部長と私の秘め事
「そろそろ帰ろうかな」と思いつつリビングに戻ると、母と継父は何か話していたようだが、二人は私を見て取り繕うように微笑んだ。

(何か話してたかな。尊さんの事で何か言ってたなら、教えてほしいけど……)

 ソファに座りつつ少し不安になっていると、母が口を開いた。

「お母さん、朱里に謝らないとならないわね」

「なんで?」

 目を瞬かせると、母は切なげに微笑んで話し始める。

「お父さんを亡くしてからつらそうとは思っていたけど、まさか名古屋に行った時に死のうとしていたなんて知らなくて……。様子がおかしいとは思っていたけど、まさか……」

「あ……」

 母の表情を見て、ズキリと胸が痛む。

 私は自分の事で精一杯だったし、あの時に尊さんと出会ったから今がある、という美談がある。

 けれど母からすれば、あと少し運命が違っていたら、たった一人の娘を亡くしていた。

 あれから十二年経ち、私はピンピン元気に過ごしているとしても、母としてはショックだったんだろう。

「……ごめん」

 謝ると、母は小さく首を横に振った。

「お母さんこそ、気付けなくてごめんね。お父さんを亡くして『これからどうやって生きていこう』と考えてばっかりで、朱里をちゃんと見られていなかった」

「……そう思うのは当たり前だよ。母子家庭になったなら、子供をどう養っていくか悩むのは当然だし、私の事だけ考えられないのは分かってた」

「でも、子供のSOSを感じられなかったのは、母親として失格だったわ」

 母は溜め息をついたあと、チラッと亮平と美奈歩のほうを見る。

「それに、言い出しづらかったけど、亮平くんと美奈歩ちゃんと折り合いが悪かった事についても、口だしすべきか分からなくて、悩んだ結果何も言えずにいた……」

 家族五人が揃った状態でこの事について触れたのは初めてだ。

 一瞬、気まずい空気が流れたけど、私はそれについても首を横に振る。

「お継父さんは仕事で忙しいし、お母さんは通院しながら家事をこなし、二人の事を気遣って大変だったと思う。それに実の娘なら『ある程度なら大丈夫』っていう信頼もあっただろうし、私は友達や彼氏と過ごしていたからそれほど苦じゃなかったよ」

 継父は大きな広告会社の管理職をしていて、何かと忙しく働いている。

 それでも、なるべくみんなで夜ご飯を食べるようにして『今日はどうだった?』と子供たちに話を聞いていた。

 私たちは分かりやすい喧嘩はしなかったし、『何事もなく平和だった』といえばその通りだったと思う。

 亮平の距離感がちょっと苦手とか、美奈歩にツンツンされたぐらいで『いじめられた』なんていったら、大げさに騒ぐ当たり屋みたいになってしまう。

 新しい兄妹を苦手とは思っていたけど、二人が私をいじめていた訳ではない。

 暴力をふるわれたり、あまりにも嫌な事を言われていたなら、私としても母や継父に一言言っていたかもしれない。でもそこまでじゃなかった。

 母は時々、気遣わしげに『二人とうまくやれてる?』と確認してきたけれど、私のほうがヘルプを出さなかったのだ。

『一気に仲良くは無理だけど、そこそこうまくやれてる』と言ったら、母もそれ以上掘り下げようがなかったと思う。

 母が亮平と美奈歩を悪者にして『意地悪されてない?』なんて言えば、母が夫、二人の子供の不信感を買ってしまう。

 母は実父が亡くなってから不眠気味になっていた中、通院して薬を飲みながらも私のために働き、なんとか再婚までこぎつけた。

 母には母の戦いがあり、私と一緒に生きていくためにがむしゃらに日々を過ごしていた。

 自分の身をすり減らすまでやってくれたのに〝それ以上〟を求めるなんてできない。

「お母さんはずっと〝母親〟としてこの家を回そうと必死にやってきた。実の娘だからといって私だけ贔屓しなかったし、二人だけに気を遣う事もなかった。私はお母さんがみんなの〝母〟になろうとしていたの、分かっていたよ。確かに私は二人の事で少し悩んでいたけど、当時は『何も言ってほしくない、触れてほしくない』と思ってた。だから謝る必要はないの」

