愛なき凸凹夫婦だったのに、生まじめ妻は御曹司の熱情愛に堕ちる
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「──さん、渡會さんっ」
 大きな声で名前を呼ばれ、ハッとして箸を落としそうになる。
「はいっ、えっと、なにか?」
 テーブルの向かい側に座っている友里が呆れたような顔で陽菜を見ている。
「なにか、じゃないよ。早く食べないとお昼休み終わっちゃうよ」
 腕時計を見る。あと十分で昼休みが終わるのに、持参した弁当はまだ半分以上残っている。急いで残りのご飯を口に運んでいく。
「どうしちゃったの、今日は。朝からずっとぼーっとして」
「……ごめんなさい」
 昼休みに入る前にはカウンター業務についていた。そのとき、目の前に借りたい本を持った利用者が来たのに全然気づかず、見かねた友里が隣で受付してくれた。
「心ここにあらずって感じだよね。旦那さんとケンカしちゃったとか?」
「ケンカ……はしてないんだけど」
 今日は朝食中、いつもならよく話を振ってくる俊哉がやけに静かだった。陽菜は陽菜で夜中旅行中にしたキスや抱擁の意味を悶々と考えてしまってあまり眠れなかったこともあり、自分からは積極的に話題を提供できず、なんだかぎくしゃくしたまま朝食は終わった。
 そこまではまだいい。問題はそのあとだ。
 いつものように先に出勤する俊哉を玄関まで見送りに出ると、緊張した面持ちで俊哉が言ってきた。
「陽菜」
「はい」
「いってきますのキスをしてみてもいいだろうか」
「えっ……」
 陽菜は旅行中にした俊哉とのキスを思い出した。触れるだけの優しいキスだった。あのときは、旅行中という非日常の環境にいたからそういうムードになったのだと思ったのだが、いまは思い切り日常だ。
「嫌ならしない」
 普通の夫婦は挨拶代わりのキスをするものなのだろうか。
 わからないが、嫌ではなかった。
「ど、どうぞ」
 他にどうしていいかわからず、陽菜はぎゅっと目を閉じた。
 柔らかいものが唇に押し当てられ、すぐに離れた。
「……いってきます」
「いってらっしゃい」
 フッと笑みを浮かべて、俊哉は出勤していった。
「──あの」
「なに? なんでも相談にのるよ?」
 同僚である友里に聞くのもなんだが、他に相談できる友達もいない。
「いってらっしゃいのキスって、普通の夫婦ならみんなするものなのかな」
 勇気を出して尋ねたのに、友里は脱力して机の上に突っ伏した。
「なんだよ、のろけかよ~」
「い、いや、のろけじゃなくて」
「そんなのひとそれぞれでしょ。しない夫婦もいれば、毎朝ディープキスかましてる夫婦もいるでしょうよ」
 それはそうだろうが。
 俊哉が言うところの〝夫婦の真似事〟からはさすがに逸脱しているのではないかと思ったのだ。
「そんなことより、あと五分しかないよ、昼休み」
「ほんとだ、急がないと」
 陽菜は俊哉のことをひとまず頭のなかから追い出し、残りの弁当を掻きこんだ。
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