最強の騎士団長に嫁いだ偽りの公爵令嬢は、溺愛から逃げられない
 リーゼは窓を閉め、乱れた呼吸を整えた。

 窓ガラスに映る自分は、公爵令嬢にふさわしい、穏やかで美しい顔立ちをしている。
 この容姿を持って生まれたことは不幸であり、幸運でもあった。誰も気づかないだろう。病弱な令嬢が覚悟を決めたスパイだということに。

(大丈夫。心配いらない。笑顔になるのよ、リーゼ)

 軍人である夫に、この動揺を気取られてはいけない。
 自身を奮い立たせたそのとき、階下から重々しい靴の音が響いてきた。

 せわしなく鋼がぶつかり合う歪な音。
 まっすぐこちらに向かってくる足音は、リーゼに現実を突き付ける。

 半年前、新婚早々に戦地へ向かった夫、騎士団長のシルヴィオ・ヴァイスが、本当に帰ってきたのだ。

(どうしたらいいだろう……)

 夫婦らしい時間を過ごすことなく戦地へ赴いた夫を、リーゼはどう迎え入れたらいいのかわからなかった。

 とにかく、ここにいてはいけない。
 死地から帰還した夫を自室でじっと待つ妻はいないだろう。

 リーゼが急いで部屋を出たとき、長い廊下の途中に男の姿があった。

 戦場の冷気をそのまままとったような男。マントがひるがえるたびに揺れる銀髪は、雪を被ったように輝いている。

 その、久しぶりに会う夫の姿に、リーゼは圧倒されて声が出なかった。

 彼の身に、大きな傷は見つけられない。それどころか、長旅の疲労さえ見えない。むしろ、出立前よりも、誇りに満ちているように見えた。

「リーゼ」

 低い声で彼女の名を呼んだ彼は、足早に近づいてくる。
 氷のような青い瞳に射すくめられたリーゼは、うわべを繕う言葉を忘れてしまった。

 シルヴィオと結婚するよう父に命令されてから、彼が国王の命で戦地へ赴くまでの期間はほんの数日で、無口な彼とはほとんど言葉を交わしたことがなかった。
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