部長と私の秘め事
 朱里はそこにいるだけで美しく、見ていて飽きない。

 いい匂いがして、あの大きな胸に触ってみたい……、のをグッと堪えた。それをしたら犯罪になる事ぐらい分かっている。

 だから、一線を越えないよう気をつけていた。

 でも触ってみたくて、側に居たくて……、……その気持ちが朱里を余計に遠ざける結果になり、姉妹の軋轢を生んだとは思っていなかった。

「……鈍感、か……」

 付き合っていた彼女とは、いい関係だった。

 彼女は元勤めていたゲーム会社の同僚で、お互い尊重できたし仕事の理解もある上、高価な物に興味を持たない人で気楽に付き合えた。

 でも記念日には少し値の張る贈り物をすると、とても喜んでくれていた。

 元カノには朱里の事を〝父の再婚相手の連れ子〟と説明したものの、頻繁に名前を出したつもりはなかった。

 ただ、元カノは結婚を視野に入れて真剣に付き合ってくれていたから、俺の心境の変化にピンときたのかもしれない。

『自分の彼氏は心の中に自分ではない〝誰か〟を気にかけている』……と。

 だからこう言って別れを切り出された。

『私は亮平くんの事が好きだけど、君はそれほどじゃないみたい。このまま一緒にいても幸せにはなれない気がするから、一旦距離を置こうか』

 そう言われて初めて、自分が元カノに不誠実な態度を取っていたのを自覚した。

 ――どうすればいいんだ。

 血が繋がっていないとはいえ、兄が妹を好きになるなんて駄目だ。

 連れ子同士なら法律的に問題ないだろうし、世間にはそういうカップル、夫婦もいるだろう。

 でも再婚してやっと落ち着いた父を困らせたくないし、若菜さんだって見えないところで苦労して、ようやく上村家に溶け込んだだろう。

 自分の気持ち一つで家庭を崩壊させるなど、あってはいけない。

 だから我慢して、この想いを秘めて風化させようと思っていたのに――。

『結婚するつもりだから、その内ちゃんと連れてくる』

 年末のあの言葉を聞いて、気持ちがグラッと揺れた。

 ――このままでは朱里は他の男のものになる。

 ――俺が代わりに結婚したいなんて思ってない。でもちょっとぐらい……。

 その〝ちょっと〟で、自分の人生を壊すつもりはない。ただ、今までろくに話せなかった分、ゆっくり向き合ってみたかっただけだ。

 けど、その結果……。

「……問題は俺自身か」

 あんなに気になっていたのに、実は女性として真剣に想っていたわけではないと教えられ、少しショックだった。

「……しかも速水さん、……いい男すぎるだろ」

 俺は彼を思い出し、溜め息をつく。

 自分の事を〝比較的高身長で割とスペックの高い男〟と思っていたが、〝本物〟である彼を前にして一瞬で負けを感じた。

 美形なのは言わずもがな、着ている物、時計、靴、何気ない物に至るまですべて高級品だと分かったし、俺より身長が高くて立ち姿が堂々としている。

 鍛えている人は体幹がしっかりしていて、ただ立っているだけでもオーラがある。

 俺も一応鍛えているつもりだったが、速水さんと比べれば全然だ。

「世の中、色んな人がいるんだなぁ……。会社の先輩や凄腕エンジニアに憧れてるぐらいじゃ、まだまだだ」

 そんな俺が、実は速水さんは総資産が数十億を超える投資家で、篠宮ホールディングスの御曹司と知るのは後日の事だ。





「ただいま」

 実家に帰ると、二階から美奈歩が下りてきた。

「おかえり! お兄ちゃん」

 美奈歩とは四つ歳が離れているからか、喧嘩らしい喧嘩をした事がない。

 周囲から『亮平はのんびりした性格だから』と言われるのもあるかもしれない。

 美奈歩は朱里には当たりが強いらしいが、俺の目から見るとちょっと可愛い我が儘は言うものの、家族想いのいい妹だ。

 だから知らないところで朱里が苦労していたのに、気づいてやれなかった。

「亮平くん、お帰り。朱里は延期みたいね。迎えに行ってくれたみたいなのに、ごめんなさいね」

 若菜さんがリビングから出てきて、気遣う笑みを浮かべる。

「事情があったから仕方ないよ」

 詳細を言う訳にいかず、俺は苦笑いして誤魔化す。

 本当ならあのあと三人で上村家へ向かっても良かったが、速水さんがこう言ったのだ。
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