想いと共に花と散る
 襦袢姿で裸足であることも忘れ、廊下を駆けて階段を降りると洋館を飛び出す。
 その後ろからはつね達が追いかけてきていた。

「待って、雪ちゃん!」

 必死に呼び止めるつねの声など雪には聞こえていない。
 朝の空気が、肺を刺すように冷たかった。
 砂利を踏みしめる音がやけに大きく響く。足裏に小石が食い込む痛みすら感じない。
 玄関口を出て向かうは、洋館の裏手にある庭。駆ける勢いのまま庭に飛び込み、視線は焚き火へと一点に集中する。
 ぱち、と乾いた音を発して炎が揺れた。

「───……やめて!」

 朝焼けの冷たい空気を裂く雪の叫びが響いた。
 火の前に立っていた琴がその声に反応して振り返る。振り返ったその顔には、昨日と同じあの静かな笑みが浮かんでいた。

「あら……おはようございます、結城さん」

 まるで何事もない朝の挨拶のように、穏やかな声音。
 雪の視線は、琴の手元に釘付けになった。
 白い布。見慣れた首巻き。
 そしてもう一方の手には、色褪せたバンダナ。指先に塵のように摘まれ、無造作にぶら下げられている。

「……駄目」

 喉が震えた。目の前が霞んだ。
 焚き火へと近づく足が止まらない。それなのに、近づくのが怖かった。

「返して……っ」

 掠れた声が、ようやく形になった。感情という感情が反発し、言葉を考えることすらままならない。
 やっとの思いで喉から絞り出した雪の言葉は、琴に届く前に空気に消えた。
 雪を見る琴は、戯けた様子で小首を傾げる。

「大事なもの、なのでしょう?」

 炎が、ふっと強く揺れた。
 雪の心臓が、それに呼応するように跳ねる。

「やめて、燃やさないで」

 震える足で一歩、踏み出した。
 さくっと音を立てて草が折れる。足の裏全体に草のチクチクとした感触が広がる。
 襦袢姿で寒い朝に外に出る人間など、雪くらいのものだ。しかも、何も履かず裸足ときた。
 そんな到底人には見せられないはしたない格好をした雪を見て、琴は勝ち誇ったような笑みを浮かべる。

「お願い……それは……」

 止めないといけないと分かっているのに、言葉が続かない。
 守られた証。
 背負った覚悟。
 もう二度と会えない人の、確かな痕跡。
 それらがあの女の手にあるのに、ただ見ていることしかできなかった。
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