愛なき凸凹夫婦だったのに、生まじめ妻は御曹司の熱情愛に堕ちる
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 ふたりの休日が重なった、十一月のある日。
「たまには出かけない? そうだな、映画とか」
 朝食を食べながら、俊哉が珍しいことを言いだした。
「……映画」
「陽菜、好きだろ? 家ではよく見てるし」
「好きですが」
 映画館で映画を観るなんて、いつぶりだろう。
 ひとり暮らししていたときは、生活を切り詰め、観たい映画を厳選して二、三か月に一度週に一度のサービスデーに行くのがやっとだった。図書館には名画のDVDも所蔵されているので、古い映画は家でけっこう見ていたが。
 屈託のない微笑みを浮かべている俊哉をまじまじと見る。
 俊哉とは円満な夫婦生活を送っているが、それはふたりとも結婚に夢を持っていないため、お互いがお互いに期待していないからだ。
 家事の負担は外注することで解消し、食事を共にするのは基本朝だけ、寝室は別と、ふたりはかなり割り切った生活をしている。
 ふたりで映画を観にいくなんて、まるで恋愛結婚した夫婦のデートみたいだ。
 そう思っていると、俊哉は微笑んだまま陽菜の手を取った。
「せっかく縁があって夫婦になったんだし、デートの真似事くらいはたまにしたいと思ったんだけど……だめ?」
「だめ……ではないです」
 戸惑っただけで。
 気のせいかもしれないが、突然花束を買って帰ってきた辺りから自分に対する俊哉の態度が少し甘くなった感じがする。恋愛結婚ではなくとも、一緒にいると情が湧いてくるということなんだろうか。
 結局ふたりは、陽菜のホラー以外、俊哉の洋画という希望を踏まえ、洋画のヒューマンドラマを観に行った。
 これが思いのほか泣かせる映画で、高校生の主人公の少年をかばって母親が大けがをした場面で陽菜は大粒の涙を流した。その涙には、少年がかわいそうだという思いと、こんなふうに手放しで子供を大事にしてくれる親がいて羨ましいという思いが入り混じっていた。
「──ハンカチ、ぐちゃぐちゃにしちゃってすみません」
「いや、いいよ全然」
 映画のあとに入ったビストロで、ラタトゥイユや牛肉のコンフィを食べながら感想を語り合った。
「ああいう親子関係、羨ましいです。うちは常に私の方が親を心配しなきゃいけない感じだったので」
 子供らしい子供でいられたのは、両親が離婚する二年前くらいまでだったように思う。つまり小学校低学年で陽菜が無邪気でいられた時代は終わった。
 そこからは、母の愚痴を聞き、家事を手伝い、高校に入るとすぐにアルバイトに励んで家にお金を入れるようになった。
「うちは親の心配をすることはなかったけど……そうだな、誕生日を心から祝われている感じはちょっと羨ましかったかな。小学校高学年くらいには、プレゼントが現金になってたから。いらないものをもらうよりはましだったけどね」
「合理的ですね」
 なかなか冷めたプレゼントだなとは思うが、常にお金に困っていた陽菜からすると羨ましい。
「あとあれ羨ましかったです。犬も猫もたくさん一緒に暮らしていたところ」
「陽菜はペットが飼いたいの?」
「うち、お金がなかったのと母が生き物苦手だったのとアパートがペット禁止だったのとで、飼えなかったんですよね。俊哉さんは? なにか飼ってました?」
「ゴールデンレトリバーを飼ってたよ。俺が小学校に上がった頃に買いはじめて、家を出るってときに亡くなった」
「ずっと一緒に育ったんですね」
「うん。だから、なかなか他の犬を飼おうって思えなくて……って、そういえば陽菜はいまなにか飼いたかったりする?」
「え……」
 陽菜は一瞬答えに詰まった。
 まずは一年間のお試し結婚だと言ったのは俊哉だったではないか。
 それなのにこんなことを聞かれたら、ずっと一緒にいることが決定しているかのように勘違いしてしまう。
「いまは自分のことで精いっぱいなので」
 陽菜は白ワインをひと口飲んで、曖昧に微笑んだ。
「そっか。勉強もあるもんな」
 俊哉は特に引っかかった様子もなく、コンフィの付け合わせを美味しそうに食べた。
「今日はありがとうございました。とても楽しかったです」
「俺も」
「また……」
「うん?」
「なんでもないです」
 俊哉があんまり優しい顔で笑うものだから、また一緒に、と言いかけて、やっぱりやめた。これ以上ふたりでいることを楽しんでしまったら、俊哉のことを好きになってしまいそうだ。
 愛情はないと、結婚前に俊哉からははっきり言われている。それを承知のうえで婚姻届けを出したのだから、自分の立場はちゃんとわきまえていないといけない。
 それにしても、と俊哉の方をちらりと見る。
 今日は彼もずっと楽しそうだった。そんなに観たかった映画なのか。それとも──。
 期待しそうになる心を抑えて、陽菜は残りの食事に集中した。
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