冷徹国王の愛娘は本好きの転生幼女~この世の本すべてをインプットできる特別な力で大好きなパパと国を救います!~
王宮の創薬研究所所長兼、薬園で働くサミュエル・ランゲは、古びた異国の書物を読むために、辞書を照らし合わせて何時間も奮闘しているにもかかわらず、異国語の本が古書体で書かれているために、全く翻訳が進んでいない。自室に戻ってからも、もうずっとわからない文字とにらめっこをしている。本来は整った目鼻立ちの美男だが、普段よりも顔色がかなり悪い。
「このヘンテコな文字はっと……、『ギョーイ』と読むのか……? そしてその意味は……というと」
古文解読書の次は、辞書に切り替えてペラペラとめくり、ギョーイなる単語の意味を調べていた。
「かぁぁ!! もう全くわからないや……」
机に突っ伏し、緑の髪の毛をわさわさとかき上げるサミュエルは、色々な薬草が入った瓶を眺める。
その中には、この国の国王が、わざわざ異国で採取してくれたものもあった。
国王テオドルス・エールトマンスは、三十歳で、サミュエルにとっては兄のような存在だ。
まだ二十六歳のサミュエルを創薬研究所の所長に任命してくれた人でもある。
サミュエルの創薬研究の知識は誰よりも豊富だったが、頭の固い重鎮どもが幅を利かせていて、研究所もまともに使わせてもらえなかった。
それらのしがらみから解き放つように、所長に抜擢(ばってき)してくれたのだ。そういった経緯から、テオドルスには並々ならぬ恩義がある。
そのテオドルスが、近頃原因不明の頭痛に襲われているというのだ。これを少しでも改善したいと、異国の本を取り寄せたのだが、古文で書かれた書物であったために読めずにいた。
何日も奮闘するが、全く進まない。
ふと時計を見ると針は四時三十分を指している。
(……今日も徹夜をしてしまった。)
窓の外を見ると、山際は濃いオレンジ色をしているが、そこからグラデーションをかけたように深い青色が夜空へと続いていた。
もう少しだけでも翻訳を進めようと、辞書を片手に眠い目をこすって頑張ったが、次第に辞書を持つ手が重くなっていったのだった。
あのあと、そのまま眠っていたようで、目が覚めると空は明るくなって窓辺には朝日が差し込み、見上げると雲一つない。
「今日もいい天気になりそうだな……」
首を回すと、グキグキと嫌な音を立てた。
どうやら、恐ろしく肩が凝っているようだ。
「よしっ」と声を出し立ち上がると、鞄に薬草図鑑と異国の書物と古文解読書、異国語の辞書を放り込み、扉を開けて出ていった。
目指すは王宮の敷地内にある薬園。
白樺(しらかば)林が美しく、その先にある開けた場所が薬園である。薬園の奥にはドームに覆われた植物園もある。
サミュエルにとってほっとできる場所なのだ。
「ああ、生き返るな」
深呼吸をすると、全身にきれいな空気が行き渡るようだ。
立ち止まり目をつむる。目を開けた瞬間、落下物に気づいたサミュエルは当然よけきれず、大きく仰(あお)向(む)けに転んでしまうが、落ちてきた小動物だけは怪(け)我(が)をしないように抱き留めていた。
「ご、ごめんにゃしゃい!」
小さな動物は、なんとも可愛い女の子だった。
仰向けのサミュエルの上にちょこんとのった女の子は、眉が垂れて心配そうにしている。
その瞳は美しい深緑色で、じっと見つめられると吸い込まれそうである。この色をどこかで見たなと、考えていると、女の子が「よいしょ」と必死でサミュエルから下りようと動いていた。
その動きはまるで小動物のようで、微笑ましい。
女の子が下りたので、サミュエルは地面に座り直して、女の子の目線に合わせたまま、話しかけた。
「お怪我はないですか?」
「にゃいでしゅ。道がわからなくて、木に登っていたら落ちたの。本当にごめんにゃしゃい」
深々と頭を下げると、ダークブラウンの髪の毛が顔を隠した。
「私も怪我なんてしてないし、大丈夫だよ」
サミュエルがそう言うと、女の子は安心したのか、すぐに顔を上げてにこっと笑う。
その瞳の色はテオドルスの瞳の色とそっくりだった。
(髪の毛の色が金色なら、本当によく似ている)
気になったサミュエルは、女の子に名前を尋ねた。
「私は薬園で働いている、サミュエル・ランゲです。お嬢さんのお名前は?」
