愛なき凸凹夫婦だったのに、生まじめ妻は御曹司の熱情愛に堕ちる
2
翌日の月曜日、早番だった陽菜は九時から勤め先である公立図書館に出勤した。
白いシャツに紺色の揃いのエプロンをして髪をひとつにくくると気が引き締まる。
二十四時間使えるブックポストには、昨日の閉館以降に入れられた返却図書がどっさりあった。それらを一度カウンターのなかに運んでから背面に貼られているバーコードを読んで返却処理をし、返されたばかりの本を一時的に並べておく棚にどんどん置いていく。それを何度も繰り返す。
「ふう……」
ほぼ毎日のことながら、地味に腰にくる。司書の仕事は見た目は楽そうだが、本は量があると重いし、意外とハードなのだ。
そのうえ夜は夜でファミレスのホールでアルバイトをしている。ディナー時間帯のファミレスは、常に早歩きで移動するような忙しさだ。
陽菜はあまりタフな方ではない。職員割引きで遅い夕食を摂り午後十一時近くに家に帰った頃にはもうへとへとで、入浴するのがやっとだ。
ここまで頑張っても奨学金の返済や、ひとり暮らししているパート勤めの母親への仕送りもあるので生活はギリギリで、毎月給料日前にはカツカツになる。
早く正職員になりたい。そのためには公務員試験の勉強をしなくてはいけない。わかっていても、仕事が両方ある日はほとんど勉強を進められていない。
いっそ副業を時給の高い夜職にして、働く時間を減らして──というのも何度も考えたが、男性と話すのが得意とはいえないし、容姿だって平凡で華やかさに欠けるから、とても向いているとは思えない。
詰んでいるなと、自分でも思っている。司書を辞めて一般企業の正社員を目指した方が生活が楽になることもわかっている。
それでも陽菜は、図書館司書の仕事を諦めたくなかった。
平日の昼間、図書館はゆったりとした時間が流れている。利用者は就学前の子連れか、定年後らしき男性が多い。
そんななか陽菜は閉架コーナーで予約の入った本を探しながら、来週からの児童書のコーナー展開を考えていた。図書館の仕事はいろいろあるが、特集コーナーの企画は好きなもののひとつだ。テーマを決めて、選書し、ディスプレイをする。どれだけ子供たちの目を引く展示ができるか、腕が試される。
先週は十五夜にちなんで、〝月〟をテーマにした展示をした。
月が登場する絵本をはじめとして、天文の科学読本、お月見団子のレシピが載った本など二十冊ほどを選書し、二階への階段横の平台に展開した。
次は〝キノコ〟もいいな。それか食材ではなく料理にフォーカスして〝シチュー〟とか。などとつらつら考えていると、同僚で正職員の田辺友里が扉の向こうからひょいっと顔を出した。
「野崎さん」
「はい、あ、もうお昼ですか」
「それもあるんだけど、野崎さんに会いたいってひとがカウンターに来てて」
「私に?」
誰だろうと陽菜は首を傾げる。
友里の目は好奇心でキラキラ光っている。
「なんかね、背が高くてすっごくかっこいい男のひと」
とりあえず男性だということはわかった。友里はちょっと物事を大げさに言うところがあるので、〝男のひと〟に付随した形容詞はそのまま受け取れない。
「利用者さんかな。わかりました、いま行きます」
司書の仕事をしているとおとなしくて真面目そうに見えるらしく、この図書館に勤めて二年になるが、デートに誘われたことは二度あった。立場上きっぱり断るのは難しく、かといってやんわりと断っていてはなかなか引いてもらえず、難儀した。
またその手の輩かと思うとげんなりしてしまうが、名指しで呼び出された以上、出ていかないわけにはいかない。
閉架コーナーを出てカウンターの前に行く。
意外な人物が陽菜を見てにっこり笑い、片手を上げている。
昨日出会った、渡會俊哉だ。
「えっ……え?」
陽菜は混乱した。まず彼には、司書だという話はしたが勤め先は教えていない。
「どうしてここが?」
「新郎に聞いた」
明快な答えが返ってきた。
「今日はお仕事、お休みなんですか?」
「いや、移動の途中で寄ってもらった」
例の運転手にだろうか。
「それで、あの……」
