冷徹国王の愛娘は本好きの転生幼女~この世の本すべてをインプットできる特別な力で大好きなパパと国を救います!~2
 レオンティーヌたちは黒いスライムが現れた森に馬で駆けつけたが、どこにもいない。
 発見者の村人が報告をしようと現場を離れた隙に、移動してしまったようだ。
 離れたとしても直径二メートルの球体だ、すぐに見つかるだろうと甘く見たのがいけなかった。村人も総出で捜し、森の奥に進むが見つからない。
 次第にサミュエルが焦りだした。
「分裂のタイミングは、何がきっかけになるかわかりません。しかし始まったら次々に増殖し大変なことになる。一刻も早く見つけないと!」
 サミュエルは取り乱しているが、アーベルは冷静だった。
「分裂のスピードは?」
「い、一分です」
 この答えを聞いたアーベルは「なんてことだ!」と叫んだ。
 レオンティーヌは計算が苦手である。隣にいた村人も同じように計算ができない人だったようで、お互い顔を見合わせ、何をそんなに悲観しているのかわからず首をひねっていた。
 そこで、恐る恐る村人がアーベルに尋ねる。
「分裂が始まったら一分後、二つになるんですよね?」
「そうです。二分後は四つになります」
 レオンティーヌも村人も「なんだ、それくらいか!」と安易に考えてしまった。
 分裂が始まれば、燃やせばいいのだ。少しの数ならすぐに燃やせるだろう。
 しかし、アーベルは絶望的な表情で頭を抱える。
「恐ろしいことです」
 計算が苦手なレオンティーヌと村人は、アーベルのその言葉に驚いた。そして、うっかり口に出してしまう。
「え? しょれって、恐ろしいの?」
 アーベルがその返答で目を見開き、早口で説明しだした。
「これは二の累乗の計算になります。四分後には二の四乗で十六になる。つまりこのまま見つからず、一時間後は、二の六十乗で……一一五京二九二一兆五〇四六億……程度に増えます」
 唖然とするレオンティーヌと村人は、がくがくぶるぶる。
 人生二回目ですが、今までに『京』という数字を、これほど身近に感じたことがあっただろうか……。いやない!
「おおお恐ろしい! ぶぶ分裂する前に、ははは早く見ちゅけないと!」
 もし、分裂が始まったら、天文学的に黒スライムが増えることを理解し、レオンティーヌは必死に捜し始める。しばらくして待望の、「見つかった!」という声が届いた。
「よかった。まだ、分裂前で間に合いそうですよ」
 サミュエルの声に、レオンティーヌはさらにほっとした。しかし、見つかった場所は川の対岸でしかも空に浮かんでいる。
 除湿剤入りの除湿ロケットは水に濡らせないので、うっかり川に落とせば取り返しがつかない。
「あの乾眠状態では、飛べないのではなかったのか?」
 テオドルスが悔しげに対岸を睨んでいる。今は無風でその場に浮いているが、風が吹けばふらふらと飛んでいってしまいそうだ。今度見失って、分裂が始まれば、最悪の事態になる。あのサイズのスライムがさっきの試算通りに増えていくことを想像し、レオンティーヌはゾッとした。
 テオドルスが弓を構え、黒スライムに狙いを定める。が、弓を下ろしてしまった。
「ダメだ!」
 テオドルスが首を振っている。
 どうしたのか?と、皆が一(いっ)斉(せい)にテオドルスを見ていた。
「もしかして、距離ですか? あの黒いスライムから、なんらかの認識障害を受けている可能性があります」
 ハイメが尋ねると、テオドルスは頷く。
「そのようだ。攻撃しようとすると、距離が掴(つか)めなくなるのだ。この除湿ロケットは、黒スライムを突き抜けてしまうとなんの役にも立たない。だから、正確な距離が知りたい」
 そう言うと、テオドルスは助けを求めるようにサミュエルを見た。
 サミュエルがあたふたと鞄をひっくり返して計測できそうなものを探す。地面には物差しやら角度計やらが散乱するが、役に立ちそうなものはない。
「こんなことなら、ルノしゃんを連れてきておけばよかったでしゅ……」
 そう思ったが、この前の黒スライムの際に、ルノさんが張りきってしまい、炎の最大魔法を使って小麦畑を全滅させるところだったあの恐怖がよぎった。今回もまた、森を全滅させるかもしれない。
 そんなことを考えていると、若い村人が対岸の大きな木を指差して叫んだ。