「えっとね、わたしのにゃまえは、レオンティーヌでしゅ」
その名前を聞いてサミュエルの動きが止まった。
テオドルスに娘がいることは知っているが、離宮に住んでいるとしか聞いていない。テオドルスはまるで、隠しているかのようにその子を表に出さないし、そもそも子供の話題にも触れないせいで、最近雇用された者の中には、彼が子持ちだと知らない者もいるほどだ。
しかも、離宮からこの白樺林までは距離があるし、薬園の近くには池があり、子供一人で歩かせるには危険である。どう考えても二歳の王女がお付きもなく一人で、外にいるのはおかしい。
「レオンティーヌ様の乳母や侍女はどこにいるのですか?」
この質問に戸惑うレオンティーヌは、三日前のヨリックとの最後の会話を思い出していた。
家庭教師に見捨てられたあの日の出来事だ。
「ふー……話しぇば長いの。わたし、家庭教師のしぇんしぇいを見ちゅけなければならにゃいの。でも、一番大事なのは、本がいっぱいある王宮の図書館に行くことなのでしゅ……」
小さい女の子が迷って困っているのならば、その願いを叶(かな)えて家庭教師を探してあげたいが、この子の場合、今頃乳母や侍女たちが血相を変えて捜しているに違いない。
「うーん……、今日は図書館を目指すのはやめにして、乳母たちが待っている離宮に帰りましょう。後日改めてレオンティーヌ様の家庭教師を見つけるお手伝いをしてさしあげるので。だから、一旦お戻りになりませんか? きっと皆さんが心配していますよ」
じーっとサミュエルを見つめるレオンティーヌ。
「うん、わかったわ。帰りましゅ。じゃあ、じぇったいに、手ちゅだってね」
素直に提案を受け入れてくれたので、サミュエルはほっと一安心していた。レオンティーヌが帰らないと駄々をこねたらどうしようと内心ひやひやしていたのだ。勝手に離宮を出てくるなんてお転婆だと思っていたが、聞き分けのよい子だと見直していた。
サミュエルはレオンティーヌを離宮に送るために立ち上がり、放り投げていた鞄を拾う。
が、うっかり鞄の取っ手を持ったつもりが、全く反対の鞄の底を持ってしまった。
当然鞄の中の本がバサバサと地面に落ちる。すべての本が開いた状態でレオンティーヌの前に散乱した。
瞬時にすべての本から金色の糸がとどめなく湧き出して、レオンティーヌに吸い込まれていく。
サミュエルは目を真ん丸にして、穴があくほどレオンティーヌを凝視する。
「今、レオンティーヌ様の瞳は金色になっていましたよ。なぜだろう? 光の加減かな?」
サミュエルには金色の糸が見えていなかった。
「サミュエルしゃんは、他に何か見えまちたか?」
「いや? レオンティーヌ様の金色の瞳だけです」
「き、きっと、わたしの瞳が金色に見えたにょは、光が重なったからでしゅよ~」
「うん、きっとそうですね。今日は日差しが強いから……」
サミュエルが開いたままの本を拾い上げ、レオンティーヌに見せるようにして、なにげに目に入ったある単語を指差した。
「この本のこれを探しているんです。大事な人の病気が、これで治るかもしれなくて……」
「ギョーイはこのあたりにはにゃいけど、離宮の庭にありゅよ」
にっこり笑うレオンティーヌに、サミュエルは驚き、バサッと本を落として固まった。
しかし、レオンティーヌは自分が何をしでかしたのかまだわかっていないようだ。
レオンティーヌが怪(け)訝(げん)な顔で、サミュエルを覗(のぞ)き込む。
わなわなと震えていたサミュエルは、驚きを押し殺し、なんとか笑顔をつくる。
「じゃあ、離宮に着いたらこのギョーイがあるところまで連れていっていただけますか?」
彼は笑顔を向けたまま、努めて穏やかに言う。
「うん、わかった。サミュエルしゃんを案内しゅるね」
レオンティーヌはあっさりと快諾してくれる。サミュエルは彼女と手を繋ぎ、離宮に向かうことになった。
王宮内の北にある離宮を目指してレオンティーヌと一緒に歩いていると、ずっと先に東へと横切って行くヨリックを見かけた。すると、レオンティーヌがありったけの声で叫ぶ。
「ヨリックしぇんしぇーい!」
遠目に見ても、ヨリックの全身がビクッとなったのがわかった。
今の感じだと絶対に、レオンティーヌの声はヨリックに届いたはずなのに、なぜか回れ右して立ち去ろうとしている。不思議に思いサミュエルも、ヨリックに声をかける。