ご用件はと言う前に、俊哉が本題を切り出してくる。
「今日は仕事、何時まで?」
「え?」
「よかったら夕食でも一緒にどうかな」
「それは……」
昨日、バーは奢ってもらったとはいえ、結婚式や二次会で散財してしまった。今日からは、もやしと米でなんとか食費を節約しようと思っているのだが。現に昼食は、肉なし野菜炒めと塩むすびのお弁当を持参している。
視線を感じ、パッと後ろを振り返る。職員が二、三人、ぴゃっと隠れた。
いつまでも好奇の視線を集めているのはつらい。
それに、昨日は奢りだったうえに家まで送ってもらったという恩義もある。
「……午後五時には終わります」
陽菜はしぶしぶ答えた。
こんな日に限って、ファミレスのシフトにも入っていない。
「オッケー、それじゃその頃に車で迎えにくるよ」
「あ、はい。すみません」
それじゃ、と手を振って、俊哉は図書館を出て行った。
彼の背中が見えなくなるのを待っていたように、こちらの様子を窺っていた職員たちがわらわらと集まってくる。
「皆さん、仕事しましょうよ」
「あのイケメンの素性と野崎さんとの関係を教えてくれたらすぐ仕事に戻るよ」
「関係というほどのものはなにも。昨日、友達の結婚式の二次会で知り合っただけです」
「結婚式の二次会! 年頃の男女の出会いの場ランキング第一位じゃん!」
友里が興奮した様子で言った。
「そうなんですか?」
「いや知らないけど」
知らないんかい。
とはいえ、あれだけかっこよくて羽振りのよさそうな、つまり女に困っていなそうなひとがわざわざ陽菜に会いに来たのは事実だ。
いったいなんの用だろう。
自分に気があるのかも、なんてことは思わない。彼の周りには、おそらく、いや絶対、綺麗で頭がキレて育ちもいい女性がごろごろしているはずだからだ。
共通の知り合いである新郎新婦になにかあったとか?
ごちゃごちゃ考えている間にも、背後では職員たちが言いたい放題言っている。
「デートだよ」
「デートだね」
「デートじゃありません」
振り返って抗議する。
「食事するだけです」
「独身の男女がふたりきりで食事したら、それはもうデートなんですってば」
友里が言い切り、みんながうんうんと頷く。
多数決でデートに決まってしまったようだ。
「ええ……」
納得はいかないが、反論する言葉も思いつかず、陽菜は逃げるように閉架室に戻った。
午後五時になった。
早番の陽菜は退勤の時間だ。
「お先に失礼します」
「お疲れ様~」
「どうぞごゆっくり~」
生温かい笑顔に見送られながら、エプロンを外し、カーディガンを羽織った格好で図書館から出る。
出入り口から五メートルほど離れたところに、シルバーの外車が停まっていて、運転席から俊哉が手を振ってきた。
昨晩とは違う車だなと思いながら、助手席のドアを開いて乗り込む。
「お待たせしました」
「いえいえ、お疲れ様」
陽菜がシートベルトをするのを待って、車が走りだす。
「……昨日とは車が違うんですね」
「ああ、これは俺個人の車。昨日の車と運転手は、基本的には父ので、使っていなければ借りられるって感じなんだ」
運転手付きの車を所持しているなんて、俊哉の父親はずいぶんお金持ちのようだ。その父親に育てられた俊哉も、サラリーマンだとは言っていたが金銭感覚が陽菜とは全然違いそうだ。
下道を二十分ほど走り、郊外にある古民家を改装したらしい店に着いた。
控えめに出された看板を見ると、店名の上に創作イタリアンと書かれている。
これは、もしかしなくてもけっこうお高いお店なのでは。
陽菜は冷や汗をかいた。
いま財布にはいったいいくらい入っていただろうか。たぶん五千円もない。基本現金派なので、電子マネーもほとんどチャージしていない。
「さ、降りようか……どうかした?」
「や……あの……」
お金がありません。とストレートには言いづらく、口元を引きつらせることしかできない。
「そんなに気取った店じゃないし、美味しいよ。イタリアン苦手じゃなかったら、ご馳走させてほしい」
陽菜が会計を気にしているのを察したのか、俊哉がそんなことを言いだした。
