愛なき凸凹夫婦だったのに、生まじめ妻は御曹司の熱情愛に堕ちる
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 有休をもらった土曜日の午後三時頃、陽菜は俊哉の運転する車の助手席に座っていた。
「……本当に私で大丈夫なんでしょうか」
 シートベルトをいじりながら、陽菜は浮かない顔をしている。朝からずっと気分は晴れない。
 目的地が、俊哉の実家だからだ。
 手持ちの服のなかでは一番きちんとして見えるようなシャツとスカートを選んだし、化粧だって仕事に行くときより念入りに、それでいて華美にならないよう気を付けた。それでもいまさらだが、自分が大会社の御曹司とつりあっているとは思えない。
「嘘ついても仕方がないから正直に言うけど、あまり歓迎ムードではないと思う」
「ですよね」
「陽菜がどうこうっていうんじゃなくて、急な話だからさ。ちょっと居心地悪いだろうけど、俺が全部話すから、あんまり気にしないで」
 気にしないでと言われても、気にせずにはいられない。
「私のことはどこまで話してあるんですか?」
「会わせたい女性がいるから連れていく、とだけ」
 俊哉はなんでもないことのように言った。
「えっ」
 陽菜は目を見開いて運転している俊哉の横顔を見た。
「結婚したって、話してないんですか?」
「これから言うよ。電話で話すことでもないかなと思って」
「それはそうかもしれませんが……」
 陽菜は頭を抱えたくなった。
 なにも知らない俊哉の両親に、どんな顔で挨拶すればいいのかわからない。
 歓迎されないだけならまだいい方で、叩きだされてもおかしくない。
 あまりのことに気が遠くなりかけている陽菜の頭に、俊哉が手を置いた。
「大丈夫だよ」
 視線は前に向けたまま、俊哉が言った。その声は落ち着いている。
「……はい」
 少々強引で気ままなところはあるけれど、俊哉は出会ってからいままでずっと誠意をもって陽菜に接してくれている。このひとの両親なら、もちろん驚きはするだろうがこの突然の結婚話を案外受け入れてくれるかもしれない。

 などという甘い考えは、俊哉と陽菜の家より広いリビングに通されて五分で打ち砕かれた。
「結婚するだと?」
 恰幅のいい渡會不動産社長であるところの俊哉の父親は、俊哉が陽菜を結婚相手として紹介するなり立ち上がって激高した。
「どういうことだ、そんな勝手は許さないぞ」
 俊哉の父親の隣で、半分ほどの幅の母親も顔を引きつらせている。
 そりゃそうだよなと思いながら、陽菜は膝に置いた両手をぎゅっと握った。
「結婚する、じゃなくて、結婚した、だから。許すも許さないも、もう婚姻届けは提出済みだよ」
 俊哉はひとりだけ飄々としている。父親から憎々し気に睨まれても、まるで気にしている様子がない。こうなることは予想していたのだろう。
「美玲ちゃんがいなくなったことがそんなにショックだったの? あの子ならいまひとに頼んで探してもらってるから──」
「やめてくれ」
 俊哉は母親が早口でまくしたてるのをぴしゃりと遮った。
 美玲、というのは例の駆け落ちしてしまった婚約者のことだろうか。
「美玲の駆け落ちがきっかけになったのは否定しないけど、あの子に未練はまったくない。美玲は自分の意思で出て行ったんだ。連れ戻すようなまねはしないでほしい」
「私の方でも、お前にふさわしいお嬢さんを紹介してもらえるよう何人かにお願いしているところだ」
 そこまで言って、俊哉の父親は黒い革張りのソファに腰を沈め、陽菜の方を見た。
「失礼だが陽菜さん、あなたの御父上はなにをなさっている方なんです?」
「父は……十年以上前に母と離婚していて、いまなにをしているのかは知りません」
 俊哉の父親はわかりやすく顔をしかめた。
「御母上は」
「スーパーでパートをしています」
 俊哉の父親は話にならない、というように両手を上に向けた。
 それを見て、ズクリと胸が痛む。
「正気か、俊哉」
「父さんこそ正気とは思えない。なぜ陽菜自身のことを聞かないんだ。俺と結婚したのは陽菜であって、陽菜の両親じゃない」
 俊哉は唇を湿らせるようにすっかり冷めてしまった紅茶をひと口飲む。
「陽菜は自立している素晴らしい女性だよ。親の援助なしに自力で大学を出たあと図書館で司書として真面目に働きながら、公務員試験に向けて一生懸命勉強している。大学院で図書館情報学を学びたいという素敵な夢もある」
「俊哉さん……」
 俊哉からの褒め言葉を聞いて、殺伐とした場面にもかかわらず陽菜は涙が出そうなくらい嬉しくなってしまった。
 いままで、ずっとひとりで頑張ってきた。誰かに認められたいと思ってしてきた努力ではなかったけれど、こうして言葉で称賛されると苦労が報われる気がした。
「なによ、美玲ちゃんとは違うとでも言いたいの」
 俊哉の母が咎めるように割って入ってきた。
「あの子は社長令嬢なんです。俊哉にはいつも遊んでいるように見えていたのかもしれないけれど、習い事や人付き合いだって大事なことでしょう」
「ふたりを比べたってしかたがないだろ。違う人間なんだから。俺はただ、陽菜をひとりの人間として尊敬していると言いたいだけだよ」
「このお嬢さんが素晴らしい人格の持ち主だとしよう。それでも家と家の付き合いがどれだけ大事か、お前だってわかっていないわけではないだろう」
 俊哉の父親は厳しい顔をしたままだ。
「古いんだよ、父さんたちの考えは。美玲だってそういうのが嫌だったからどこかの社長の息子とかでもないごく普通の男と一緒に逃げ出したんだろう」
「……あの子には失望した」
 俊哉の父親は不機嫌を露わにした。
「だからって、いまからどこぞのご令嬢を探してきて俺と添わせるなんて本気? 結婚してすぐ離婚してまたすぐ再婚するなんて、それこそ世間体が悪いんじゃないの?」
 俺は世間体なんてあんまり気にしないけど、と俊哉は付け足す。
「それは……」
 俊哉の父親が悔しそうに歯噛みする。その隣で、俊哉の母親もどうしていいかわからないというように視線をさまよわせている。
「それじゃ、報告するべきことはしたし、そろそろ失礼するよ」
 俊哉がにこやかに笑って立ち上がった。陽菜も慌ててそれに続く。それからふたりで 玄関に向かって歩いていったが、見送られることも引き留められることもなかった。
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