部長と私の秘め事
「現地で踊る時って、パートナーいるんですか?」
「あー、本当にその場にいた人だからな。老若男女問わずだ」
「へええ……。そんなに色んな人が踊るんですか?」
私の感覚だと、おじさんおばさんが踊るって言ったら、町内会の盆踊りとかお祭りぐらいしか思いつかない。
「踊りや音楽の根付き方がちょっと違うように感じる。日本でいきなり歌い出したら、変な目で見られるだろ?」
「確かに」
「向こうだと飲食店やバルで割と普通に歌うし、音楽が流れたら自然と踊りだす人もいる。割と身近なんだよ」
「そっかー……」
私は尊さんの話を聞いたあと、スマホでアルゼンチンタンゴを検索して動画を見始める。
「わ……、凄い。足さばきが人間じゃない。うわっ、女性の脚なっが! っていうか、セクシー……」
「今度、機会があったらフラメンコとかアルゼンチンタンゴ、見に行くか」
「行きたい!」
私はピッと挙手する。
「そういうの、やってるんですか?」
「割とあるな。日本は世界で二番目にフラメンコの競技人口が多い国で、あちこちに教室があって定期的にショーをやってる。それを出し物にしてる飲食店もあるし。アルゼンチンタンゴも、海外ダンサーを呼んでの公演が年に何回かあるな。バンドネオンやピアノとかの生演奏もあって、音楽だけでも楽しめる」
「バンドネオン?」
聞き慣れない単語に、私は首を傾げる。
「アコーディオンみたいなやつ。鍵盤はなくて、沢山穴が空いててそれを指で塞ぎ、空気を入れて奏でる」
「へええ……」
「タンゴのピアノやヴァイオリンって、クラシックとはまた違う鳴り方をしてて、すげぇいいんだよ。お上品な曲だけじゃねぇって教えてくれる」
彼の言葉を聞いて、尊さんがピアノを嗜んでいる事を思いだす。
「……尊さんは、ピアノを弾く時はクラシック? ジャズ専門?」
「両方弾くかな。教室に通ってた時はクラシック専門だった」
彼は少し遠くを見て微笑む。
「……でも正直、ピアノを習ってた頃はきつい事が多かった。自宅にいても息苦しいのに、息抜きのピアノでも楽譜通りに弾いてコンクールを目指して……っていうのがつらかった。……だからジャズの型破りで自由なリズムに惹かれた」
尊さんの過去を知った今だからこそ、彼の言いたい事がとても分かった。
「ジャズを始めて世界が広がったように思えたな。でたらめに弾いているようでいながら、ちゃんと法則や構成があるんだ。コードも必要だ。クラシックも悪くねぇけど、アドリブを効かせられるジャズがとても魅力的に感じた」
そう言って尊さんは私の腕に手を置いて、ピアノを奏でるように指を動かし、優しく微笑む。
「最初の質問からズレたけど、歌や踊りって言葉が通じなくても〝分かる〟だろ? だから好きっていうのもあるのかな」
「あぁー、確かに」
洋楽はなんて歌ってるのかよく分からないけど、それでも『この曲好き!』ってなる。
「最初、海外にフラッと行き始めたのは、東京にいるのがしんどかったからだ。怜香の目が届かない場所で、自由に色んなものを楽しみたかった。……飼い殺しは心を殺すからな」
語り始めた事は、きっと尊さんの心の大事な部分だ。
「初めて行ったのはイギリスだった。すげぇ単純な理由だけど、現代でも貴族がいる国ってずっと気になってた」
「分かります」
「ロンドンのセント・パンクラス駅に、ストリートピアノがあるって知っていたから、腕試しにエルガーを弾いてみた」
そこまで言い、尊さんは自分の太腿の上に両手を置く。
『威風堂々』なら私も知っている。……というか、レトルト中華のCMでお馴染みになってしまった。
「曲を弾いたら、周りにいた人たちが歌い始めてくれた。日本人って盛り上がったからって『君が代』歌わねぇだろ。でも向こうの人は何かあれば国家を歌うし、自分たちが誇りに思っている自国の曲も歌う。俺はその時、『音楽を通じてどこかに属する事ができた』って感じて、凄く嬉しかったんだ」
ずっと孤立していた尊さんが、そう思って喜びを得る気持ちはとても分かる。
積極的に友達も恋人も作らなかった彼にとって、怜香さんの力が及ばない海外で、音楽を通じてコミュニケーションをとる事はとても重要だったんだろう。