 そう言うと、母は悲しげに視線を落とす。

「……朱里がそうやって〝いい子〟の答えを出すのを『ありがたい』と思ったら駄目なのよね。私はずっと、朱里の我慢に甘えてしまっていた。思春期で不安定な時、私が側で支えなければならなかったのに」

 落ち込んでいる母の背中を、継父がそっとさする。

「僕も家庭の事を若菜さんに任せ、子供たちに向き合わずにいた。亮平はしっかり者だし、美奈歩は寂しがりで甘えん坊なところもあるけれど、亮平がいるなら任せられる。朱里ちゃんは若菜さんがいるからきっと平気。……そう思ってしまっていた」

 今度は継父まで反省し始め、私は溜め息をつく。

「気持ちは分かったよ。分かったけど、今はもう、上手くいってるからいいじゃん」

 私の言葉を聞き、母は不思議そうに目を瞬かせた。

 そんな母に、私は微笑んで言う。

「先日、帰るって言って帰らなかった時、本当は亮平と一悶着あったんだ」

 チラッと亮平を見ると、彼は観念したように唇を曲げる。

「私たち三兄妹は〝理由〟ありきのこじれた感情を抱いていた。それぞれ〝理由〟を言えば分かり合えたかもしれない。でも急に〝家族〟になったもんだから、相手に何をどれだけ言っていいか分からず、遠慮しているうちに本音を言えなくなってしまった」

 そこまで言い、私は隣に座っている尊さんを見て微笑んだ。

「でも私たちの間に尊さんが立って気持ちを解きほぐしてくれた。だから今、私は二人が自分をどう思っていたかを理解できたんだ」

 脳裏で、尊さんがさっき美奈歩に言った言葉が蘇る。

『思っているだけでは何にもなりません。家族になりたい、相手にとっての〝何か〟になりたいと思うなら、思いきって自分の考えを話してみる事を勧めます』

 うん、そうだね。尊さん。

 私は実父を亡くしたつらい記憶があるから、自分の過去を語るのが苦手だ。

 でも最低限、家族になる相手には、今までの家族とどう過ごして、どんな別れを経験したか、痛みや弱さを示すべきだったのかもしれない。

 家族だからといって何もかも曝け出す必要はないけど、信頼し合うためには誰にでも見せる〝外側〟じゃなく、自分を形成する中身を見せる事も必要だ。

 初めて尊さんと個人的に話した時だって、彼が自分の事情を打ち明けてくれなかったら、興味すら持たなかったと思う。

「亮平とは先日和解できたし、美奈歩とはたった今、仲良しになりました」

 私はそう言ってニカッと笑い、ピースサインをする。

 美奈歩は決まり悪い顔をして、そっぽを向いて赤面してる。こいつはツンデレ確定だ。

「もう大丈夫だよ。確かに親として『守るべきだった』って思うかもしれない。でも私はつきっきりで面倒を見てもらわなくても成長できたし、こうやって篠宮ホールディングスに入って尊さんと出会えた。これからも迷う事はあるだろうし、側に尊さんがいてもお母さんに相談する事はあるかもしれない。……その時はよろぴこ」

 最後に冗談めかして言うと、全員がクスッと笑った。

「昔の事をうだうだ言っても、仕方ないじゃん。これから仲良くしていけばいいの。……っていうのは、尊さんの受け売り!」

 彼の手を握って言うと、母が嬉しそうに笑って言った。

「篠宮さんは、本当に朱里を明るく前向きに変えてくれたんですね。母として心から感謝します。そして、娘の命の恩人であるあなたに、重ねて感謝します」

 母が頭を下げると、尊さんは「いいえ」と微笑む。

「あの時彼女に出会ったのは、本当に偶然でした。それに私も朱里さんの存在に救われたんです。もし良ければ、私たちのこれからを祝福してください」

「こちらこそ!」

 上村家の全員は、すっかり尊さんに心を許し、私を託してくれたみたいだ。

(良かったなぁ)

 家族と彼が笑顔で話しているのを見て、私はこの上なく幸せな気持ちになる。

 このまま尊さんと一緒に実家に泊まりたいぐらいだけど、明日はまた別のイベントが待ってる。

(一つ一つ、乗り越えていくんだ)

 そっと溜め息をついたあと、私は皆の会話に笑顔で参加した。



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