部長と私の秘め事
 朱里はそんな事一言も言っていなかったし、俺もそんな印象を抱いていなかった。

 もしも朱里が『男なんてちょろい』と思う女性なら、鈍い俺でも少しは感じとったはずだ。

 俺は学生時代はあまりパッとしない感じだったが、今はある程度モテる。

 そうなるにつれて、合コンに行った時に俺を狙う女性の視線やアピールする態度や言葉、女性同士のマウントを取り合う雰囲気が分かるようになった。

 朱里には『鈍感』と言われたが、これでも厄介な相手になりそうな人にはアンテナを立てていたつもりだ。

 だから、もしも朱里が俺や父を手玉に取っていたなら、気づいていた自信はある。

(俺が朱里に惹かれたのは、外見に似合わない不安定さや自信のなさとか、そういう面だったもんな。そもそも、魔性っぽい女は好みじゃないし)

 だから、誤解を与えないように否定しておいた。

「多分、美奈歩は勘違いしてると思う。こう言うと『朱里の味方をした』って怒るかもしれないが、あいつはモテて喜ぶタイプじゃないし、美奈歩とは認識のズレができていると思う」

「……なんでそう言えるの?」

 妹は不機嫌そうに俺を睨む。

「……今日迎えに行った時、車の中で話したんだよ。……あいつが結婚するって言ったから、俺は思っていた事を打ち明けてしまった。そしたら今まで家庭内で美奈歩とギクシャクしていた原因が、俺にあると言われて叱られた」

「私の事話してたの? やな感じ」

 美奈歩はあからさまな拒否感を醸し出すが、俺は根気強く話す。

「結婚して別の家庭を持つ前に、分かり合いたかったんだよ。美奈歩だって、これからずっと朱里に苦手意識を抱いたまま姉妹として過ごしていくのか?」

 そう言うと、美奈歩はクッションに顔の下半分を埋めて黙る。

「俺も父さんも〝とられて〟ないよ。確かに若菜さんと朱里に気を遣ってはいたけど、美奈歩の存在を疎かにしたつもりはない。お前は母さんがいなくなったあと、家事を頑張ってくれたし、俺と父さんの口数が少ない分、努めて明るく振る舞ってくれた。……それにろくに報いないまま、再婚して若菜さんと朱里がきて、全部うやむやになったよな。ごめん」

 恐らく一番引っ掛かっているだろう事を指摘すると、美奈歩はポロッと涙を零した。

「……っだって……、あの母子、美人だし、お兄ちゃんもお父さんもデレデレして、私の事なんてどうでもいいのかと思った。お母さんとの思い出も、私たち四人の思い出も、新しい家族に上書きされて〝なかった〟事になりそうで怖かった……っ」

 これが普段強気に振る舞っている美奈歩の、本音なんだろう。

「そんな事ないよ。母さんの事は今も大切に思ってるし、俺と美奈歩はたった二人の兄妹だ。……でも、第二の家族としてやっていくために、〝大切〟を少し増やしていこう。すぐに受け入れなくていいし、大好きにならなくていい。……でも、意地を張って何も話さず拒否するのはやめよう。そんなの、母さんも望んでないよ」

「うん……」

 美奈歩の頭を撫でると、彼女はボロボロと涙を流して頷いた。

「若菜さんも朱里も、母さんの仏壇に手を合わせてくれるし、墓参りに行った時もとても丁寧に掃除をしてくれてる。血は繋がってなくても、思いやり合う事はできるよ。今からでも遅くない。今度朱里が帰ってきたら、話し合えないか?」

 優しく尋ねると、妹は手で涙を拭いながら頷いた。



**



 ドライブを経て東京に戻った私は、尊さんの家にお邪魔した。

「夕方だけど、飯どうする?」

「まだお腹空いてないです。食べろって言われたら食べれますけど」

「いや、やめとこう。少しゆっくりして、二十時ぐらいになったらラーメンでも食うか」

「やった! ラーメン! チャーシュー麺食べます! 煮卵と海苔とメンマもトッピング」

「頼もしいわ……」

 尊さんは私の言葉を聞いて苦笑いする。

「また『俺、おっさんだから……』とか言うんですか? 尊さん、結構食べるじゃないですか」

「いやぁ……、物によりかな? いけるのはいけるけど、背脂ギラギラにんにくたっぷりはつらくなってきた。揚げ物も使ってる油によってはきついかなぁ……」

 遠い目で言うものだから、私までしょんぼりしてしまう。

「寂しい事言わないでくださいよ」

「いや、行きつけの店のはまだまだ大丈夫だ。今度、美味いとんかつ屋とか天ぷら屋に連れてくよ」

「はい!」

 ソファに座ってスマホを見ていると、尊さんがコーヒーを淹れてお茶菓子も出してくれる。今日のお供はプレスバターサンドだ。間違いない。

「そうだ、さっき言ってた『マレーナ』って映画、どんなのです?」

「ん? じゃあ、一緒に見るか? 確か配信にあったはずだけど」

 そう言って尊さんはリモコンを操作して、映画を検索する。
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