想いと共に花と散る
 久しぶりに出た函館の街は、潮の匂いと人の声に満ちていた。
 行き交う人々、並ぶ店先、呼び込みの声。確かに日常は動いている、はずだった。
 歩いている内に、雪は微妙な違和感を覚え始める。
 人々の声が、何処か低い。笑い声よりも、ひそひそとした囁きが耳につく。

「……ねえ、聞いた?」
「五稜郭の話?」
「夜中に軍艦が動いてるって……」
「城が取られるんじゃないかって噂よ」

 すれ違いざまに聞こえてきた言葉に、雪の足が僅かに止まる。
 つねも気付いたのか、表情を変えずに耳だけを澄ませていた。

「旧幕府がどうとか、よく分からないけど……」
「戦になるんじゃないの?」
「嫌だねぇ、また血の匂いなんて」

 噂話は、確信を持たないまま、ただ不安だけを膨らませて広がっている。
 確かな情報はない。それでも、人は“何かが起きる”ことだけは敏感に察していた。

「……街、落ち着かないわね」

 つねがぽつりと言う。
 その呟きは、普段の活発なつねの様子からは想像もつかないほど静かである。

「はい……」

 雪は曖昧に返事をしながら、無意識の内に首元へと手を伸ばしていた。
 そこにあるはずの温もりを確かめるように。
 五稜郭を巡る動きは、確実に城の外へ滲み出している。
 そしてそれは、やがて自分達の足元にも及ぶのだと。まだ誰も、はっきりとは口にしていないだけだった。

「よしっ。今日はお買い物以外に色々な所に行っちゃいましょう」
「えっ。そんな、寄り道なんてして大丈夫なんですか?」
「暗くなる前に帰れば大丈夫よー。圭介さんには事前にお買い物に行くことを伝えているし、たまには雪ちゃんも息抜きしたいでしょう?」
「……大丈夫ですかね」

 無断外出に関しては、雪は前科を背負っている。あの時は誰にも外出する旨を伝えずにいたから、十割雪のせいであった。そのせいで、あんなにも大きな事件にまで発展したのだ。 
 しかし、今回もあの時と同じ不安が胸の奥で燻った。
 十中八九、何を考えているのか分からず、行き当たりばったりの緩い性格をしたつねの提案が不安を呼んでいる。
 彼女と街の中を歩いていれば、何処か遠い街に迷い込んでしまいそうだ。

「大丈夫。ほらっ、行きましょう!」

 籠を片手にもう一つの手で雪の手を握ったつねは、前を向いて走り出した。
 やっぱり、似ている。京の町で初めてできた親友と。
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