愛なき凸凹夫婦だったのに、生まじめ妻は御曹司の熱情愛に堕ちる

二度目のプロポーズ

       1

 車を路肩に停めた俊哉が、怒りと焦りがないまぜになった顔をして小走りでこちらにやってくる。
「俊哉さん……!」
 俊哉の顔を見ただけで、涙が出そうになった。
 やっぱり絶対に別れたくないと強く思う。
 俊哉は陽菜をかばうように背中で隠し、美玲と対峙した。
「陽菜の職場にまで来るなんて、なに考えてるんだ」
「だって」
「だってじゃない。美玲とは結婚できないって、何度も言っただろう」
「それは、このひとがかわいそうだからでしょう? 俊哉が言えないみたいだから、私が現実的なことをはっきり言ってあげたの」
「陽菜はかわいそうなんかじゃないし、俺が美玲と結婚できないのは、俺が陽菜のことを愛しているからだ」
「……っ、たとえ愛してたって、両家に格差のある結婚なんてうまくいくはずない。おじさんとおばさん、俊哉がろくでもない女と結婚しちゃったって意気消沈してたもの」
 美玲の言葉が、またグサッと心臓を刺す。
「親には時間をかけてわかってもらうつもりだ。でもうちの親子関係に美玲は関係ない」
「そんなっ」
「逃げるな、美玲」
 俊哉が美玲の目を見つめてビシッと言った。
「……なによ」
「おまえがサインして置いてきた離婚届は、まだ提出されていない」
「え」
「おまえの旦那は、おまえが戻ってくるのを待っている」
「信じられない、あのひとに連絡取ったの?」
「美玲のことをとても心配していたよ。いいやつじゃないか。俺との婚約を蹴ってまであの男を選んだんだ。もっと歩み寄る努力をしろ」
 そこまで言って、俊哉は陽菜の方に向き直った。
「陽菜」
「俊哉さん……」
「改めて言うよ。ずっと俺と一緒にいてほしい」
 真剣な顔で俊哉が差し出してきたのは、十月に注文していた結婚指輪の入ったリングケースだった。
「でも……」
 俊哉の気持ちは涙が出るほど嬉しい。しかし先ほど美玲に刺された傷は、まだしくしく痛んだ。
 たとえ美玲が夫のもとに戻ったとしても、自分が俊哉の隣に立ち続ける自信がない。
「私なんて、ケチだし貧乏だし、親はふたりともどうしようもないし……特に綺麗でもなし、なんのおもしろみもないし。私といると俊哉さんは不幸になってしまいます」
 自分で言っておいて自分で傷つく。
「あら、よくわかってるんじゃないの」
 美玲が俊哉の背中の向こうで口を挟んでくる。それを無視して、俊哉は陽菜の肩に両手を置いた。
「もうしあわせだよ」
「え?」
「陽菜と家で食べるご飯はどんな高級レストランの料理より美味しいし、映画を観て涙するきみはかわいいし、ものを大事にするところはなによりすばらしいと思うし、笑ってくれると嬉しくなる。陽菜がいてくれるだけで、俺は毎日幸せなんだ」
「俊哉さん……」
 陽菜の目尻から、涙がこぼれ落ちそうになる。
 肩を抱き寄せられ、俊哉の肩口を涙で濡らした。
「美玲、悪かったな」
 陽菜を抱いたまま俊哉が静かな声で言った。
「え?」
「俺はおまえのことが嫌いじゃないが、妹みたいにしか思っていなかった。親たちは盛り上がっていたし、結婚に夢を持っていなかったからそれでもいいかとおまえと結婚することを軽く考えていたけれど、俺は本当の愛を知ってしまった。もう陽菜以外の女性と結婚するなんて考えられない」
「俊哉……」
 美玲が傷ついた顔をする。
「どうして? いままでずっと、私のお願いならなんだって聞いてくれたじゃない」
「それがよくなかったんだと、いまは思う。おまえがわがままに育った責任の一端は俺にもある。すまなかった」
「なによ……なによそれっ」
「もうおまえにはなにもしてやれない。それでも、おまえのしあわせを祈っているよ」
「……俊哉の馬鹿っ!」
 美玲がカツカツとヒールを鳴らして、待たせていたらしいタクシーまで行き、去っていった。
「はあああぁ……」
 大きく息を吐いて、俊哉がその場にしゃがみ込んだ。
「俊哉さん?」
「陽菜が美玲から金を受け取ろうとしているのが見えたときには、肝が冷えた」
「……ごめんなさい」
「頼むから、もう二度と俺から離れようなんて考えないでくれ」
