愛なき凸凹夫婦だったのに、生まじめ妻は御曹司の熱情愛に堕ちる

初めての夜

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 朝晩はそこそこ冷え込むようになってきた十二月初旬、陽菜と俊哉は三日間休みを合わせて北海道にやってきた。
 新千歳空港からタクシーに乗り目的地に向かっている間、陽菜は食い入るように外の景色を眺めていた。
「すごい。雪だらけです」
 積もった雪で、車道と歩道の区別がつかない。雪の絨毯みたいになっているところは、畑だろうか。
「今年は特別多いんですよ。このまま根雪になるんじゃないかな」
 タクシーの運転手が前を向いたまま言った。
「根雪?」
「溶けないで春まで残る雪のことです。お客さん、北海道は初めてですか?」
「私は初めてです」
「俺は何度かスキーに来てます。北海道の雪はふわっとしていて最高ですよね」
「住んでるものにとっちゃ雪かきが大変なんですけど、スキーには最高ですよね。十年くらい前からは外国からのお客さんもずいぶん増えました」
 流れていく景色は、どこまでも真っ白だ。
 旅行に行かないかと俊哉が誘ってきたのは、先月末のことだった。十二月のシフト希望を出す前でよかった。
 ちょっとその辺へというニュアンスだったので、てっきり車で鎌倉や熱海辺りの温泉にでも行くのだろうと思ったのに、飛行機に乗せられたときは心底驚いた。
 サプライズが成功したからか、俊哉はご機嫌で陽菜の横顔を眺めている。
「北海道、初めてだったんだね」
「北海道どころか、飛行機に乗ったのも初めてです」
「そうなんだ」
 陽菜は修学旅行以外の旅行をしたことがなかった。修学旅行にしても、中学も高校も目的地は奈良と京都で、行き帰りともに新幹線だった。
 初めての飛行機は、楽しくて、ちょっとだけ怖かった。飛び立つ瞬間には思わず俊哉の手を握ってしまい、優しく握り返されて恥ずかしかった。
 空港から目的地までは一時間半ほどかかった。
「そろそろ着くよ」
「……あ、はい」
 いつのまにかうとうとしてしまっていたようだ。
 目をこすって窓の外を見ると、雪景色のなかに木目を活かした落ち着いた建物があった。
「あれが今日と明日泊まるホテル」
「すごく素敵ですね」
 そしてすごく高そうだ。初めての雪景色ではしゃいでいた心に緊張が走る。
 そんな陽菜の内心に気づく様子もなく、俊哉は運転手にお礼を言って代金とチップを払っている。
 ホテルは外観だけでなく、内装もモダンなのに温かみがあり素敵だった。ロビーにいる他の宿泊客とホテルのスタッフの半分は外国人で、まるで外国に来たみたいだ。
 チェックインを済ませた俊哉と荷物を持ってくれているスタッフと三人でエレベーターに乗り、三階で降りる。
 鍵を開けて客室に入ると、家ほどではないが広いリビングがあった。深い緑色のソファにはカラシ色のクッションが置かれている。窓の外には、ゲレンデが見えた。
 部屋のなかを見回していると、普通のホテルにはあまりないと思われる設備が目に入った。
「俊哉さん」
「うん?」
「階段があります」
「メゾネットタイプの部屋だからね。寝室は二階にあるよ」
 そんなホテルがあるなんて、陽菜は初めて知った。
 二階に行ってみようかと思って、やっぱりやめた。ベッドがどういうタイプなのか知るのが怖かった。ダブルだったらそのあと俊哉にどういう顔をすればいいのかわからない。
 旅行に誘われたときから、陽菜は内心緊張している。俊哉がどういうつもりでわざわざ大事な休日を使ってまで陽菜と旅行に行こうと考えたのかわからない。
 これも〝夫婦の真似事〟のひとつなのだろうか。
「さて、どうしようか」
 俊哉は壁の時計に目をやった。
「もう三時か。スキーは明日にして、今日はゆっくりしようか。移動が長かったし、疲れただろ」
「え、スキーやるんですか」
「やるよ。さっきフロントで聞いたら、雪の状態はかなりいいらしい。楽しみだ」
「私、一度も滑ったことがありません」
「俺が教えるよ」
 俊哉はなんでもないことのように言うが、陽菜の運動神経はけっしていいとは言えない。二枚の板に乗って坂を滑り降りるなんて、考えただけでできる気がしない。
「大丈夫、坂のなだらかな初心者コースがあるから」
「それだと俊哉さんが楽しめないのでは」
「俺は陽菜とスキーができればそれで楽しいよ」
「俊哉さん……」
 そんなことを言われたら、愛されているのではと勘違いしそうになるからやめてほしい。
「夕飯まで時間があるし、甘いものでも食べにいこう」
「はい」
 気を取り直して、俊哉とふたりでフロントの隣にあるラウンジへ行った。
「いらっしゃいませ」
 ネクタイをしてベストを着た外国人のスタッフが流ちょうな日本語で言い、メニューと水の入ったグラスを置いていった。
 メニューは縦長の紙一枚で、ドリンクの名前が並んでいる。裏面にはケーキの名前がいくつか書いてあるが、それ以外のものもあるのでラウンジに入ったところにある冷蔵のショーケースを見た方がいいらしい。それはいいが、メニューには肝心なことが書いていない。
「俊哉さん」
 声をひそめて、俊哉の耳元でささやく。
「うん?」
「コーヒーもケーキも、値段が書いてありません。時価ってことでしょうか」
「そんな、銀座の寿司屋みたいな」
 俊哉の肩が小さく震えている。
「ここにいる間は、お金のことを気にしなくていいよ」
「どういうことですか?」
「オールインクルーシブっていってね」
 そんな言葉は初めて聞いた。
「二泊三日の旅行代金に、部屋代だけじゃなく食事代やいまみたいなお茶の代金、バーの飲み物代、それからここには大きいプールがあるんだけどその使用料、スキー場のリフト代もろもろ、すべての代金が含まれているんだ」
「……いくら食べても料金が変わらないってことですか?」
「そう。だから俺はいま、ケーキをふたつ食べようと思ってる。一緒にどう?」
 俊哉がいたずらっぽい顔をする。
「私もいただきます」
 昼食は空の上で空港で買ったお弁当を食べたのだが、正直量が足りなかった。
 一度席を立ち、ケーキの入ったショーケースを見にいく。
「いちじくのショートケーキと、モンブランにします」
「俺も」
 けっして小さくはないサイズのケーキをふたつ、ふたりしてべろりと食べた。どちらもとても美味しかった。
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