「海外デビューみたいな感じで、すげぇ饒舌に色んな人と話したな。そりゃあ、楽しい事ばっかりじゃなかったけど、体当たりで色んな人と関わった」
尊さんはいつの間にか私の手を握り、何とはなしに私の指を辿っている。
「ヴァイオリンも少し教えてもらったけど、俺のメインはピアノだ。でも持ち歩けるもんじゃない。『じゃあ、自分を表現する方法ってあとはなんだ?』って思った時、ダンスだと思った」
「そっか……」
尊さんがダンスを踊るようになった思考の流れを知り、私は頷く。
「俺はその国の歴史や職人芸、伝統的なものに惹かれた。色んな人、国、文化のルーツを知りたかったのかな。流行のものは、日本にいても触れられるような気がしたから」
「確かにそうですね。日本に憧れる海外の人も、日本人の職人が握ったお寿司や伝統芸能、伝統工芸品に惹かれていると思います。……尊さんは、他にどこの国に行きました?」
「ヨーロッパはフラフラあちこち歩いて、あとは中国や東南アジア、アメリカ、オーストラリアも行った。南半球の遠い所はなかなか気軽に行けねぇけど」
「いいなぁ。尊さんと一緒にあちこち行ってみたい」
「朱里と一緒なら、すげぇ楽しいだろうな。お前となんでも分かちあえると思うと、今からワクワクする」
「私も!」
二人で言い合ったあとクスクス笑い、自然とキスをした。
**
週末の帰省未遂はそんな感じで終わり、一月十五日の月曜日からまた仕事に戻る。
その頃には、社内の掲示板に経理部長の怜香さんが解雇となった旨が書かれ、皆がざわついていた。
デスクについていても、つい耳をそばだててしまう。
「社長夫人が捕まった」「速水部長のお母さん」「不倫」「社長の二股」「ひき逃げ」……。
そんな言葉が聞こえてきて、胸の奥がギュッとなる。
皆、透明なパーティション越しに尊さんを気にしていたけれど、彼はいつも通りを貫いていた。
やがて上層部で会議が開かれる事になった。
「どうなるんだろね」
お昼休みに社食でランチをとっている時、恵がボソッと言う。
「あー、本当にその場にいた人だからな。老若男女問わずだ」
「へええ……。そんなに色んな人が踊るんですか?」
私の感覚だと、おじさんおばさんが踊るって言ったら、町内会の盆踊りとかお祭りぐらいしか思いつかない。
「踊りや音楽の根付き方がちょっと違うように感じる。日本でいきなり歌い出したら、変な目で見られるだろ?」
「確かに」
「向こうだと飲食店やバルで割と普通に歌うし、音楽が流れたら自然と踊りだす人もいる。割と身近なんだよ」
「そっかー……」
私は尊さんの話を聞いたあと、スマホでアルゼンチンタンゴを検索して動画を見始める。
「わ……、凄い。足さばきが人間じゃない。うわっ、女性の脚なっが! っていうか、セクシー……」
「今度、機会があったらフラメンコとかアルゼンチンタンゴ、見に行くか」
「行きたい!」
私はピッと挙手する。
「そういうの、やってるんですか?」
「割とあるな。日本は世界で二番目にフラメンコの競技人口が多い国で、あちこちに教室があって定期的にショーをやってる。それを出し物にしてる飲食店もあるし。アルゼンチンタンゴも、海外ダンサーを呼んでの公演が年に何回かあるな。バンドネオンやピアノとかの生演奏もあって、音楽だけでも楽しめる」
「バンドネオン?」
聞き慣れない単語に、私は首を傾げる。
「アコーディオンみたいなやつ。鍵盤はなくて、沢山穴が空いててそれを指で塞ぎ、空気を入れて奏でる」
「へええ……」
「タンゴのピアノやヴァイオリンって、クラシックとはまた違う鳴り方をしてて、すげぇいいんだよ。お上品な曲だけじゃねぇって教えてくれる」
彼の言葉を聞いて、尊さんがピアノを嗜んでいる事を思いだす。
「……尊さんは、ピアノを弾く時はクラシック? ジャズ専門?」
「両方弾くかな。教室に通ってた時はクラシック専門だった」
彼は少し遠くを見て微笑む。
「……でも正直、ピアノを習ってた頃はきつい事が多かった。自宅にいても息苦しいのに、息抜きのピアノでも楽譜通りに弾いてコンクールを目指して……っていうのがつらかった。……だからジャズの型破りで自由なリズムに惹かれた」
