不幸令嬢、今度は継母として新しい幸せを手に入れます!
「え、ここがロイくんの家?」

 ぼんやり呟いた私に、ロイが「そうだよ」とあっさり答えた。

 眼前にあるのは、かなり大きなお屋敷である。私の実家はもとより、先日離婚したジョセフの伯爵家よりも大きいと思われる。
 街の外れに立つ大きなお屋敷と聞いて、私の中にひとつの可能性が浮かんだ。たしか、街の外れにブライアン公爵家の別邸があったはず。

 ここから離れたところに広い領地を持つブライアン公爵家であるが、王宮に近いこの街に別邸を有しているのだ。仕事やら付き合いやらで王宮に赴くことも多いらしく、その際には別邸に滞在していると聞いている。おそらく、これがその別邸だろう。

「え、本当に? 本当にここに住んでるの?」
「住んでるっていうか。たまに泊まりに来るんだよ」
「へ、へぇ……?」

 ロイの返答に、私は引きつった笑みを返す。ということは、だ。

「もしかして、ロイくんのお名前って」
「ロイ・ブライアンだよ」
「や、やっぱり……!」

 ブライアン公爵といえば、社交界では知らない人はいないという程の有名人であった。政治にも深く関わりを持っている有力者であり、彼とお近づきになりたいという人は山ほどいる。それに涼やかな面持ちで、立ち振る舞いも上品なことから年頃のご令嬢方が集まる場では必ずと言っていいほど話題に上がる人物だ。若い頃にミランダという貴族令嬢と結婚したのだが、たしか数年前にミランダは病によって亡くなってしまったはず。

 公爵が別邸に来る際には必ず噂がどこからか出回ってくるのだが、突然の離婚に心を持っていかれていた私の耳には入ってこなかったらしい。

 呆然と立ち尽くす私の手を引いて、ロイが門へと近付いていく。こちらに険しい顔を向けてくる門兵の視線が、私に固定されていることに気が付いた。慌てて自身の格好を見下ろすと、我ながら酷い姿である。

 今日は一日自宅で離婚の悲しみを癒す予定だったので、ほとんど部屋着に近い質素なワンピース姿であった。おまけにロイを追いかけて無茶したので、所々土に汚れている。慌てて土を払っておくが、それだけでは綺麗に落としきれない。おまけに髪もボサボサな気がした。

「どうも」

 怪しい人ではないとアピールするために、にこやかに挨拶をしておく。それをまったく気にしないロイは、マイペースに私の手を引いて門をくぐった。ミミも駆け足で追ってくる。

 背中に門兵たちの視線がビシビシ刺さっているのを感じたが、止められることはない。ロイが一緒だからだろう。
 とりあえず、ロイを自宅まで送り届けるという目的は達成した。正直なところ早く帰りたいのだが、ロイが私の手を握ったまま離してくれない。

「じゃあ、ロイくん。私もそろそろ帰らないといけないから」
「向こうに池があるんだよ!」
「池?」

 ぴょんと飛び跳ねたロイが、遠くを指さした。どうやら庭園にある池を私に見せたいらしい。子供らしい無邪気な笑顔で「行こう」と誘われたら、断るのも気が引ける。

『どうせ暇なんだろ』

 ロイの味方をするかのごとくミミも素っ気なく言った。言い返せない私は、ロイに手を引かれたまま中腰でついていく。
 手入れの行き届いた庭園はかなりの広さだ。今更なのだが、私がブライアン公爵家に足を踏み入れてもいいものなのだろうか。普通であれば、なんの繋がりもない子爵家の娘が気軽に入れるような場所ではない。

 なんだか悪いことをしている気分になった私は、必要以上にコソコソしてしまう。それを見ていたミミが呆れたように笑ってきた。

『なにビビってんの?』
「え、いや。だって私が入っていいような場所じゃないし」

 情けなく眉尻を下げる私に、ロイが振り返って「そんなことないよ!」と言ってくれた。

「メアリーだったら、いつでも好きに入っていいよ」

 嬉しい言葉に、「ありがとう」とお礼を言う。ロイの気持ちは素直に嬉しいのだが、いくらなんでも私が好き勝手に出入りするわけにはいかない。出会ってまだ一時間も経っていないと思うのだが、随分懐かれていると思う。そんなに好かれるようなことをした覚えはないのだが。

