最強の騎士団長に嫁いだ偽りの公爵令嬢は、溺愛から逃げられない
 緊迫した公爵邸で育ったリーゼには信じられないことだったが、この屋敷の使用人たちは堅苦しさを持たず、打ち解け合っていた。

「本来ならば、騎士団の帰還にはさまざまな手続きが必要だそうですが、旦那様はすべてを後回しになさって馬をお飛ばしになったとか」
「すべてを、後回しに……?」

 驚いて振り返ると、エルナは髪をとかす手を止めた。

「はい。一刻も早くお帰りになって、奥様にお会いになりたかったのでしょう」

 にこりと微笑むエルナからとっさに目をそらす。鏡の中の自分と視線が合い、気まずい気持ちになった。

 嬉しいと……喜んでいいのかわからなかった。
 騎士団長としての責務、貴族としての体面。それらすべてを投げ出して、新妻のもとへ帰ってきた彼は、今ごろいい笑い者ではないだろうか。
 しかしそうだとしても、うわべだけの妻であるリーゼには何ら関係のない話だった。それなのに、身を切るような罪悪感もあった。冷酷な夫であれば、どれほどよかっただろう。

「……あの方は、本当に良い方ね」

 ぽつりとつぶやいて、うつむく。するりと肩から滑り落ちる栗色の髪を、エルナは器用にすくい上げると、編んでリボンを結んでくれた。

「さあ、仕上がりましたよ。本日も大変お美しいですわ」
「……ありがとう」

 鏡の中でぎこちなく微笑む自身を見つめながら、リーゼは礼を言って立ち上がる。

 その頃には、これから待ち受けるバルタザールとの出会いに緊張していた。アルブレヒトが何の策もなく、リーゼに命令を下すはずがなかったからだ。

 扉を開けてくれるエルナとともに部屋を出て、リーゼは階段を下った。

 磨き上げられたオークの手すりは、指先に吸い付くように滑らかだが、まだ若い色をしている。
 結婚が決まるや否や、シルヴィオがリーゼとの生活のために建てさせた邸宅は、豪華絢爛たるヴァルディエ公爵邸ほどではなかったが、とかく、質のいい建材が使われていた。

 贅沢させてやりたいと言っていたとおり、なるべく公爵邸の豪華さに近づけられるような、彼の努力が見える屋敷だった。
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