「ヨリックさんじゃないですか?」
サミュエルはよく図書館を利用するため、司書のヨリックとは顔なじみだ。
ヨリックが、振り返りわざとらしく、たった今気がついたふうを装う。
「これはどうも、サミュエル様ではないですか? レオンティーヌ様と一緒にどちらに?」
ヨリックは引きつった顔をごまかそうと、頑張って微笑んでいる。
そんなヨリックの質問には答えず、サミュエルは興奮気味にヨリックに尋ねた。
「もしかしてヨリックさんが、レオンティーヌ様の家庭教師なのですか?」
「その……ですね、先生といっても、先日レオンティーヌ様と挨拶を交わした程度でして、本格的に勉強を教えるのはこれからで、それもこれからどうなるか……」
「ぜひ、ヨリックさん、レオンティーヌ様の勉強を見てあげてください! 彼女は……」
歯切れの悪い返事をするヨリックに、サミュエルは喜々として一押しした。さらに声をワントーン落として続ける。
「驚かないでくださいよ。実はレオンティーヌ様は『天才』かもしれません」
ヨリックは目を眇(すが)めて、「てへっ」と笑うレオンティーヌを見ていたが、サミュエルはますますテンションを上げる。
「ヨリックさんはギョーイを知っていますか?」
そんな言葉に心当たりがないのか、ヨリックは、考えながら首をかしげた。
「ギョーイ……? それはなんですか?」
「やはり……」
そうつぶやきながらサミュエルは、うっすらと口元に弧を描いた。その瞳は得がたい者を見つけた喜びに輝いている。
サミュエルは鞄から例の古文書を取り出して、ヨリックに見せた。そして、表紙をめくろうとする。
ヨリックは慌てた様子で手を伸ばしかけたが、サミュエルは気にせず本を開いた。
が、なにも起こらなかった。
サミュエルの前で、レオンティーヌとヨリックがひそひそと話し始める。
「本が落ちたときに開いちゃって、読んじゃいまちた」
「彼に見られたのか?」
「サミュエルしゃんは、金色の糸は見えにゃいから大丈夫でしゅ──」
二人のひそひそ話が終わったと同時に、サミュエルは開いていたページをヨリックに向けて見せた。
「この書物を見てください。この文字がヨリックさんには読めますか?」
ヨリックはほっとしたような表情を見せたあと、真剣な目つきになる。
「どこの国の文字だろうか?」
王宮図書館に勤めていたヨリックでも、見たことのない文字のようだ。
「そうなんです! わからないのが当たり前なんですよ! この文字は遠い異国の書物で、さらに古代の書体で書かれたものです。この文字をすらすら読める者がこの国にいるはずがないのです! しかし、いたんですよ!」
ヨリックは頭を押さえているが、サミュエルは嬉しさのあまり、つい熱くなってしまいお願いをする。
「ヨリックさん、少しの間でいい。私の研究をレオンティーヌ様に手伝っていただくことはできないでしょうか?」
「それは少し考えさせていただけませんか? それに、オルガさんたちも心配していると思うので、先を急ぎましょう」
ヨリックに言われるまで、離宮で待っているオルガのことを、サミュエルはすっかり忘れていたのだ。慌てた彼は、「失礼します」とレオンティーヌを抱き上げ、急ぎ足で離宮に向かった。
離宮に着くとサミュエルは、オルガの説教からレオンティーヌを守る盾にされている。サミュエルの後ろに隠れて、『助けて』と言わんばかりの小さな王女様の無垢(むく)な瞳に絆(ほだ)されて、サミュエルも一緒に長い説教を食らったのだった。
オルガから解放された二人は、離宮の裏手の庭園にある花壇に向かう。そこには、小花が密集して一つの大きな花に見える植物が咲いていた。ピンクの花びらにまるで塩をまいたような点々がついていた。
「これが、ギョーイで、普通は、アジシオサイって呼ばれてましゅね」
「ああ、雨期に咲くこの花のことだったのですか。まさか、ギョーイがこの花だったなんて、思いもしなかったです。本当にありがとうございます。これで薬の完成がまた一歩近くなりました。」
サミュエルはレオンティーヌの前にひざまずいて、深く頭を下げる。
「やはり、あなたの力が必要です。ぜひご協力ください」
「わたしは本も読めて、植物の種類も見分けられるから、やってみたいでしゅが……」
