて、私はしばし立ち尽くした。ロイであれば簡単に通れたようだが、私はどうだろうか。穴と自身の体を見比べてみる。通れないこともなさそうだが、厳しいことには変わりがない。けれども一足先に外に出たロイが「メアリー、はやく!」と急かしてくる。
え、これは行くしかないのか?
迂回して門から出ようと思うものの、かなり遠回りになる。ロイは「はやく!」と言い捨てたきり背中を向けて駆け出してしまった。
「あ、ロイくん。待って!」
このままでは見失ってしまう。決意を固めた私は、草をかき分けた。どうせもう服は汚れていた。今更気にしても、無意味だろう。思っていたよりも大きな穴で、両手を地面につけて這うようにして通り抜けた。
「い、意外といけた」
頑張ればどうにかなるものね、と呟いてから急いで立ち上がる。ロイとミミは随分と先を行っている。手に付いた土を払い落としながら、駆け足で追いかけた。
「ちょっと、ロイくん。どこまで行くの?」
「あっちだよ! メアリー、急いで!」
「な、なんで急ぐ必要が……」
一体なにを急いでいるのか。しきりに「はやく!」と手招きしてくるロイの横を、ミミも全速力で駆けている。
「ちょ、ちょっと待って……」
どうしてこんなに走らなければならないのか。息も上がり、服も汚れ、もう散々だ。
どこを歩いているのかもわからないままに、とにかくロイを追いかけ続けた。どれくらい経っただろうか。額に滲んできた汗を拭ったあたりで、ようやくロイに追いつくことができた。
「ちょ、ロイくん。一旦休憩しよう」
肩で息をする私に、呼吸ひとつ乱れていないロイが「なんで?」と不思議そうな目を向けてきた。まさかこんなところで日頃の運動不足を実感する羽目になるとは。
「休憩するの? でももう俺の家、そこだよ」
ん、とロイの指さす方向を確かめて、私は目を丸くした。
そこには、私の実家であるロバーツ子爵家とは比べ物にならないほどの大豪邸が鎮座していた。
しばらく猫と少年の様子を見ていた私だったのだが、あまりにも一方的に猫が叩かれていたので我慢できずについ口を挟んでしまった。ぴたりと動きを止めた少年は、その青く澄んだ瞳で私を見据えてきた。
「だって猫が生意気言うから」
『生意気なのはそっちだろ! ボクは聖獣だって言ってるだろうが。そんな乱暴に扱うんじゃない!』
「うるさい、猫!」
『だから猫じゃないってば』
放っておくと、延々と猫なのか否かをめぐって口論が続きそうである。やんわり笑みを浮かべた私は、さりげなくふたりの間に割って入ると今にも少年に飛びかかろうとしていた猫を抱き上げた。そんなことをされたら、また大喧嘩に発展してしまう。さりげなく猫と少年を引き離す。
「ほら。喧嘩はやめよう?」
ね? と少年に微笑みかけると、彼はむすっとした顔で黙り込む。すごく不満を露わにした態度なのだが、争いがやんだのでこれで良しとしよう。
「それで、君は? 私はメアリー。この屋敷に住んでいるのだけど。というか、君どこから入ってきたの?」
高い塀に囲まれた子爵家である。いくら子供とはいえ、そう簡単に侵入できるような場所ではないはずだ。首を傾げる私に、少年は「ん」と塀の一角を指さした。
「……まさか塀を登ってきたの?」
あり得ないと思いつつも、子供とは時に驚くような行動をしてみせると聞く。目を丸くする私だったが、少年はすぐに「違う」と呆れたような顔で言った。
「あっちにね、穴が開いてるんだよ」
「え、穴?」
「そう。塀にね。これくらいの穴があるの」
言いながら顔の前で大きな丸を作ってみせた少年だったが、私はそれどころではない。
え、塀に穴が開いてんの!? それって警備上、大丈夫なのか?