しかし昨晩のバーならまだしも、今日まで奢られる筋合いはない。
「そういうわけにはいきません」
「百パーセント善意で言ってるわけじゃない。俺の話を聞いてほしい。その対価」
「はあ……」
俊哉は真顔だ。陽菜が気を使わないように理由を作ったというふうには見えない。
よくわからないが、俊哉にはなにか目的があるようだ。
それならまあ、いいか。
陽菜は俊哉と一緒に車を降りた。
そんなに気取った店ではないと俊哉は言っていたが、店内にいる女性客はワンピースにジャケットなど、結婚式ほどではないにしろお洒落をしているひとばかりだった。男性はネクタイをしているひととしていないひとが半々くらいか。
陽菜は仕事帰りだから、いつもの無地のフレアースカートに白いシャツ、そのうえに黒いカーディガンという地味な格好だ。
誰も自分のことなんて気にしていないのはわかっているのだが、少し居心地悪く感じてしまう。
車だからか酔わずに話をしたいからか、俊哉は食前酒にノンアルコールのカクテルを頼んだので、陽菜も同じものを注文した。料理はコースで出てくるようだ。
食前酒とアンティパストが出てきたところで、俊哉が話を切り出してきた。
「いくつか確認しておきたいことがあるんだけど……野崎さんていまはひとり暮らしだったよね?」
「はい。母は都内にいますけど、大学を出てからは離れて暮らしています」
昨日愚痴混じりに話したことだ。
「交際している男性はいる?」
「いいえ」
そんなひと、二十四年間生きてきて一度もいたことがない。
陽菜はいつだって、自分のことでいっぱいいっぱいだった。
「……好きなひとは?」
「えっ」
さすがにそこまでプライベートに突っ込んで聞かれると軽くムッとするが、出てきたトマトソースのパスタが美味しそうだったので正直に答えることにする。
「いません」
「そっか、それはよかった」
「よかった!?」
スパゲティを巻こうとしたフォークが止まった。
俊哉はテーブルの上で手を組んでほほ笑んでいる。
「さっきから、いったいなんなんですか」
陽菜はいったんフォークを置いて尋ねた。どうしても責めるような口調になる。
俊哉はふっと真面目な顔になった。
そして両手で陽菜の右手を握って、本気のトーンで言った。
「俺と、結婚してください」
翌日の月曜日、早番だった陽菜は九時から勤め先である公立図書館に出勤した。
白いシャツに紺色の揃いのエプロンをして髪をひとつにくくると気が引き締まる。
二十四時間使えるブックポストには、昨日の閉館以降に入れられた返却図書がどっさりあった。それらを一度カウンターのなかに運んでから背面に貼られているバーコードを読んで返却処理をし、返されたばかりの本を一時的に並べておく棚にどんどん置いていく。それを何度も繰り返す。
「ふう……」
ほぼ毎日のことながら、地味に腰にくる。司書の仕事は見た目は楽そうだが、本は量があると重いし、意外とハードなのだ。
そのうえ夜は夜でファミレスのホールでアルバイトをしている。ディナー時間帯のファミレスは、常に早歩きで移動するような忙しさだ。
陽菜はあまりタフな方ではない。職員割引きで遅い夕食を摂り午後十一時近くに家に帰った頃にはもうへとへとで、入浴するのがやっとだ。
ここまで頑張っても奨学金の返済や、ひとり暮らししているパート勤めの母親への仕送りもあるので生活はギリギリで、毎月給料日前にはカツカツになる。
早く正職員になりたい。そのためには公務員試験の勉強をしなくてはいけない。わかっていても、仕事が両方ある日はほとんど勉強を進められていない。
いっそ副業を時給の高い夜職にして、働く時間を減らして──というのも何度も考えたが、男性と話すのが得意とはいえないし、容姿だって平凡で華やかさに欠けるから、とても向いているとは思えない。
詰んでいるなと、自分でも思っている。司書を辞めて一般企業の正社員を目指した方が生活が楽になることもわかっている。
それでも陽菜は、図書館司書の仕事を諦めたくなかった。
平日の昼間、図書館はゆったりとした時間が流れている。利用者は就学前の子連れか、定年後らしき男性が多い。
