最強の騎士団長に嫁いだ偽りの公爵令嬢は、溺愛から逃げられない
***


 耳元でうなる風、規則的に刻む蹄の音だけが、夜の街道に響いていた。
 シルヴィオは手綱を固く握りしめ、そのまま愛馬を加速させた。

『弟はまだ15歳の少年です。……どうか、どうか彼を助けてください』

 別れ際に願ったリーゼの苦しい表情が、暗闇の中でもちらついた。

 彼女はずっと、重たい何かを背負っているかのように(はかな)げだ。

 初めて彼女に出会った、あの時もそうだ──

 シルヴィオはどこまでも続く闇の中を走る。暗闇に吸い込まれるような感覚が、彼を遠い過去の記憶へといざなっていく。

 リーゼ・ヴァルディエを初めて垣間見たのは、ヴァルディエ公爵夫人の葬儀だった。

 今にも雨が降り出しそうな薄暗い空の下で、公爵夫人の早すぎる死を悼む参列者たちは、ひそひそと噂話をしていた。

『病弱な娘がようやく元気になったというのに、今度は夫人がバルコニーから転落して亡くなるなんて……。なんと不運な家だろう』

 哀れんでいながら、どこか好奇心に満ちた目をする彼らの視線の先には、リーゼがいた。彼女は父であるアルブレヒト・ヴァルディエの後ろで、喪服に身を包み、長いまつげを伏せて立っていた。

 その頼りない姿は、消えてしまいそうなほど儚く、美しかった。
 たちまち、シルヴィオの心は奪われた。

 生きるためにヴァイス伯爵家の養子になることを選んだが、あのときほど、貴族の仲間入りを喜んだ日はない。

 シルヴィオは伯爵家の養子になる前、行商人の父とともに、大陸のあちらこちらを旅していた。

 あの日も、いつものように王都を目指していた。慣れた山道に、危険などないはずだった。
 しかし、山賊に荷を奪われ、大けがをした。息も絶え絶えな父に覆いかぶさり、『助けてくれー!』と叫んでいると、たまたま通りがかったレナートに救われた。
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