 ここは別邸なので、ロイはたまに泊まりに来る程度なのだろう。もしかしたら遊べる友達がいなくて寂しいのかもしれない。
 ミミの指摘通り、私は暇な身である。少しくらい付き合ってあげてもいいかもと考えた私は、ワンピースの袖をまくった。

「よし。じゃあ少しだけ」
「ほんと? やったぁ!」

 無邪気に喜ぶロイを見ていると、なんだか私まで嬉しくなってきた。子供と接したことがあまりない私だが、意外とうまく相手をできている。もしかしたら私って子供好きかもしれない。

 そんなことを考えながらロイを追いかけていると、お目当ての池が見えてきた。
 想像していたものよりも大きな池を見て、呆気にとられる。さすが公爵家。別邸とは思えない程の規模であった。

「こんなに大きな池が。すごいね」

 素直な感想を述べた私に、ロイが「でしょ!」と得意な顔で胸を張った。

「魚もいるんだよ。餌をあげると集まってきて面白いよ」
「へぇ!」

 実家である子爵家には、ここまで立派な庭園はない。物珍し気に視線を彷徨わせていると、少し先を行っていたミミの『おい、やめろ!』との盛大な悲鳴が聞こえてきた。何事かと顔をそちらに向けると、今まさにロイがミミを池に沈めようとしていた。

「え!? なにしてるの!?」

 驚きのあまり駆け寄った私は、急いでミミのことを救出する。ロイに抱えられてジタバタと暴れていたミミを横から奪うと、ロイが頬を膨らませた。そのわかりやすく不満な態度に、私はミミを抱え直す。

「なにしてるの? ミミちゃんが可哀想よ」
『この野郎! その呼び方やめろ!』
「え?」

 なぜかロイにではなく、助けた私に文句を言ってくるミミは「ミミちゃん」という呼び方がよほど嫌なのだろう。しかし他になんて呼べばいいのだろうか。

 とりあえず池から離れておけば、ロイが「猫返して!」と迫ってくる。
 私に抱えられたまま力の抜けているミミは『うるさい』とやる気なくロイに言い返している。

「なにしてたの?」
「その猫は、泳ぐのが好きなの」
「え、そうなの?」
『嘘だよ、嘘に決まってるだろ』

 半眼で口を挟んでくるミミは、腕の中で暴れはじめた。地面におろしてやると、するりと逃げていく。なぜか私からも距離をとるミミは、木陰に移動して丸まった。その姿を遠目から眺めて、私はロイと向き合う。ロイの前に屈んで目線を合わせた。

「ミミちゃん、嫌がってたよ? それなのに池に入れるのは可哀想だよ」
『ミミちゃんって呼ぶな!』

 遠くから悲鳴じみた声が聞こえてきて、ロイと共に振り返る。木陰でゴロゴロしていたミミが、こっちを睨んでいる。

「……ミミの嫌がることしたらダメだよ」

 ロイから控えめに注意されて、私は頬を引きつらせた。なんとも締まらない。

 ゆっくり立ち上がる私は、どうしたものかと天を仰いだ。
 やっぱり子供の相手は苦手かもしれない。不思議そうにこちらを見上げてくるロイであったが、その視線が私の背後に向けられた。

「あ!」

 パッと笑顔になったロイ。なんだろうと振り返ると、こちらに寄ってくる男の姿が確認できた。
 その光り輝くような金髪に息を呑んだ。遠目からでもきらきらしているのがわかる美貌は間違いない。この屋敷の主人であるアルフレッド・ブライアン公爵である。真っ白なジャケットを肩に引っ掛けた彼は、ロイに気が付いて綺麗な微笑みを浮かべた。しかしその目が、すぐに私へと向けられる。

「あれ? 君は――」

 驚きに見開かれた澄んだ碧眼を前にして、私は成す術なく立ち尽くしていた。
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