部長と私の秘め事
『俺も頑張るから、お前も生きてみてくれ。案外〝捨てたもんじゃない〟って思える日がくるかもしれない。うまい事いったら〝人生楽しい〟って思えるかもしれないし』
『…………そうっ、――――思えるっ、……かな……っ』
『たいそうな目標なんて掲げなくてもいいんだ。まず今夜を乗り切れ。帰ったらあったかいもんを飲んで、風呂入って寝ろ。いいか、夜は魔物だ。一日脳を使って頭が疲れてるし、ろくな事を考えつかない。やべぇって思ったら寝て逃げろ。寝れなかったら、明るい内容の漫画でも読むんだ。……そうやって、一日ずつやっつけていくしかない』
『…………ん……』
彼女は俺の胸板に顔を押しつけたまま、小さく頷いた。
『大切な人を喪った苦しみは強烈に残る。でも一日、三日、一週間って乗り越えていくんだ。やがて一か月になり、三か月、半年になって、気づいたら一年が過ぎてる。そしたらほんの少しだけ、痛みがマシになってるかもしれない。痛みが変わってなくても、むりやり日常を送るから気が紛れていく。そうやって欺し欺しやっていくんだ』
『…………できる、……かなぁ……っ』
少女は洟を啜り、溢れる涙を手で拭う。
『つらいけど、やってくしかねぇんだ。いつかいい事があるって信じようぜ』
俺は少し体を離し、ポンと彼女の頭に手を乗せ、グシャグシャッと髪を撫でた。
『人はいつか絶対に死ぬ。早いか遅いかの違いしかない。もし死後の世界を信じたいなら、いつか死ぬまでに色んな事を経験して、親父さんに自慢できる土産話を作っとけよ』
彼女はいまだ涙を流していたが、ぎこちなく笑い、頷いた。
『うん……っ』
少女が気持ちを持ち直したのを確認した俺は、彼女の母親が心配しているだろうと思い、この橋から離れようとした。
『ケツ冷てぇだろ、立つぞ』
そう言って俺は立ち上がり、少女の細い腕を掴んでグイッと引っ張って立たせた。
そして彼女の顔を覗き込んで尋ねた。
『なんとかやってけそうか?』
『……うん』
俺は頷いた彼女を見て小さく笑い、また頭を撫でる。
『俺も似たような経験があるから、痛みは分かる。でも、死んだらすべてが終わる。お父さんがお前に託した夢も、愛情も希望も、全部なかった事になる。一般論だけど、親は子供に〝後追い自殺してほしい〟なんて思わねぇよ。……つらいけど、つらい時ほど歯ぁ食いしばって頑張れ。そんでなきゃ、寝てやり過ごせ』
『お兄さんもそうしてるの?』
尋ねられ、俺はニヤッと笑った。
『病院に通って薬をもらってる。気持ちを落ち着かせるやつとか、眠れない時は睡眠導入剤とかな。どうしてもしんどい時は病院使うのが一番だ』
『それって、精神科?』
彼女が少し不安そうな顔をしたので、苦笑した。
『骨折したら整形外科行くのと同じだよ。ストレスが掛かって心が壊れそうになったら病院に行く。体だけじゃなく、心も健康じゃないと意味がねぇんだ』
少女は初めて知ったように感心し、頷いた。
『送ってく。家は?』
『…………旅行で来たの。親戚の叔父さんが〝息抜きしなさい〟って、お母さんに旅行券をくれて。……あっちのホテルに泊まってる』
そう言って、彼女は歩いてきたほうを指さす。
『そっか』
俺は頷き、ゆっくり歩き始める。
『お前の名前は?』
今後関わるつもりなんてないのに、俺はつい尋ねてしまった。
『今野朱里』
――あかり。
その名前を聞いた瞬間、ズキンッと激しい頭痛が襲い、俺は立ち止まって頭を抱える。
『お兄さん?』
