想いと共に花と散る
 言葉は静かだった。
 だが、そこに含まれる意味の重さが、室内の空気を一気に沈ませる。
 榎本の一言に、市村の肩がひくりと揺れた。反射的に身を竦めたその様子は、拒絶よりも恐れに近い。
 あれだけ榎本に懐いていたつねですら、視線を落とし、握った手に力を込めていた。
 誰もが、榎本の言葉から一歩距離を取ろうとしている。
 けれど、雪だけは目を逸らせなかった。
 逃げることも、否定することもできず、まるで見てはならないものを直視してしまったかのように、榎本を見つめ続けていた。

「俺はな、勝てる戦しかやらねぇ。だが、負ける可能性があるからって、選択肢を捨てる気もない」

 その言葉に、土方の眉がほんの僅かに動く。
 怒りでも蔑みでもない。
 理解できてしまうからこそ、受け入れられない。そんな感情を、必死に表へ出さぬよう抑え込んでいる証だった。

「だから蝦夷に来た。ここなら、まだ“選べる”からな」
「……人の命もか」

 土方の喉から零れた声は低く、刃物のように鋭かった。
 問いというより、確認に近い。

「当然だ」

 榎本は即座に言い切った。迷いも、躊躇も、一切ない。

「命を賭けずに守れる場所なんてねぇよ。あんたも、よく知ってるはずだ」

 土方は黙ったまま、身動き一つしない。
 反論もできた。怒鳴ることもできた。
 それでもしなかったのは、この男の言葉があまりにも現実を的確に表していたからだ。
 だが、それでもはっきりと理解した。
 この男とは、決して同じ場所には立てないと。

「……俺は」

 土方は榎本ではなく、雪を見て言った。
 その視線には、覚悟と、拒絶と、守るべきものが混じっていた。

「賭けられる命の数を増やしに来たわけじゃねぇ」

 その言葉を聞いて、榎本は一瞬だけ目を細める。次の瞬間には、実に楽しそうに口角を上げた。

「いいねぇ。だからこそ、あんたを呼んだ」

 重苦しい沈黙を断ち切るように、大鳥が深く息を吐く。

「……話は、ここまでだ」

 それきり、榎本は何も言わなくなった。
 余韻だけを残したまま、彼らは立ち上がる。

「二人とも、今夜は休んでおいてくれ」

 それだけを言い残し、大鳥は榎本達と共に部屋を出ていく。
 扉が閉まる音が、やけに大きく響いた。
 残された雪と土方は、張り詰めていた緊張が一気に解けて同時にソファへと身を沈める。
 蝦夷に来てからというもの、散々な目に遭ったものだ。
 もっと違う世界を見るものだと思っていた。雪に染まった白銀の世界、見知らぬ食べ物、立ち並ぶ商店。
 今のところ見たのは、海辺に浮かぶ無数の船のこの洋館くらいのもの。

「はあ………」

 思わず溜息が溢れ出し、雪の身体はより深くソファに沈んだ。
 そんな雪の頭の中に浮かぶのは、榎本の言葉ばかり。
 選ぶ。賭ける。命。
 雪は、無意識の内に土方の横顔を見ていた。

「……私は、何をすればいいですか」

 自分でも驚くほど、素直な声だった。
 少しだけ間が空く。
 土方はすぐには答えず、視線を前に向けたまま静かに口を開いた。

「お前は、お前のままでいろ」

 それだけ言って、土方はゆっくりと視線を逸らす。

「ここでは、誰も埋もれさせない。――……それが、俺の役目だ」

 それは、新選組副長ではなく、旧幕府軍指揮官としての彼の言葉だった。
< 427 / 486 >

この作品をシェア

pagetop