想いと共に花と散る
 それから、山南は雪と顔を合わせなくなった。
 正確に言えば、合わせないようにしているつもりはなかった。
 意識的に避けた覚えもない。ただ、気づけば廊下の角で足を止め、気づけば自室に引き返し、気づけば用事を思い出したふりをして、進路を変えていた。

(……何故だ)

 自分でも分からない。
 分からないから理由を探そうとすると、胸の奥がざわついた。
 雪の声が聞こえると、肩が僅かに強張る。
 姿が視界に入ると、無意識に焦点をずらしてしまう。
 それは嫌悪ではない。拒絶でもない。
 むしろ、怖かった。近づけば、何かが決定的に崩れる気がして。
 ある日、廊下で雪とすれ違った。いや、すれ違ったはずだった。

「山南さん――……」

 呼ばれた声に、反応が一拍遅れる。
 振り返った時、そこにいたはずの姿が、何処か現実味を欠いて見えた。
 光の加減だろうか。障子の影か。それとも、疲労のせいか。
 そうやって理由を並べている間に、雪は立ち止まり、何かを言い掛けてやめた。
 その沈黙が、胸に刺さる。

「……すまない」

 山南は、意味の分からない謝罪だけを残して、その場を離れた。
 背中に視線を感じる。振り返ってはいけないと、本能が告げていた。
 夜、帳場で一人になると、思い出す。
 雪の表情。戸惑いと、不安が滲んだ目。

(……私が、壊れているのか)

 それとも。

(……あの子が、ここに“いなくなり始めている”のか)

 考えた瞬間、背筋が冷えた。
 その可能性を受け入れてしまえば、もう後戻りはできない。
 だから、避ける。見ない。触れない。
 それが、唯一できる防衛だった。
 だが同時に、それは雪を一人にしていく行為でもあった。
 山南は机に肘をつき、額を押さえる。
 誰にも知られぬ場所で、誰にも言えぬ苦しみを抱えたまま。
 組織が軋む音と、一人の存在が薄れていく音が、区別できなくなっていくことに気づかぬふりをしながら。
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