愛なき凸凹夫婦だったのに、生まじめ妻は御曹司の熱情愛に堕ちる
着替えをして近所のカフェでランチを食べてから、ふたりで一緒に区役所へ出向き、婚姻届けと陽菜の転入届を提出した。
かくして〝野崎陽菜〟は〝渡會陽菜〟となったわけだが、実感はまったく湧かない。友人の結婚式に行ったときには結婚なんて完全に他人事だったのに、どうしてこうなった。
書類の手続きが終わったあとは、車で銀座まで出た。
「指輪はどこのがいいかな。好きなブランドがあれば言ってほしい」
「全然わからないのでなんでもいいです……」
展開の速さと情報量の多さについていけず、陽菜はなかば呆然としている。
そして俊哉は陽菜とは対照的にウキウキしている。
「どうした。テンション低いね」
「そういう渡會さんは元気いっぱいですね」
「〝渡會さん〟はないんじゃないか。きみだってもう渡會さんなんだから」
それもそうだ。
「……俊哉さん」
「なんだい陽菜」
初めて名前で呼び合ってしまった。
なんだか恥ずかしくて、ぶわっと頬が熱くなる。
名前を呼ぶだけでこんなになっていて、はたしてこれから一緒に暮らしていけるのだろうか。
「そんなに照れられるとこっちも照れてきちゃうな」
なんて言っているが、俊哉は平然としている。ように見える。
少しして、俊哉は車をパーキングに停めた。
歩きだした俊哉におとなしくついていく。
銀座なんて来たのはいつぶりだろう。数年前に来たときよりも外国人観光客の姿がずいぶん増えた。
「特にこだわりはないみたいだから、俺がたまに使ってる店に行こうと思う」
「おまかせします」
いくらも歩かずに着いたのは、貴金属に詳しくない陽菜でも知っているブランドの路面店だった。入り口の前にはガードマンが立っている。
店構えからして高そうで、腰が引ける。
「こ、ここですか」
「うん。ネクタイピンとかカフスとか、たまに買いにくるんだ」
どぎまぎしている陽菜をよそに、俊哉は慣れた様子でガードマンに扉を開けてもらい店内に入っていく。
「わあ……」
店内の三分の一ほどは吹き抜けになっていて、高い位置にあるシャンデリアのきらびやかな明かりがとても綺麗だ。
ボルドーのカーペットが敷き詰められた床の上には、ゆとりのある配置でショーケースが並んでいる。
「渡會さま、いらっしゃいませ」
完璧な化粧を施した上品な女性たちのひとりが、恭しく頭を下げてきた。
「なにかお探しでしょうか」
「エンゲージリングとマリッジリングを見せてもらえますか」
「かしこまりました」
「えっ」
「ん?」
「もう婚姻届けは出したんですし、エンゲージリングはなくてもいいのでは」
「陽菜は欲がないね。せっかくだから見せてもらおう。見たら欲しくなるかもしれないし」
「はあ……」
「では、お二階へどうぞ」
店員に案内されて螺旋階段を上がった先には、応接スペースがほどよく距離を空けて設置されていた。そのひとつにふたりで並んで座る。
「ご希望のタイプなどございますか?」
「エンゲージリングはオーソドックスな感じのがいいな。マリッジリングは、ここの定番と新作と両方見せてください」
「かしこまりました。少々お待ちくださいませ」
陽菜がなにも言わないというか言えないうちに、俊哉と店員の間で話が進んでいく。
少しして、店員が赤いベルベットの布が敷かれた四角いトレイに指輪をいくつか載せて戻ってきた。
「まずはエンゲージリングをお持ちしました」
「わあ……っ」
シャンデリアの光を受けたダイヤモンドが煌めくのを見て、思わず声が出た。
なんて綺麗なんだろう。身を乗り出してうっとりと見入ってしまう。
「どうぞはめてみてください」
頷きかけて、ハッとした。左手を右手で隠すようにしてしまう。
「やっぱりいいです」
「どうしたの? はめてみようよ」