 見上げてくる目があまりに真剣で、胸がぎゅうっとなった。
 のろのろと立ち上がり、俊哉が陽菜の左手を握ってくる。
「愛してる、陽菜」
「私も愛してます」
 まっすぐに気持ちを伝えると、俊哉は陽菜の大好きな顔で笑ってくれた。
「注文してた指輪、できたんですね」
「さっきショップから連絡が来て、すぐに取りに行ったんだ。一刻も早く陽菜に見せたくて来てみたら美玲がいた。びっくりしたなんてものじゃないよ」
 俊哉がリングケースを開けた。入籍してすぐに注文した結婚指輪が、仲良くふたつ並んでいる。
「この指輪、受け取ってくれる?」
 はい、と言いかけて、陽菜は「ちょっと待ってください」と言い直した。
 ポケットからスマートフォンを取り出し、二年半前に登録してから一度も使ったことのない電話番号を呼び出す。
 電話をかけた先は、父だった。
 父は三コールで出た。
『どうした、陽菜。もうちょっと、なんだ、融通ききそうな感じか?』
 浅ましい期待を隠さない父の声が不快だ。
「あ、お父さん、もう私にお小遣いせびりに来ないでね。二度と渡さないから』
『ああっ!?』
 電話の向こうで父が激高した。
『おまえ、自分ひとりだけいい暮らしするつもりか? なんのためにおまえを育てたと思ってるんだ、親孝行のひとつもする気がないなんて、なんて冷たいやつだ』
「一度も養育費を払わなかったお父さんに、冷たいとか言われたくない」
『それは……俺は金に困ってたんだよ、わかるだろう?』
「わかりません。とにかくそういうことだから、まっとうに働いて頑張って」
 ピシャリと言って、陽菜は電話を切った。
 すぐさまかけ直してきそうで面倒なので、着信拒否の設定をする。
「もう一件、すみません」
 俊哉に断ってから、今度は母にかける。
 パートは休みだったらしく、すぐに電話に出た。
『もしもし、陽菜? この前も言ったけど、年末年始はいろいろ入用だから、ちょっと仕送りを増額してもらいたいんだけど』
 父も母も、電話に出るなりお金の話をしてくるところはそっくりだ。俊哉の財産をあてにしてくるところも。
「増額はしないよ」
『……え?』
「お母さんには最低限育ててもらった恩があるから、私の稼ぎからの仕送りは続けます。でもいまの額から増やすことはしません」
『あんたっ……あんなに稼ぎのよさそうな男をつかまえたくせに、自分だけいい思いするつもりっ?』
「俊哉さんの稼ぎとお母さんは関係ないでしょう。だから今以上に暮らしを楽にしたいなら、パートの時間を増やすなりなんなりして、自分でどうにかしてください」
『ちょっと待ちなさっ──』
 母がわめいているのにも構わず、陽菜は電話を切った。ついでに電源も切る。
「お待たせしました」
 陽菜はニコッと俊哉に笑いかけた。
「お父さんとお母さん、大丈夫?」
「もう両親に振り回されるのはやめました。自分の人生がうまくいかないのを両親のせいにするのも。ふたりともいい大人なんですから、自分の人生は自分でどうにかするでしょう」
 俊哉が眩しげに陽菜を見る。
「陽菜は少し変わったね、結婚してから」
「そうですか?」
「もともとかわいかったけど……なんていうか、綺麗になった」
「だとしたら、俊哉さんのおかげです」
 いつでも前向きな俊哉を間近から見ていて自分もそうなりたいと思うようになったし、俊哉に愛されたことで少しだけ自分に自信が持てるようになった。
「この指輪、受け取ってくれる?」
 返事をする代わりに、陽菜は左手をスッと前に出した。
 薬指に、ふたりが結婚した証が通されていく。
「俊哉さんも」
「うん」
 今度は俊哉が左手を差し出し、陽菜が彼の薬指に指輪を通していく。
「これからもよろしく」
「こちらこそ」
 ふたりで笑い合って、手を握り合う。
「どうしよう」
 俊哉が困った顔をした。
「陽菜にキスしたくてたまらない」
「だめです。外なので」
「わかった。早く帰ろう」
 大股で歩く俊哉に手を引かれて、路肩に停めてあった車へと向かった。
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