想いと共に花と散る
 雪は足音を忍ばせるように歩きながら、それでも胸の奥のざわめきを抑えられずにいた。

(……最近、山南さんとちゃんと話してない)

 気づけば、目が合わなくなった。
 声を掛けても、少し間が空くようになった。
 理由を考えようとすると、どれも「気のせい」で片づけられてしまう程度の違和感で。
 だからこそ、余計に不安だった。

(私、何かしたのかな……?)

 山南の温かい笑顔が浮かぶ。いつでも、どんな時でも自分に向けられていた笑顔。
 だが、それは無意識に作ったものだと自分でも分かる。
 何かを覆い隠すため、上から取って付けた偽物の笑顔であると。
 曲がり角を抜けた先で、灯りが一つ漏れていた。
 帳場の前。そこに立つ影を見て、雪は足を止める。

「山南さん」

 思ったより、声はちゃんと出た。内心でほっと胸を撫で下ろしつつ、小走りでその影に近寄る。
 雪の呼びかけに、山南がこちらを振り返った。
 視線が混じり合うその一瞬、山南の目に躊躇いが走ったように見えた。
 けれど、すぐに見慣れた穏やかな表情が戻る。

「どうしたんです、こんな時間に」

 何気ないその一言を聞いただけで、胸が少し緩んだ。
 いつもの声。いつもの距離。いつもの笑顔。それらを目にすることが、今の雪が安心できる唯一の方法であった。

「えっと……明日の予定、確認しておこうかなって思いまして」
「真面目ですね。ご心配なさらず、特に変わりはないですよ」

 他愛もない遣り取りだった。新撰組の内情を管理する山南に、雪が明日の予定を確認する。立場を隔てて繰り広げられる、ごく普通の会話だ。
 それなのに、雪は無意識に山南の顔を見つめてしまった。
 眼鏡ごしの目の奥が、少し疲れているように見える。笑みが、ほんの僅かだけ浅い。
 無理矢理笑っているような、否、笑顔が取れなくなってしまったかのような表情。

(……やっぱり、何か)

 けれど、それ以上は踏み込まなかった。否、踏み込めなかったという方が正しい。

「雪君は……最近、忙しそうにしていますね」
「え? そう見えます?」
「ええ。よく動いていますから」

 その言い方が、何処か“距離を測る”ように聞こえて、雪は慌てて首を振った。

「そんなことないです。皆さんがいるから、私にできることしてるだけで」
「……そうですか」

 一拍の沈黙と共に、夜の静けさが二人の間に落ちる。
 それでも、山南は視線を逸らさなかった。逃げるようでいて、離れきれない。そんな視線。

「冷えてきましたね。もう戻りなさい」
「はい……山南さんも、無理しないでくださいね」

 そう言って笑うと、山南は少しだけ目を細めた。

「ありがとう」

 それだけの言葉。それだけの会話。
 けれど、雪は背を向けた瞬間、胸が締めつけられた。
 理由のない不安が、夜気と一緒に肌にまとわりつく。
 振り返りたかった。でも、振り返れなかった。
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