サミュエルとレオンティーヌが、難しい顔をしているヨリックに視線を移す。しばらく腕組みをして悩んでいたヨリックから、最終的に許可をもらうことができ、サミュエルはレオンティーヌと抱き合い喜んだ。
「このヘンテコな文字はっと……、『ギョーイ』と読むのか……? そしてその意味は……というと」
古文解読書の次は、辞書に切り替えてペラペラとめくり、ギョーイなる単語の意味を調べていた。
「かぁぁ!! もう全くわからないや……」
机に突っ伏し、緑の髪の毛をわさわさとかき上げるサミュエルは、色々な薬草が入った瓶を眺める。
その中には、この国の国王が、わざわざ異国で採取してくれたものもあった。
国王テオドルス・エールトマンスは、三十歳で、サミュエルにとっては兄のような存在だ。
まだ二十六歳のサミュエルを創薬研究所の所長に任命してくれた人でもある。
サミュエルの創薬研究の知識は誰よりも豊富だったが、頭の固い重鎮どもが幅を利かせていて、研究所もまともに使わせてもらえなかった。
それらのしがらみから解き放つように、所長に抜擢(ばってき)してくれたのだ。そういった経緯から、テオドルスには並々ならぬ恩義がある。
そのテオドルスが、近頃原因不明の頭痛に襲われているというのだ。これを少しでも改善したいと、異国の本を取り寄せたのだが、古文で書かれた書物であったために読めずにいた。
何日も奮闘するが、全く進まない。
ふと時計を見ると針は四時三十分を指している。
(……今日も徹夜をしてしまった。)
窓の外を見ると、山際は濃いオレンジ色をしているが、そこからグラデーションをかけたように深い青色が夜空へと続いていた。
もう少しだけでも翻訳を進めようと、辞書を片手に眠い目をこすって頑張ったが、次第に辞書を持つ手が重くなっていったのだった。
あのあと、そのまま眠っていたようで、目が覚めると空は明るくなって窓辺には朝日が差し込み、見上げると雲一つない。
「今日もいい天気になりそうだな……」
首を回すと、グキグキと嫌な音を立てた。
どうやら、恐ろしく肩が凝っているようだ。
「よしっ」と声を出し立ち上がると、鞄に薬草図鑑と異国の書物と古文解読書、異国語の辞書を放り込み、扉を開けて出ていった。
目指すは王宮の敷地内にある薬園。
白樺(しらかば)林が美しく、その先にある開けた場所が薬園である。薬園の奥にはドームに覆われた植物園もある。
サミュエルにとってほっとできる場所なのだ。
「ああ、生き返るな」
深呼吸をすると、全身にきれいな空気が行き渡るようだ。
立ち止まり目をつむる。目を開けた瞬間、落下物に気づいたサミュエルは当然よけきれず、大きく仰(あお)向(む)けに転んでしまうが、落ちてきた小動物だけは怪(け)我(が)をしないように抱き留めていた。
「ご、ごめんにゃしゃい!」
小さな動物は、なんとも可愛い女の子だった。
仰向けのサミュエルの上にちょこんとのった女の子は、眉が垂れて心配そうにしている。
その瞳は美しい深緑色で、じっと見つめられると吸い込まれそうである。この色をどこかで見たなと、考えていると、女の子が「よいしょ」と必死でサミュエルから下りようと動いていた。
その動きはまるで小動物のようで、微笑ましい。
女の子が下りたので、サミュエルは地面に座り直して、女の子の目線に合わせたまま、話しかけた。
「お怪我はないですか?」
「にゃいでしゅ。道がわからなくて、木に登っていたら落ちたの。本当にごめんにゃしゃい」
深々と頭を下げると、ダークブラウンの髪の毛が顔を隠した。
「私も怪我なんてしてないし、大丈夫だよ」
サミュエルがそう言うと、女の子は安心したのか、すぐに顔を上げてにこっと笑う。
その瞳の色はテオドルスの瞳の色とそっくりだった。
(髪の毛の色が金色なら、本当によく似ている)
気になったサミュエルは、女の子に名前を尋ねた。
「私は薬園で働いている、サミュエル・ランゲです。お嬢さんのお名前は?」
「えっとね、わたしのにゃまえは、レオンティーヌでしゅ」
その名前を聞いてサミュエルの動きが止まった。
テオドルスに娘がいることは知っているが、離宮に住んでいるとしか聞いていない。テオドルスはまるで、隠しているかのようにその子を表に出さないし、そもそも子供の話題にも触れないせいで、最近雇用された者の中には、彼が子持ちだと知らない者もいるほどだ。