不安げにこちらを見上げた彼女――、朱里の顔に、――――が重なる。
地面にぐったりと横たわり、――――した、小さな――――。
――駄目だ。
俺は歯を食いしばり、溢れようとする記憶に蓋をした。
「………………大丈夫だ、〝あかり〟」
俺は表層の自分と深層の自分を切り離し、努めて冷静に返事をする。
――いつもつらくなっても誤魔化せただろ? 大丈夫、お前ならできる。
俺は心の奥で苦しむ自分に痛みを押しつけ、温泉街の景色を眺めながらゆっくり歩く。
『お兄さんの名前は? ……いつか、また会いたいな』
はにかんで言う朱里を見て、俺は苦笑いする。
『俺の事なんて覚えてなくていい。旅先ですれ違った一人だと思っておけばいいんだ』
『私の事、助けてくれたじゃない。死のうとしたのを止めて、私の人生を変えたんだから……。……覚えさせてよ』
朱里は俺のコートの袖を掴んで立ち止まり、心細そうな表情で訴えてくる。
(……確かに、それもそうか。普通なら、助けられたらお礼を言いたいとか、恩返しをしたいと思うのか)
遅れて俺は、一般的な考え方として思い直す。
(けど、俺みたいなのが関わったら駄目だ。一応篠宮家の人間だし、もしも怜香に知られたら何て言われるか分からない。俺がロリコン扱いされるならまだいいが、何も関係ない朱里に何かがあったら困る)
だが何かしらの答えを出さなければ、朱里は納得しないだろう。
(なら、偽名でも……)
その時思い浮かんだのは、〝篠宮〟の名字と〝東雲〟の叔母の顔だった。
『…………しの……』
『しの? お兄さん、しのっていうの? どういう漢字?』
朱里は俺が呟いた言葉を、名前だと勘違いしたようだった。
捻った偽名を考えても忘れてしまいそうなので、それを利用する事にした。
『……忍。耐え忍ぶの〝しの〟だ』
言いながら、あまりに自分に合いすぎて笑ってしまった。
『…………そうっ、――――思えるっ、……かな……っ』
『たいそうな目標なんて掲げなくてもいいんだ。まず今夜を乗り切れ。帰ったらあったかいもんを飲んで、風呂入って寝ろ。いいか、夜は魔物だ。一日脳を使って頭が疲れてるし、ろくな事を考えつかない。やべぇって思ったら寝て逃げろ。寝れなかったら、明るい内容の漫画でも読むんだ。……そうやって、一日ずつやっつけていくしかない』
『…………ん……』
彼女は俺の胸板に顔を押しつけたまま、小さく頷いた。
『大切な人を喪った苦しみは強烈に残る。でも一日、三日、一週間って乗り越えていくんだ。やがて一か月になり、三か月、半年になって、気づいたら一年が過ぎてる。そしたらほんの少しだけ、痛みがマシになってるかもしれない。痛みが変わってなくても、むりやり日常を送るから気が紛れていく。そうやって欺し欺しやっていくんだ』
『…………できる、……かなぁ……っ』
少女は洟を啜り、溢れる涙を手で拭う。
『つらいけど、やってくしかねぇんだ。いつかいい事があるって信じようぜ』
俺は少し体を離し、ポンと彼女の頭に手を乗せ、グシャグシャッと髪を撫でた。
『人はいつか絶対に死ぬ。早いか遅いかの違いしかない。もし死後の世界を信じたいなら、いつか死ぬまでに色んな事を経験して、親父さんに自慢できる土産話を作っとけよ』
彼女はいまだ涙を流していたが、ぎこちなく笑い、頷いた。
『うん……っ』
少女が気持ちを持ち直したのを確認した俺は、彼女の母親が心配しているだろうと思い、この橋から離れようとした。
『ケツ冷てぇだろ、立つぞ』
