想いと共に花と散る
 だから、はっきりと言葉にしてもらわないと理解できない。
 ただでさえ酒に酔っているのだから、いつも以上に理解する力は衰えているのだ。

「……歳三さんだって」

 自分の方がずっと土方と長い時間を共にしている。雪はあの会場にいる間、ずっとそのことだけを考えていた。
 上っ面の歴史しか知らない彼女達と違って、雪は浪士組の時代から土方を見ている。
 何が好きで、何が嫌いで、意地悪で、厳しくて、優しくて、甘いことを知っているのは雪だけ。
 そんな雪ですら、彼のことを下の名前では呼んだことがなかった。だから、馴れ馴れしく下の名前で呼ぶ女達を見て腹が立ったのだ。

「あの人達、土方さんのこと歳三さんって呼んでた」
「それがどうした」
「わ、私……私、は呼んだことないのに……」

 先を越されたのが許せなかった。
 まだ自分からは触れられないでいるのに、容易く彼に触れてしまう彼女達が妬ましかった。

「呼びてぇか」
「え……?」

 窓の外から差し込んだ月明かりが、土方の顔を照らした。
 横顔しか見えていなかったのに、視線を向けられた瞬間こんなにも距離は縮まる。
 離れないようにぎゅっと肩を抱かれて、余計に端正な顔が眼前に迫った。

「そう言うなら、呼んでみてくれよ。……お前の声で」

 訂正する。この人は、優しくない。
 
「……っ………と」
「と?」
「と、ととと、とし………」

 何も知らないあの女達が呼べたのだから、自分だって呼べるはず。
 否、知っているからこそ、呼べないのか。

「無理……っ!」

 ぐいっと土方の広い肩を押しやって顔を背けた。
 分からない、つくづく分からない。どうしてあの女達は、彼の顔を見て名前を呼べるのだ。
 こうなると分かっていたのに、あえて土方は意地の悪くも穏やかな笑みを見せた。
 
「雪」
「な、なんですか?」
「この場所で、お前の名前を知っているのは俺だけだよな」

 突然何を言い出すのだろう。そんなことを問うてどうする。
 そう言い返そうと思ったのに、土方の向ける顔を見るとどうにも突き放せなかった。
 あまりにも優しく、それでいて寂しげで、縋り付くような目を向けていたから。
 雪は言い返すこともせず、ただ静かに頷いた。

「そうです」

 生きている新選組隊士であれば、中には雪の名前を知っている者がいるかもしれない。
 けれど、少なくともこの蝦夷という土地では、雪の名を知っているのは土方だけだった。

「……他の誰にも呼ばせんじゃねぇぞ」

 そう言って、土方は心底満足そうに微笑んだ。
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