いや大丈夫なわけがない。自宅の警備に文字通り穴があると知らされて、私は青ざめる。急いで塞がなければならないと思い場所を尋ねてみると、少年が「ロイだよ」と唐突に己の顔を指し示した。
「え?」
「俺、ロイっていうの。七歳」
どうやら自己紹介をしてくれたらしい。にこりと笑って「よろしくね。ロイくん」と片手を差し出した。すぐに握手をしてくれたロイは、私が抱き上げていた猫を指さす。
「それは俺の猫。名前はミミちゃん」
「ミミちゃん」
なんかすごく可愛い名前である。ガラの悪い猫なのに。
『誰がおまえの猫だ! あとミミちゃんって呼ぶのやめろ!』
あ、ミミちゃん呼びには納得してないのね。ジタバタ暴れはじめたミミは、するりと私の腕から抜け出してしまった。
『この野郎! ガキが調子にのるんじゃない』
「うるさいぞ、猫」
『誰が猫だ!』
シャー! と尻尾を立てて威嚇するミミであるが、対するロイは腕を組んでふんぞり返っている。そのミミなんて敵でもないと言わんばかりの態度に、ミミがますます毛を逆立てている。
しばらくオロオロと眺めていた私なのだが、いつまでもこうしているわけにもいかない。
それにどうやらロイは、塀にあいた穴を通って子爵家に侵入してきたらしい。おそらく猫のミミを追ってここまで入り込んでしまったのだろう。ロイのご両親も心配しているだろうと思い、「ロイくん。おうちはどこ?」とできるだけ優しく問いかけてみた。
ジョセフとの間に子供ができなかった私である。おまけにひとりっ子だったので、小さい子と接する機会はあまりなかった。自分が子供好きなのか否かも判断できないくらいには、私はこれまでの人生子供とは無縁であった。
「お父さんとお母さん、ロイくんがいなくなって心配しているんじゃない?」
「お母様、いないから大丈夫」
「えっ」
いないってなに。思わぬ返答にたじろいだ私は、もしかしてデリケートな部分に首を突っ込んでしまったのだろうかと焦ってしまう。
「え、あ、ごめんね」
「うん。いいよ」
あっさり笑って許してくれるロイは、私のことを見上げてきた。
「メアリーは何歳?」
「私? 二十六よ」
「俺のお父様は二十八だよ」
「あら、そうなの?」
私と歳が近い。二十八でもう七歳の子供がいるのか。いや、でも十代で結婚する人も多いわけだし、そう考えると珍しいことでもない。私だって、ジョセフと一度は結婚したわけだし。
突然己の不甲斐なさを突き付けられたような気分になって、頬が引きつってしまう。けれどもロイに悪気があるわけではないと理解している。単に父親と私の歳が近かったので教えてくれただけなのだろう。それにしても、父親だけで母親の年齢を教えてくれないことが気になってしまう。先程の「お母様はいない」発言も合わさって私の中にひとつの可能性が思い浮かんだ。
いや、ひと様の家庭事情を詮索している場合ではない。今はロイを家まで送り届けてあげないと。
「ロイくん。私がお家まで送ってあげるね」
「いいの?」
「うん。どうせ私も暇だし」
離婚したばかりで、実家の居心地がすこぶる悪いのだ。少しでも気分転換になればと、私はロイに微笑みかけた。
にこにこと笑顔を浮かべるロイは、「帰るぞ、猫!」と言い捨ててから塀に向かって歩き出す。その後を追いかけるミミ。
「ロイくん。門はあっちよ」
もしや塀にあるという穴から出るつもりなのか。たしかに穴の位置も把握しておきたいが、小柄なロイはともかく私は普通に門から出入りしないと厳しいかもしれない。
けれどもロイは止まることなくずんずん歩いて行く。仕方がないので、私も追いかけた。
「ロイくん? 普通に門から出ようか。私じゃあ、ちょっと通れないかもしれないから」
「大丈夫だよ」
一度振り返ったロイは、にこやかに言うなり塀の一部を指さした。
「あ。本当に穴が」
ぽっかりと開いている。背の高い草に覆われて、ぱっと見ではわからない。ガサガサと草をかき分けたロイの脇をすり抜けて、ミミが素早く外に出てしまった。その後にロイも続く。
「メアリーもおいでよ」
「え」
当然のように手招きされて、私はしばし立ち尽くした。ロイであれば簡単に通れたようだが、私はどうだろうか。穴と自身の体を見比べてみる。通れないこともなさそうだが、厳しいことには変わりがない。けれども一足先に外に出たロイが「メアリー、はやく!」と急かしてくる。
え、これは行くしかないのか?
迂回して門から出ようと思うものの、かなり遠回りになる。ロイは「はやく!」と言い捨てたきり背中を向けて駆け出してしまった。
「あ、ロイくん。待って!」
このままでは見失ってしまう。決意を固めた私は、草をかき分けた。どうせもう服は汚れていた。今更気にしても、無意味だろう。思っていたよりも大きな穴で、両手を地面につけて這うようにして通り抜けた。
「い、意外といけた」
頑張ればどうにかなるものね、と呟いてから急いで立ち上がる。ロイとミミは随分と先を行っている。手に付いた土を払い落としながら、駆け足で追いかけた。
「ちょっと、ロイくん。どこまで行くの?」
「あっちだよ! メアリー、急いで!」
「な、なんで急ぐ必要が……」
一体なにを急いでいるのか。しきりに「はやく!」と手招きしてくるロイの横を、ミミも全速力で駆けている。
「ちょ、ちょっと待って……」
どうしてこんなに走らなければならないのか。息も上がり、服も汚れ、もう散々だ。
どこを歩いているのかもわからないままに、とにかくロイを追いかけ続けた。どれくらい経っただろうか。額に滲んできた汗を拭ったあたりで、ようやくロイに追いつくことができた。
「ちょ、ロイくん。一旦休憩しよう」
肩で息をする私に、呼吸ひとつ乱れていないロイが「なんで?」と不思議そうな目を向けてきた。まさかこんなところで日頃の運動不足を実感する羽目になるとは。
「休憩するの? でももう俺の家、そこだよ」
ん、とロイの指さす方向を確かめて、私は目を丸くした。
そこには、私の実家であるロバーツ子爵家とは比べ物にならないほどの大豪邸が鎮座していた。