部長と私の秘め事
「あいつは知っての通り『アンド・ジン』の御曹司で、ゆくゆくは家の会社の管理職になる予定らしい。でも『いずれ決まったレールに乗るなら、それまで普通の会社員として働く人生も歩んでみたい』っていう考えを持っていて、親御さんも『違う職種で揉まれるのもいいかもしれない』って思ったみたいだ」

「そっか。尊さんは部長だし、事情は知ってましたよね」

「まぁな。あっちの親御さんも交えて食事をした事もあって、丁寧に『息子をよろしくお願いします』って頭下げられたよ。……だから下手に扱えねぇ」

 そう言って尊さんは苦笑していたけど、神くんを気に入ってはいるんだろう。

「……妬きました?」

 先日の事を思いだし、私はボソッと尋ねる。

 すると尊さんはチラッと私を見て、溜め息をついた。

「一瞬焦りはしたかな。二人で飲んでた時に『上村さん、美人ですよね』って言われたけど、何も言わなかった。付き合ってる事を秘密にしてるのに、墓穴掘る事はねぇからな。だから神の気持ちは知ってたけど、まさか本人の前で暴露すると思わなかった」

「物凄く暴露してましたね。往来の真ん中で……」

 当時を思い出し、私は溜め息をつく。

「申し訳なさはあるけど、譲るつもりはねぇ。あいつも『僕の気持ちを知っておきながら』って恨んでるかもしれないけど、そう根に持つ奴じゃないと信じてる」

「ハイスペのいい男は、みっともなく嫉妬しないもんですよね。大人の分別を持ってそう」

 勝手な見解を口にした私は、いつもニコニコしている神くんの笑顔を思い出す。

「そうなんだけどな……」

 尊さんは溜め息をつき、チャポ……と音を立てて足でお湯をかく。

「ハイスペだからこそ、諦めきれずに本気になった時が怖ぇな、って思ってる」

「やめてくださいよ~! 怖い」

 私は思わず両手で拳を握り、ポコポコと自分の太腿を打つ。

「……まぁ、大丈夫と思いたいけどな。あいつと俺の仲っていうより、神は朱里の気持ちを第一に考えると思う。何が朱里にとって幸せかを見極められたなら、……下手な事はしないんじゃないかな」

 尊さんの言葉を聞いていると、神くんが凄く私を想っているように感じられて、なんとも言えなくなる。

 神くんは私の前ではいつも明るくて素直ないい後輩で、それ以上にも以下にも思った事はなかった。

 もっと言えば、彼は皆の前で怒ったりふてくされたりした事がなく、仕事もスイスイこなし、いやみがなくて本当に愛されキャラだ。

 本当は嫌な事やムカつく事だってあるはずなのに、完璧に感情をコントロールしている。

 失礼な事をいうと、そういう理由があるから、神くんに人間くささを感じなかった。

 だから無意識に『完璧すぎて怖い』と思い、恋愛対象として見る事ができなかったんだと思う。

 考えていると、尊さんがこめかみにキスしてきた。

「この件、一旦保留にしようか。今は二人で温泉に来てるんだし」

 言われて、ハッとする。

 尊さんの友達である涼さんの話ならアリだけど、神くんの話題はナシよりだ。

「そうですね。ごめんなさい。カニの事だけ考えます」

「カニかよ」

 あからさまに話題を変えたけれど、笑いの方向に持っていったからか、尊さんはフハッと力が抜けたように笑ってくれた。

 そのあと、ハッとして付け加える。

「予約する時に、勝手にタラバにしたけど、大丈夫だったか? 毛蟹もあったんだけど」

「タラバ大好きです! カニに貴賤なし! どこからでも掛かってこい!」

 私は「むんっ」と気合いを入れ、両手でピースサインをし、ファイティングポーズをとってみせる。

「カニ戦士かよ……。ま、良かった。多分朱里はなんでも喜んでくれるとは思ってたけど、一言聞いておけば良かったな」

「いえいえ、本当に連れてきてもらえただけでも御の字ですし、用意された物はなんでも美味しく食べます」

「そっか。なら良かった。……朱里って、そういうトコ長所だよな」

「ん?」

「や、好き嫌いなくなんでも食べられるって、ご馳走する側から見てすげぇ安心する」

「そう言ってもらえて良かったです。私もご飯作る時、好き嫌いが少ないと気を遣わずに作れるので安心します」

 言いながら、私は一瞬昭人を思い出してしまっていた。
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