部長と私の秘め事
(やらしくない、やらしくない。煩悩を捨てろ)

 三月だというのに、私の頭の中で除夜の鐘が鳴り始めた。目指せ百八回。

 尊さんは肩や二の腕に手を滑らせ、腋まで洗ってくる。

「あひゃんっ」

 デリケートな場所を触られた瞬間、思わず変な声を漏らしてしまった。

「ん? 今のは猫の鳴き声か?」

 尊さんはニヤニヤして腋を撫で続け、私は羞恥のあまりパッとその手を払う。

「シャーッ!」

 猫ノリして怒ってみせると、彼はバスルームに笑い声を響かせた。

 体を洗い終わったあと、私たちはまたバスタブに浸かってゆっくり温まる。

「……昭人の話、してもいいです?」

「いいよ。もう過去の男だから」

 そう言い切れる尊さんは大人だな、と感じた。

「……昭人とエッチした時、痛いけどプライドを傷つけそうで我慢していたんですが、凄く雑に扱われた気持ちになりました。だから癒しがほしいと思ってイチャイチャしたかったのに……、『そういう気分じゃない。お前は動かないからいいけど、俺は疲れてるの』って言われました。……その通りなんでしょうけど、なんだか寂しかったな……」

 尊さんは溜め息をつき、「まぁ予想の範疇かな」と呟く。

「だから『男性も大変なんだ』って思って賢者タイムについて調べて、男性の体のメカニズムを頭に叩き込みました。私だってPMSでイライラしちゃう時があるし、性差で理解しきれないところがあるのは仕方ないよな……って」

「田村クンは朱里のPMSに理解を示してくれたわけ?」

 尋ねられ、私は苦笑いして首を横に振った。

「……昭人は外面はいいから『俺は女性に理解があるよ』ってフリはするんです。そういう話題になった時も『女子は大変だよね』って言ってくれていました。でも実際、私がイライラしたり情緒不安定になったりしたら、面倒がってデートを延期して顔を合わせないようにしていました。収まった頃になって何事もなかったように普通に接して……。……まぁ、イライラされると面倒だって気持ちは分かるんですけどね」

 私の言葉を聞き、尊さんは溜め息をつく。

「俺は必要があれば〝アルテミス〟を朱里と共有したいぐらいだけど、さすがにキモいって言われそうだから自重してる」

「あはは、尊さんらしい」

〝アルテミス〟は月経や体調などを記録するアプリだ。

 可愛い月の女神〝アルテミスちゃん〟がガイドしてくれるので、私も気に入っている。

 生理が近くなったら通知で教えてくれて、アルテミスちゃんが『体調に気をつけてね』とアドバイスをくれる。

 他にも女性ならではのお悩み掲示板とか、アバターを作っての交流とか、色々あって面白い。

 それはいいとして、「彼氏とアルテミスを共有してる」っていう話は、まあまあよく聞く話ではある。

「別に尊さんなら気持ち悪くないから、いいと思いますけどね」

「まあ、PMSの時期をあらかじめ知れたら、ある程度カバーできるからいいかな、とは考えていた」

「うん、じゃああとでID教えますね」

 こういう話を穏やかにできるのも、尊さんの為人を知っているからだ。

 同じように付き合っている相手でも、昭人だったらアプリを共有しようと思えたかは分からない。

(……昭人だったらアプリを入れるだけ入れて、忘れてそう。忘れた頃にアプリを開いてログインできなくなって、そのままになってそうだな……)

 加えて彼は女性向けのアプリを入れて、悩み相談の掲示板をちょっと下卑た目で見ていそうな気がして、見せる事自体に拒否感を持っていたかもしれない。

 その点、尊さんならまったく心配がない。

「朱里ってまじめだよな。相手の事を理解しようとして、ネットであれこれ調べものをするぐらいには」

 尊さんはクスッと笑い、手で水鉄砲をすると私のデコルテの辺りに掛けてくる。

「人は基本的に理解し合えないですからねぇ……。知識を得て『こうなのかな?』って思うぐらいが関の山です」

 私はモソモソと移動し、尊さんの膝の上に向かい合わせで座る。

「だから裸の付き合いをして、じっくり語り合って、少しずつ分かり合っていくしかないんですよ。『尊さんは思ったよりおっぱい星人だな~』とか」

 言いながら、私は彼の顔を胸で軽く圧迫する。

「こら」

「おっぱい好きなんですよね?」

「……嫌いじゃないけど。…………いや、好き」

「これが本当の圧迫面接」

「ぶふっ……。誰が上手い事を言えと」

 二人で笑ったあと、充分温まったのでお風呂から上がり、尊さんが責任をもって最後まで猫洗いをするため、ドライヤーもしてくれた。





 お風呂を出ると二十一時過ぎになっていて、私は麦茶を飲みながらスマホをチェックする。

 リビングではビル・エヴァンスのピアノジャズが流れていて、間接照明のみになった空間はお洒落なバーのようだ。

 尊さんは一人掛けのソファをリクライニングさせ、ホットアイマスクをしつつ何やら考え事をしていた。

 多分、彼は速水家に行った事について色々考えているんだろう。

 その胸にあるのは、単純に「嬉しい。これからは親しくやっていける」だけではないと思う。

 だから私はあえて話しかけず、彼に静けさを提供していた。
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