「……私の手、綺麗じゃないから」
小さい声になった。
常に紙に触っているような仕事なので、陽菜の手はいつも荒れ気味だ。爪を伸ばすこともできないし、ネイルもナチュラルなマニキュアだけだ。
「綺麗だよ」
俊哉に左手をとられた。
「うそ」
「ほんと。働き者の、綺麗な手だ」
俊哉はトレイに載ったいくつかの指輪のなかから、ダイヤが一番大きなものを選んで陽菜の左手の薬指にはめた。サイズは、ぴったりだった。
「ほら、よく似合ってる」
輝きに目が吸い寄せられる。胸がドキドキした。
まだ家業だった町工場がうまくいっていた頃、父がおもちゃ屋で子供向けのアクセサリーセットを買ってくれたことがあった。ガラス玉ですらないプラスチックの宝石でも陽菜にはキラキラ輝いて見えたし、指輪を指にはめた自分がお姫様になったみたいに思えた。
そんな幼い頃のときめきが胸に蘇る。
エンゲージリングなんて、もらえるとも欲しいとも思っていなかったのに。一度指にはめたら、もう外したくなくなってしまった。
「──これにします」
「ありがとうございます」
俊哉と店員の会話を聞いて我に返った。
「え、あの、これ」
宝石にまったく造詣が深くない陽菜だって、このダイヤの大きさと輝きが尋常じゃないことくらいわかる。値札はついていないが、かなり値の張るものだろう。
「気に入ったものが一番だよ。それに、よく似合ってる」
「でも……」
俊哉はなかなか頷けないでいる陽菜にぐっと顔を近づけた。
「素直に喜んでもらえると嬉しいな、俺は」
俊哉の言葉はまっすぐに胸に届いた。
ふたりの結婚に愛情はない。それでも一緒に暮らしていく以上、俊哉なりに陽菜のことを大事にしてくれようとしてくれているように思えた。
本当にもらっていいのだろうか。こんな目のくらむようなダイヤを、自分なんかが。
恐る恐る視線を上げる。
目が合うと俊哉は微笑んでひとつ頷いた。
「……こんな素敵な指輪、夢みたいです」
陽菜は左手を右手で包み、胸に当ててはにかんだように笑った。
かくして〝野崎陽菜〟は〝渡會陽菜〟となったわけだが、実感はまったく湧かない。友人の結婚式に行ったときには結婚なんて完全に他人事だったのに、どうしてこうなった。
書類の手続きが終わったあとは、車で銀座まで出た。
「指輪はどこのがいいかな。好きなブランドがあれば言ってほしい」
「全然わからないのでなんでもいいです……」
展開の速さと情報量の多さについていけず、陽菜はなかば呆然としている。
そして俊哉は陽菜とは対照的にウキウキしている。
「どうした。テンション低いね」
「そういう渡會さんは元気いっぱいですね」
「〝渡會さん〟はないんじゃないか。きみだってもう渡會さんなんだから」
それもそうだ。
「……俊哉さん」
「なんだい陽菜」
初めて名前で呼び合ってしまった。
なんだか恥ずかしくて、ぶわっと頬が熱くなる。
名前を呼ぶだけでこんなになっていて、はたしてこれから一緒に暮らしていけるのだろうか。
「そんなに照れられるとこっちも照れてきちゃうな」
なんて言っているが、俊哉は平然としている。ように見える。
少しして、俊哉は車をパーキングに停めた。
歩きだした俊哉におとなしくついていく。
銀座なんて来たのはいつぶりだろう。数年前に来たときよりも外国人観光客の姿がずいぶん増えた。
「特にこだわりはないみたいだから、俺がたまに使ってる店に行こうと思う」
「おまかせします」
いくらも歩かずに着いたのは、貴金属に詳しくない陽菜でも知っているブランドの路面店だった。入り口の前にはガードマンが立っている。
店構えからして高そうで、腰が引ける。
「こ、ここですか」
「うん。ネクタイピンとかカフスとか、たまに買いにくるんだ」
どぎまぎしている陽菜をよそに、俊哉は慣れた様子でガードマンに扉を開けてもらい店内に入っていく。