しかも、離宮からこの白樺林までは距離があるし、薬園の近くには池があり、子供一人で歩かせるには危険である。どう考えても二歳の王女がお付きもなく一人で、外にいるのはおかしい。
「レオンティーヌ様の乳母や侍女はどこにいるのですか?」
この質問に戸惑うレオンティーヌは、三日前のヨリックとの最後の会話を思い出していた。
家庭教師に見捨てられたあの日の出来事だ。
「ふー……話しぇば長いの。わたし、家庭教師のしぇんしぇいを見ちゅけなければならにゃいの。でも、一番大事なのは、本がいっぱいある王宮の図書館に行くことなのでしゅ……」
小さい女の子が迷って困っているのならば、その願いを叶(かな)えて家庭教師を探してあげたいが、この子の場合、今頃乳母や侍女たちが血相を変えて捜しているに違いない。
「うーん……、今日は図書館を目指すのはやめにして、乳母たちが待っている離宮に帰りましょう。後日改めてレオンティーヌ様の家庭教師を見つけるお手伝いをしてさしあげるので。だから、一旦お戻りになりませんか? きっと皆さんが心配していますよ」
じーっとサミュエルを見つめるレオンティーヌ。
「うん、わかったわ。帰りましゅ。じゃあ、じぇったいに、手ちゅだってね」
素直に提案を受け入れてくれたので、サミュエルはほっと一安心していた。レオンティーヌが帰らないと駄々をこねたらどうしようと内心ひやひやしていたのだ。勝手に離宮を出てくるなんてお転婆だと思っていたが、聞き分けのよい子だと見直していた。
サミュエルはレオンティーヌを離宮に送るために立ち上がり、放り投げていた鞄を拾う。
が、うっかり鞄の取っ手を持ったつもりが、全く反対の鞄の底を持ってしまった。
当然鞄の中の本がバサバサと地面に落ちる。すべての本が開いた状態でレオンティーヌの前に散乱した。
瞬時にすべての本から金色の糸がとどめなく湧き出して、レオンティーヌに吸い込まれていく。
サミュエルは目を真ん丸にして、穴があくほどレオンティーヌを凝視する。
「今、レオンティーヌ様の瞳は金色になっていましたよ。なぜだろう? 光の加減かな?」
サミュエルには金色の糸が見えていなかった。
「サミュエルしゃんは、他に何か見えまちたか?」
「いや? レオンティーヌ様の金色の瞳だけです」
「き、きっと、わたしの瞳が金色に見えたにょは、光が重なったからでしゅよ~」
「うん、きっとそうですね。今日は日差しが強いから……」
サミュエルが開いたままの本を拾い上げ、レオンティーヌに見せるようにして、なにげに目に入ったある単語を指差した。
「この本のこれを探しているんです。大事な人の病気が、これで治るかもしれなくて……」
「ギョーイはこのあたりにはにゃいけど、離宮の庭にありゅよ」
にっこり笑うレオンティーヌに、サミュエルは驚き、バサッと本を落として固まった。
しかし、レオンティーヌは自分が何をしでかしたのかまだわかっていないようだ。
レオンティーヌが怪(け)訝(げん)な顔で、サミュエルを覗(のぞ)き込む。
わなわなと震えていたサミュエルは、驚きを押し殺し、なんとか笑顔をつくる。
「じゃあ、離宮に着いたらこのギョーイがあるところまで連れていっていただけますか?」
彼は笑顔を向けたまま、努めて穏やかに言う。
「うん、わかった。サミュエルしゃんを案内しゅるね」
レオンティーヌはあっさりと快諾してくれる。サミュエルは彼女と手を繋ぎ、離宮に向かうことになった。
王宮内の北にある離宮を目指してレオンティーヌと一緒に歩いていると、ずっと先に東へと横切って行くヨリックを見かけた。すると、レオンティーヌがありったけの声で叫ぶ。
「ヨリックしぇんしぇーい!」
遠目に見ても、ヨリックの全身がビクッとなったのがわかった。
今の感じだと絶対に、レオンティーヌの声はヨリックに届いたはずなのに、なぜか回れ右して立ち去ろうとしている。不思議に思いサミュエルも、ヨリックに声をかける。
「ヨリックさんじゃないですか?」
サミュエルはよく図書館を利用するため、司書のヨリックとは顔なじみだ。
ヨリックが、振り返りわざとらしく、たった今気がついたふうを装う。