そんななか陽菜は閉架コーナーで予約の入った本を探しながら、来週からの児童書のコーナー展開を考えていた。図書館の仕事はいろいろあるが、特集コーナーの企画は好きなもののひとつだ。テーマを決めて、選書し、ディスプレイをする。どれだけ子供たちの目を引く展示ができるか、腕が試される。
先週は十五夜にちなんで、〝月〟をテーマにした展示をした。
月が登場する絵本をはじめとして、天文の科学読本、お月見団子のレシピが載った本など二十冊ほどを選書し、二階への階段横の平台に展開した。
次は〝キノコ〟もいいな。それか食材ではなく料理にフォーカスして〝シチュー〟とか。などとつらつら考えていると、同僚で正職員の田辺友里が扉の向こうからひょいっと顔を出した。
「野崎さん」
「はい、あ、もうお昼ですか」
「それもあるんだけど、野崎さんに会いたいってひとがカウンターに来てて」
「私に?」
誰だろうと陽菜は首を傾げる。
友里の目は好奇心でキラキラ光っている。
「なんかね、背が高くてすっごくかっこいい男のひと」
とりあえず男性だということはわかった。友里はちょっと物事を大げさに言うところがあるので、〝男のひと〟に付随した形容詞はそのまま受け取れない。
「利用者さんかな。わかりました、いま行きます」
司書の仕事をしているとおとなしくて真面目そうに見えるらしく、この図書館に勤めて二年になるが、デートに誘われたことは二度あった。立場上きっぱり断るのは難しく、かといってやんわりと断っていてはなかなか引いてもらえず、難儀した。
またその手の輩かと思うとげんなりしてしまうが、名指しで呼び出された以上、出ていかないわけにはいかない。
閉架コーナーを出てカウンターの前に行く。
意外な人物が陽菜を見てにっこり笑い、片手を上げている。
昨日出会った、渡會俊哉だ。
「えっ……え?」
陽菜は混乱した。まず彼には、司書だという話はしたが勤め先は教えていない。
「どうしてここが?」
「新郎に聞いた」
明快な答えが返ってきた。
「今日はお仕事、お休みなんですか?」
「いや、移動の途中で寄ってもらった」
例の運転手にだろうか。
「それで、あの……」
ご用件はと言う前に、俊哉が本題を切り出してくる。
「今日は仕事、何時まで?」
「え?」
「よかったら夕食でも一緒にどうかな」
「それは……」
昨日、バーは奢ってもらったとはいえ、結婚式や二次会で散財してしまった。今日からは、もやしと米でなんとか食費を節約しようと思っているのだが。現に昼食は、肉なし野菜炒めと塩むすびのお弁当を持参している。
視線を感じ、パッと後ろを振り返る。職員が二、三人、ぴゃっと隠れた。
いつまでも好奇の視線を集めているのはつらい。
それに、昨日は奢りだったうえに家まで送ってもらったという恩義もある。
「……午後五時には終わります」
陽菜はしぶしぶ答えた。
こんな日に限って、ファミレスのシフトにも入っていない。
「オッケー、それじゃその頃に車で迎えにくるよ」
「あ、はい。すみません」
それじゃ、と手を振って、俊哉は図書館を出て行った。
彼の背中が見えなくなるのを待っていたように、こちらの様子を窺っていた職員たちがわらわらと集まってくる。
「皆さん、仕事しましょうよ」
「あのイケメンの素性と野崎さんとの関係を教えてくれたらすぐ仕事に戻るよ」
「関係というほどのものはなにも。昨日、友達の結婚式の二次会で知り合っただけです」
「結婚式の二次会! 年頃の男女の出会いの場ランキング第一位じゃん!」
友里が興奮した様子で言った。
「そうなんですか?」
「いや知らないけど」
知らないんかい。
とはいえ、あれだけかっこよくて羽振りのよさそうな、つまり女に困っていなそうなひとがわざわざ陽菜に会いに来たのは事実だ。
いったいなんの用だろう。
自分に気があるのかも、なんてことは思わない。彼の周りには、おそらく、いや絶対、綺麗で頭がキレて育ちもいい女性がごろごろしているはずだからだ。
共通の知り合いである新郎新婦になにかあったとか?