「わあ……」
店内の三分の一ほどは吹き抜けになっていて、高い位置にあるシャンデリアのきらびやかな明かりがとても綺麗だ。
ボルドーのカーペットが敷き詰められた床の上には、ゆとりのある配置でショーケースが並んでいる。
「渡會さま、いらっしゃいませ」
完璧な化粧を施した上品な女性たちのひとりが、恭しく頭を下げてきた。
「なにかお探しでしょうか」
「エンゲージリングとマリッジリングを見せてもらえますか」
「かしこまりました」
「えっ」
「ん?」
「もう婚姻届けは出したんですし、エンゲージリングはなくてもいいのでは」
「陽菜は欲がないね。せっかくだから見せてもらおう。見たら欲しくなるかもしれないし」
「はあ……」
「では、お二階へどうぞ」
店員に案内されて螺旋階段を上がった先には、応接スペースがほどよく距離を空けて設置されていた。そのひとつにふたりで並んで座る。
「ご希望のタイプなどございますか?」
「エンゲージリングはオーソドックスな感じのがいいな。マリッジリングは、ここの定番と新作と両方見せてください」
「かしこまりました。少々お待ちくださいませ」
陽菜がなにも言わないというか言えないうちに、俊哉と店員の間で話が進んでいく。
少しして、店員が赤いベルベットの布が敷かれた四角いトレイに指輪をいくつか載せて戻ってきた。
「まずはエンゲージリングをお持ちしました」
「わあ……っ」
シャンデリアの光を受けたダイヤモンドが煌めくのを見て、思わず声が出た。
なんて綺麗なんだろう。身を乗り出してうっとりと見入ってしまう。
「どうぞはめてみてください」
頷きかけて、ハッとした。左手を右手で隠すようにしてしまう。
「やっぱりいいです」
「どうしたの? はめてみようよ」
「……私の手、綺麗じゃないから」
小さい声になった。
常に紙に触っているような仕事なので、陽菜の手はいつも荒れ気味だ。爪を伸ばすこともできないし、ネイルもナチュラルなマニキュアだけだ。
「綺麗だよ」
俊哉に左手をとられた。
「うそ」
「ほんと。働き者の、綺麗な手だ」
俊哉はトレイに載ったいくつかの指輪のなかから、ダイヤが一番大きなものを選んで陽菜の左手の薬指にはめた。サイズは、ぴったりだった。
「ほら、よく似合ってる」
輝きに目が吸い寄せられる。胸がドキドキした。
まだ家業だった町工場がうまくいっていた頃、父がおもちゃ屋で子供向けのアクセサリーセットを買ってくれたことがあった。ガラス玉ですらないプラスチックの宝石でも陽菜にはキラキラ輝いて見えたし、指輪を指にはめた自分がお姫様になったみたいに思えた。
そんな幼い頃のときめきが胸に蘇る。
エンゲージリングなんて、もらえるとも欲しいとも思っていなかったのに。一度指にはめたら、もう外したくなくなってしまった。
「──これにします」
「ありがとうございます」
俊哉と店員の会話を聞いて我に返った。
「え、あの、これ」
宝石にまったく造詣が深くない陽菜だって、このダイヤの大きさと輝きが尋常じゃないことくらいわかる。値札はついていないが、かなり値の張るものだろう。
「気に入ったものが一番だよ。それに、よく似合ってる」
「でも……」
俊哉はなかなか頷けないでいる陽菜にぐっと顔を近づけた。
「素直に喜んでもらえると嬉しいな、俺は」
俊哉の言葉はまっすぐに胸に届いた。
ふたりの結婚に愛情はない。それでも一緒に暮らしていく以上、俊哉なりに陽菜のことを大事にしてくれようとしてくれているように思えた。
本当にもらっていいのだろうか。こんな目のくらむようなダイヤを、自分なんかが。
恐る恐る視線を上げる。
目が合うと俊哉は微笑んでひとつ頷いた。
「……こんな素敵な指輪、夢みたいです」
陽菜は左手を右手で包み、胸に当ててはにかんだように笑った。