そう言って俺は立ち上がり、少女の細い腕を掴んでグイッと引っ張って立たせた。
そして彼女の顔を覗き込んで尋ねた。
『なんとかやってけそうか?』
『……うん』
俺は頷いた彼女を見て小さく笑い、また頭を撫でる。
『俺も似たような経験があるから、痛みは分かる。でも、死んだらすべてが終わる。お父さんがお前に託した夢も、愛情も希望も、全部なかった事になる。一般論だけど、親は子供に〝後追い自殺してほしい〟なんて思わねぇよ。……つらいけど、つらい時ほど歯ぁ食いしばって頑張れ。そんでなきゃ、寝てやり過ごせ』
『お兄さんもそうしてるの?』
尋ねられ、俺はニヤッと笑った。
『病院に通って薬をもらってる。気持ちを落ち着かせるやつとか、眠れない時は睡眠導入剤とかな。どうしてもしんどい時は病院使うのが一番だ』
『それって、精神科?』
彼女が少し不安そうな顔をしたので、苦笑した。
『骨折したら整形外科行くのと同じだよ。ストレスが掛かって心が壊れそうになったら病院に行く。体だけじゃなく、心も健康じゃないと意味がねぇんだ』
少女は初めて知ったように感心し、頷いた。
『送ってく。家は?』
『…………旅行で来たの。親戚の叔父さんが〝息抜きしなさい〟って、お母さんに旅行券をくれて。……あっちのホテルに泊まってる』
そう言って、彼女は歩いてきたほうを指さす。
『そっか』
俺は頷き、ゆっくり歩き始める。
『お前の名前は?』
今後関わるつもりなんてないのに、俺はつい尋ねてしまった。
『今野朱里』
――あかり。
その名前を聞いた瞬間、ズキンッと激しい頭痛が襲い、俺は立ち止まって頭を抱える。
『お兄さん?』
不安げにこちらを見上げた彼女――、朱里の顔に、――――が重なる。
地面にぐったりと横たわり、――――した、小さな――――。
――駄目だ。
俺は歯を食いしばり、溢れようとする記憶に蓋をした。
「………………大丈夫だ、〝あかり〟」
俺は表層の自分と深層の自分を切り離し、努めて冷静に返事をする。
――いつもつらくなっても誤魔化せただろ? 大丈夫、お前ならできる。
俺は心の奥で苦しむ自分に痛みを押しつけ、温泉街の景色を眺めながらゆっくり歩く。
『お兄さんの名前は? ……いつか、また会いたいな』
はにかんで言う朱里を見て、俺は苦笑いする。
『俺の事なんて覚えてなくていい。旅先ですれ違った一人だと思っておけばいいんだ』
『私の事、助けてくれたじゃない。死のうとしたのを止めて、私の人生を変えたんだから……。……覚えさせてよ』
朱里は俺のコートの袖を掴んで立ち止まり、心細そうな表情で訴えてくる。
(……確かに、それもそうか。普通なら、助けられたらお礼を言いたいとか、恩返しをしたいと思うのか)
遅れて俺は、一般的な考え方として思い直す。
(けど、俺みたいなのが関わったら駄目だ。一応篠宮家の人間だし、もしも怜香に知られたら何て言われるか分からない。俺がロリコン扱いされるならまだいいが、何も関係ない朱里に何かがあったら困る)
だが何かしらの答えを出さなければ、朱里は納得しないだろう。
(なら、偽名でも……)
その時思い浮かんだのは、〝篠宮〟の名字と〝東雲〟の叔母の顔だった。
『…………しの……』
『しの? お兄さん、しのっていうの? どういう漢字?』
朱里は俺が呟いた言葉を、名前だと勘違いしたようだった。
捻った偽名を考えても忘れてしまいそうなので、それを利用する事にした。
『……忍。耐え忍ぶの〝しの〟だ』
言いながら、あまりに自分に合いすぎて笑ってしまった。