「俺、あの木までの距離なら知っています。以前に橋をつくろうとした時に、ロープを渡して図ったことがあるんです」
 若者が指した木とは、まさに黒いスライムが浮いている真下にある木だった。その言葉に食いついたのがアーベルだ。
「君! すぐにその木までの距離を教えてくれたまえ!」
 勢いよく言われ、若者が怯(ひる)みながらも答える。
「えっと、ここから、二五〇メートルぴったりです!」
 よしよし、と頷くと、アーベルはサミュエルが落とした角度計を拾い、次にテオドルスに弓を構えてもらうと、恐々ながらも角度計で角度を測り始めた。
 三角比は、高校の授業で唯一理解できた図形問題だ。なので、アーベルが何をしようとしているかがわかった
「角度は二十八度ということは……」
 アーベルはつぶやきながら、辺りを見回して自分の持ち物を捜し始めるが、手ぶらである。ここに来る前に持ち物はサミュエルの研究所にすべて置いてきてしまったことを思い出し、頭を抱えた。
「しまった! 三角比の表がないと二十八度の比率がわからない!」
「コサイン28は0・8829でしゅ」
 しれっと答えるレオンティーヌ。アーベルが『図形と計量』という本を落とした時に、サイン・コサイン・タンジェントの三角比の表をすべてインプットしていたのだ。
 そうとは知らないアーベルが、驚愕の表情で呆然としているので、レオンティーヌは急いで計算をするように促す。
「アーベル教授、早く黒スライムまでの距離を計算してくだしゃい!」
 レオンティーヌに言われ、我に返ったアーベルは、暗算を始めテオドルスに数字を伝えた。
「距離は約二八三・一五七メートルです」
 サミュエルがその数字に驚く。
「そんな遠い距離をこの大きくて重い除湿ロケットが届きますか?」
 テオドルスが『ふっ』と笑う。
「この私に、その心配は必要ない。余裕で届く。なんなら手加減しないと突き破る距離だ」
 そういうと金色の髪の毛をなびかせて、長くて大きな弓を構えた。
 テオドルスの周りの空気だけが冷たく張りつめた。
 緑の瞳はじっと獲物を見つめている。
 固(かた)唾(ず)をのんで見守っていると、ビュンッと勢いよく除湿ロケットが飛び出した。それはまっすぐ黒スライムに向かって飛んでいき、見事に突き刺さる。しかも除湿ロケットの後部はしっかりと出ていた。
 途端に大きな黒スライムに刺さった除湿ロケットの後部から水が吐き出され、黒スライムは力なくふわふわと落ちていく。
「おとーしゃま、かっこよかったでしゅ!」
 レオンティーヌは父の勇姿に感動し、小さな手で拍手する。
「そ、そうか?」
 とても嬉しそうに頭をかいたが、サミュエルに呼ばれてしまう。
「テオドルス陛下、万が一黒スライムが風に吹かれて遠くに飛んではいけませんので、落下位置にお急ぎください」
「ああ、わかった。では、レオンティーヌ、私は先に行くのであとからゆっくりおいで」
 テオドルスはそう言い残し、川に入っていく。自身の胸元まである深さをものともせず、普通の人なら流されそうな水の勢いに動じることなく、大股で川を渡っていった。
 他の人たちはもう一本の除湿ロケットを持っているため、慎重に浅瀬を探し、かなり迂回することになるだろう。たとえ浅瀬でも流れは速く、レオンティーヌは渡れそうにないので、アーベルとハイメと三人で橋を探して渡ることになった。
「ハイメしゃん、おとーしゃまの護衛に行かなくていいのでしゅか?」
 ハイメがさも不思議そうな顔をして、レオンティーヌを見つめる。
「え? 魔王に護衛は必要ございませんよ?」
 レオンティーヌを見た時から、ハイメはテオドルスの護衛に行くつもりはなかったようだ。
 レオンティーヌを水に濡らさないようにハイメは橋を探し出してくれた。橋まではかなり遠く時間がかかったが、ハイメにずっと抱っこされていたレオンティーヌは全く疲れていない。
 そのおかげで水に濡れず疲れもせずに、レオンティーヌは黒いスライムが落ちた場所までたどり着くことができた。
 到着した時、テオドルスが指示を出して、より乾燥させるように湿気の少ない石畳の道まで運び出している最中だった。黒いスライムは、もう一本の除湿ロケットも刺されており、さらに内部の乾燥が進み、空気の抜けたでっかいバランスボールのようになっている。
「ふおお、しゅごいへこんでましゅ」
