想いと共に花と散る

二つ目の繋がり

 夜明け前の箱館は、やけに静かだった。
 海鳴りすら遠慮しているような、薄気味悪い静寂。
 土方は黒のトレンチコートの襟を立て、洋館の玄関先で一度だけ足を止めた。
 空気が冷たい。蝦夷の寒さは、京のそれとは質が違う。骨の奥まで入り込み、思考を冴えさせるものだ。

(……嫌な朝だな)

 戦になる朝よりも、よほど胸糞が悪い。そんな気分の悪さを抱きながら、土方は洋館の中に入る。
 談話室には、すでに人が揃っていた。
 榎本は机に広げた地図を見下ろし、指先で五稜郭の外周をなぞっている。
 その隣には大鳥。背筋を伸ばし、静かに周囲を見渡す目は、常に全体を計っている。
 松平は地図から一歩引いた位置で立ち、徳川の名を背負う者としての覚悟をその背に滲ませていた。
 そして荒井。感情の読めない目で、箱館の地形と人の流れを頭の中で組み立てている。
 そんな彼らが囲う机の横を通り過ぎ、土方は壁際に立った。誰よりも地図から距離を取るために。
 近寄る必要はない。城は、図面で見るものではないから。

「今朝方、奉行所からの動きはありません」

 静かな荒井の声が部屋の中に響く。
 その声によって一同の視線は荒井へと向けられた。

「守備の交代も、兵の再配置もなし。箱館奉行は、未だ事態を“交渉”の延長だと考えているようです」
「つまり――……」

 榎本は視線を上げ、じっと見入るように荒井を見た。
 地図に落とされた荒井の視線が上がることはない。二人の視線は交わらないまま、淡々と話が進んでいく。

「向こうは、俺達が本気で城を取りに来るとは思ってねぇ」

 榎本のその言葉に、土方は鼻で笑った。
 改めて現実を言い表すその言葉が、あまりにも滑稽に聞こえたのだ。
 トレンチコートのポケットに入れていた手を出し、腕を組むと敢えて棘のある言い方をする。

「人間ってのは、見たいもんしか見ねぇ生き物だ。城が欲しいなら、まず“奪われる恐怖”を想像する。だが、今の奉行所は違う」

 全員の視線が一斉に土方に向いた。
 その視線を全身に受けながら、土方は続ける。

「向こうはまだ、ここを“戦場”だと思っちゃいねぇ。だから兵がいても、刀を抜く覚悟がねぇ」

 誰も何も言わない沈黙が談話室を満たした。それは否定ではなく、理解するための時間が生まれた証拠。

「では、こちらの動きは?」

 大鳥が間髪入れずに問い掛ける。流石だと言いたくなるほど、大鳥の理解力はやはり頭一つ抜けていた。
 話がトントン拍子に進むことに土方は味を占め、不敵な笑みを浮かべた。
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