ごちゃごちゃ考えている間にも、背後では職員たちが言いたい放題言っている。
「デートだよ」
「デートだね」
「デートじゃありません」
振り返って抗議する。
「食事するだけです」
「独身の男女がふたりきりで食事したら、それはもうデートなんですってば」
友里が言い切り、みんながうんうんと頷く。
多数決でデートに決まってしまったようだ。
「ええ……」
納得はいかないが、反論する言葉も思いつかず、陽菜は逃げるように閉架室に戻った。
午後五時になった。
早番の陽菜は退勤の時間だ。
「お先に失礼します」
「お疲れ様~」
「どうぞごゆっくり~」
生温かい笑顔に見送られながら、エプロンを外し、カーディガンを羽織った格好で図書館から出る。
出入り口から五メートルほど離れたところに、シルバーの外車が停まっていて、運転席から俊哉が手を振ってきた。
昨晩とは違う車だなと思いながら、助手席のドアを開いて乗り込む。
「お待たせしました」
「いえいえ、お疲れ様」
陽菜がシートベルトをするのを待って、車が走りだす。
「……昨日とは車が違うんですね」
「ああ、これは俺個人の車。昨日の車と運転手は、基本的には父ので、使っていなければ借りられるって感じなんだ」
運転手付きの車を所持しているなんて、俊哉の父親はずいぶんお金持ちのようだ。その父親に育てられた俊哉も、サラリーマンだとは言っていたが金銭感覚が陽菜とは全然違いそうだ。
下道を二十分ほど走り、郊外にある古民家を改装したらしい店に着いた。
控えめに出された看板を見ると、店名の上に創作イタリアンと書かれている。
これは、もしかしなくてもけっこうお高いお店なのでは。
陽菜は冷や汗をかいた。
いま財布にはいったいいくらい入っていただろうか。たぶん五千円もない。基本現金派なので、電子マネーもほとんどチャージしていない。
「さ、降りようか……どうかした?」
「や……あの……」
お金がありません。とストレートには言いづらく、口元を引きつらせることしかできない。
「そんなに気取った店じゃないし、美味しいよ。イタリアン苦手じゃなかったら、ご馳走させてほしい」
陽菜が会計を気にしているのを察したのか、俊哉がそんなことを言いだした。
しかし昨晩のバーならまだしも、今日まで奢られる筋合いはない。
「そういうわけにはいきません」
「百パーセント善意で言ってるわけじゃない。俺の話を聞いてほしい。その対価」
「はあ……」
俊哉は真顔だ。陽菜が気を使わないように理由を作ったというふうには見えない。
よくわからないが、俊哉にはなにか目的があるようだ。
それならまあ、いいか。
陽菜は俊哉と一緒に車を降りた。
そんなに気取った店ではないと俊哉は言っていたが、店内にいる女性客はワンピースにジャケットなど、結婚式ほどではないにしろお洒落をしているひとばかりだった。男性はネクタイをしているひととしていないひとが半々くらいか。
陽菜は仕事帰りだから、いつもの無地のフレアースカートに白いシャツ、そのうえに黒いカーディガンという地味な格好だ。
誰も自分のことなんて気にしていないのはわかっているのだが、少し居心地悪く感じてしまう。
車だからか酔わずに話をしたいからか、俊哉は食前酒にノンアルコールのカクテルを頼んだので、陽菜も同じものを注文した。料理はコースで出てくるようだ。
食前酒とアンティパストが出てきたところで、俊哉が話を切り出してきた。
「いくつか確認しておきたいことがあるんだけど……野崎さんていまはひとり暮らしだったよね?」
「はい。母は都内にいますけど、大学を出てからは離れて暮らしています」
昨日愚痴混じりに話したことだ。
「交際している男性はいる?」
「いいえ」
そんなひと、二十四年間生きてきて一度もいたことがない。
陽菜はいつだって、自分のことでいっぱいいっぱいだった。
「……好きなひとは?」
「えっ」
さすがにそこまでプライベートに突っ込んで聞かれると軽くムッとするが、出てきたトマトソースのパスタが美味しそうだったので正直に答えることにする。
「いません」
「そっか、それはよかった」
「よかった!?」
スパゲティを巻こうとしたフォークが止まった。
俊哉はテーブルの上で手を組んでほほ笑んでいる。
「さっきから、いったいなんなんですか」
陽菜はいったんフォークを置いて尋ねた。どうしても責めるような口調になる。
俊哉はふっと真面目な顔になった。
そして両手で陽菜の右手を握って、本気のトーンで言った。
「俺と、結婚してください」