 驚きの声を上げると、レオンティーヌに気がついたテオドルスが駆け寄った。だが、ハイメに抱っこをされているのを見て、少し不機嫌になる。
「どうしてハイメがレオンティーヌを抱いているのだ?」
「浅瀬でも水流が速く、橋を渡ることにしたのですが、ずいぶんと距離があったため、お疲れにならぬようにお抱きしてお連れしたのですよ。その間、レオンティーヌ様がたくさんお話しくださいまして、とても楽しい時間でした」
 まるで火に油を注ぐようにハイメがいらないことを話すのだ。テオドルスから、『ぐぬぬぬ』と聞こえてきそうなほどの苛立ちを感じる。
 しかし、テオドルスは満面の笑みでレオンティーヌの方に両手を差し出した。
「さあ、『おとーしゃま』の方へおいで」
 父の手を取らないわけにはいかないので、レオンティーヌはテオドルスに手を伸ばす。
「ふふふ、よしよし。じゃあ、私が倒したスライムを見に行こう」
 勝ち誇った様に笑うテオドルスの肩越しから、レオンティーヌは慌ててハイメに礼を言う。
「ハイメしゃん、橋を探してくれてありがとう。しょれから、ここまで抱っこしてくれてありがとうごじゃいましゅ」
 レオンティーヌの言葉で、テオドルスとハイメの二人は顔を見合わせたまま動かなくなった。そして、二人が同時にふっと笑う。
 レオンティーヌの言葉で、どうやら二人の間では引き分けになったようだ。
 全く……いい大人が子供に気を使わせないでほしいとレオンティーヌは思った。

 その後、黒いスライムは内部もすっかり乾燥し、乾燥わかめのような状態になっている。ここまで乾燥したら、水に入れても復活はしないそうだ。
 しかし、未知の生物なので一部を残して焼却処分にするようである。
 残った黒スライムはサミュエルが研究材料にすると言って、喜んで持って帰った。どうやら、黒スライムには植物細胞を象徴する細胞壁があったと、大騒ぎしているのだとか。まあ、詳しいことはわからないが、サミュエルが楽しそうで何よりだとほっこりしているレオンティーヌだった。

 翌朝。数学の授業の時間になると、アーベルはとても難しい顔で部屋に入ってきた。どうしたのだろうと思ったが、まずはいつものご挨拶。
「アーベル教授。おはようごじゃいましゅ。今日もよろしくお願いしましゅ」
「……はい、レオンティーヌ様。おはようございます」
 そう言ったきり、授業に入るでもなく何かを考えている。しかし、ようやく口を開くとレオンティーヌに関する重大な秘密を暴露しだした。
「レオンティーヌ様、あなたは今お教えしている授業内容をとっくに把握していらっしゃいますね?」
 突然のことに、言い逃れできないレオンティーヌ。中学レベルの学習をゆっくりしていこうと思っていたのに、好きではない数学のレベルを上げるわけにはいかない。
「え? なんのことでしゅ?」
 とぼけてみた。が、無理だった。
「昨日の黒いスライムの時に、私は『二十八度の比率がわからない』としか言っておりませんでした。しかし、レオンティーヌ様はそこから的確な数字をお答えになられましたよね? つまり、あなたはそこまでの知識を持っていらっしゃった……コサインとおっしゃっておられましたしね!」
(しまったぁぁ。そこまで考えてなかった! これはなんとかごまかさないと! 大人だけれど中学レベルの数学でも、すっかり忘れ果てて結構難しかったりするのに、これ以上難しい問題など解きたくない!)
 しかし、アーベルにじっと目を合わされては嘘がつけなかった。
「知ってまちた……」
 やはりとばかりに、納得した表情でアーベルは重々しく頷く。
「その知識のわりに、レオンティーヌ様は単純な計算が非常に苦手でいらっしゃるのではないですか?」
 レオンティーヌが最も恐れていたことを見抜いて、爆弾を投下してきた。
 すっかりバレていたのだ。逃げ道もなく、レオンティーヌは素直に頷いた。
 その結果、次の授業にレオンティーヌが嫌いな二けたの百マス計算を用意されてしまう。授業の始まりにひーひー言いながら、四則計算をして、授業の後半は一気に中学後半レベルにまで難しくなった問題を解くことになってしまったのだった。
(『1+1』をやっていたアーベル教授が懐かしい……)
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