「これはどうも、サミュエル様ではないですか? レオンティーヌ様と一緒にどちらに?」
ヨリックは引きつった顔をごまかそうと、頑張って微笑んでいる。
そんなヨリックの質問には答えず、サミュエルは興奮気味にヨリックに尋ねた。
「もしかしてヨリックさんが、レオンティーヌ様の家庭教師なのですか?」
「その……ですね、先生といっても、先日レオンティーヌ様と挨拶を交わした程度でして、本格的に勉強を教えるのはこれからで、それもこれからどうなるか……」
「ぜひ、ヨリックさん、レオンティーヌ様の勉強を見てあげてください! 彼女は……」
歯切れの悪い返事をするヨリックに、サミュエルは喜々として一押しした。さらに声をワントーン落として続ける。
「驚かないでくださいよ。実はレオンティーヌ様は『天才』かもしれません」
ヨリックは目を眇(すが)めて、「てへっ」と笑うレオンティーヌを見ていたが、サミュエルはますますテンションを上げる。
「ヨリックさんはギョーイを知っていますか?」
そんな言葉に心当たりがないのか、ヨリックは、考えながら首をかしげた。
「ギョーイ……? それはなんですか?」
「やはり……」
そうつぶやきながらサミュエルは、うっすらと口元に弧を描いた。その瞳は得がたい者を見つけた喜びに輝いている。
サミュエルは鞄から例の古文書を取り出して、ヨリックに見せた。そして、表紙をめくろうとする。
ヨリックは慌てた様子で手を伸ばしかけたが、サミュエルは気にせず本を開いた。
が、なにも起こらなかった。
サミュエルの前で、レオンティーヌとヨリックがひそひそと話し始める。
「本が落ちたときに開いちゃって、読んじゃいまちた」
「彼に見られたのか?」
「サミュエルしゃんは、金色の糸は見えにゃいから大丈夫でしゅ──」
二人のひそひそ話が終わったと同時に、サミュエルは開いていたページをヨリックに向けて見せた。
「この書物を見てください。この文字がヨリックさんには読めますか?」
ヨリックはほっとしたような表情を見せたあと、真剣な目つきになる。
「どこの国の文字だろうか?」
王宮図書館に勤めていたヨリックでも、見たことのない文字のようだ。
「そうなんです! わからないのが当たり前なんですよ! この文字は遠い異国の書物で、さらに古代の書体で書かれたものです。この文字をすらすら読める者がこの国にいるはずがないのです! しかし、いたんですよ!」
ヨリックは頭を押さえているが、サミュエルは嬉しさのあまり、つい熱くなってしまいお願いをする。
「ヨリックさん、少しの間でいい。私の研究をレオンティーヌ様に手伝っていただくことはできないでしょうか?」
「それは少し考えさせていただけませんか? それに、オルガさんたちも心配していると思うので、先を急ぎましょう」
ヨリックに言われるまで、離宮で待っているオルガのことを、サミュエルはすっかり忘れていたのだ。慌てた彼は、「失礼します」とレオンティーヌを抱き上げ、急ぎ足で離宮に向かった。
離宮に着くとサミュエルは、オルガの説教からレオンティーヌを守る盾にされている。サミュエルの後ろに隠れて、『助けて』と言わんばかりの小さな王女様の無垢(むく)な瞳に絆(ほだ)されて、サミュエルも一緒に長い説教を食らったのだった。
オルガから解放された二人は、離宮の裏手の庭園にある花壇に向かう。そこには、小花が密集して一つの大きな花に見える植物が咲いていた。ピンクの花びらにまるで塩をまいたような点々がついていた。
「これが、ギョーイで、普通は、アジシオサイって呼ばれてましゅね」
「ああ、雨期に咲くこの花のことだったのですか。まさか、ギョーイがこの花だったなんて、思いもしなかったです。本当にありがとうございます。これで薬の完成がまた一歩近くなりました。」
サミュエルはレオンティーヌの前にひざまずいて、深く頭を下げる。
「やはり、あなたの力が必要です。ぜひご協力ください」
「わたしは本も読めて、植物の種類も見分けられるから、やってみたいでしゅが……」
サミュエルとレオンティーヌが、難しい顔をしているヨリックに視線を移す。しばらく腕組みをして悩んでいたヨリックから、最終的に許可をもらうことができ、サミュエルはレオンティーヌと抱き合い喜んだ。