尊さんの過去を知った今だからこそ、彼の言いたい事がとても分かった。
「ジャズを始めて世界が広がったように思えたな。でたらめに弾いているようでいながら、ちゃんと法則や構成があるんだ。コードも必要だ。クラシックも悪くねぇけど、アドリブを効かせられるジャズがとても魅力的に感じた」
そう言って尊さんは私の腕に手を置いて、ピアノを奏でるように指を動かし、優しく微笑む。
「最初の質問からズレたけど、歌や踊りって言葉が通じなくても〝分かる〟だろ? だから好きっていうのもあるのかな」
「あぁー、確かに」
洋楽はなんて歌ってるのかよく分からないけど、それでも『この曲好き!』ってなる。
「最初、海外にフラッと行き始めたのは、東京にいるのがしんどかったからだ。怜香の目が届かない場所で、自由に色んなものを楽しみたかった。……飼い殺しは心を殺すからな」
語り始めた事は、きっと尊さんの心の大事な部分だ。
「初めて行ったのはイギリスだった。すげぇ単純な理由だけど、現代でも貴族がいる国ってずっと気になってた」
「分かります」
「ロンドンのセント・パンクラス駅に、ストリートピアノがあるって知っていたから、腕試しにエルガーを弾いてみた」
そこまで言い、尊さんは自分の太腿の上に両手を置く。
『威風堂々』なら私も知っている。……というか、レトルト中華のCMでお馴染みになってしまった。
「曲を弾いたら、周りにいた人たちが歌い始めてくれた。日本人って盛り上がったからって『君が代』歌わねぇだろ。でも向こうの人は何かあれば国家を歌うし、自分たちが誇りに思っている自国の曲も歌う。俺はその時、『音楽を通じてどこかに属する事ができた』って感じて、凄く嬉しかったんだ」
ずっと孤立していた尊さんが、そう思って喜びを得る気持ちはとても分かる。
積極的に友達も恋人も作らなかった彼にとって、怜香さんの力が及ばない海外で、音楽を通じてコミュニケーションをとる事はとても重要だったんだろう。
「海外デビューみたいな感じで、すげぇ饒舌に色んな人と話したな。そりゃあ、楽しい事ばっかりじゃなかったけど、体当たりで色んな人と関わった」
尊さんはいつの間にか私の手を握り、何とはなしに私の指を辿っている。
「ヴァイオリンも少し教えてもらったけど、俺のメインはピアノだ。でも持ち歩けるもんじゃない。『じゃあ、自分を表現する方法ってあとはなんだ?』って思った時、ダンスだと思った」
「そっか……」
尊さんがダンスを踊るようになった思考の流れを知り、私は頷く。
「俺はその国の歴史や職人芸、伝統的なものに惹かれた。色んな人、国、文化のルーツを知りたかったのかな。流行のものは、日本にいても触れられるような気がしたから」
「確かにそうですね。日本に憧れる海外の人も、日本人の職人が握ったお寿司や伝統芸能、伝統工芸品に惹かれていると思います。……尊さんは、他にどこの国に行きました?」
「ヨーロッパはフラフラあちこち歩いて、あとは中国や東南アジア、アメリカ、オーストラリアも行った。南半球の遠い所はなかなか気軽に行けねぇけど」
「いいなぁ。尊さんと一緒にあちこち行ってみたい」
「朱里と一緒なら、すげぇ楽しいだろうな。お前となんでも分かちあえると思うと、今からワクワクする」
「私も!」
二人で言い合ったあとクスクス笑い、自然とキスをした。
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週末の帰省未遂はそんな感じで終わり、一月十五日の月曜日からまた仕事に戻る。
その頃には、社内の掲示板に経理部長の怜香さんが解雇となった旨が書かれ、皆がざわついていた。
デスクについていても、つい耳をそばだててしまう。
「社長夫人が捕まった」「速水部長のお母さん」「不倫」「社長の二股」「ひき逃げ」……。
そんな言葉が聞こえてきて、胸の奥がギュッとなる。
皆、透明なパーティション越しに尊さんを気にしていたけれど、彼はいつも通りを貫いていた。
やがて上層部で会議が開かれる事になった。
「どうなるんだろね」
お昼休みに社食でランチをとっている時、恵がボソッと言う。