妹の悪意を極上の宝石に変える無感情令嬢ですが、追放先の辺境で溺愛騎士様に「笑って」と懇願されています

第5章 雪の下の黒い澱

数日後、ルミの体調は、パフとの魔力循環と、ガスパールからの微量な栄養補給によって、歩き回れる程度には回復していた。
 今日は、テオが「領地の案内をする」と言って、外に連れ出してくれた。
 屋敷の外は、一面の銀世界だった。
 空は高く晴れ渡り、雪面が宝石のように輝いている。
 ルミは、分厚いコートに身を包み、テオの手を借りて馬車を降りた。
「寒いか?」
「……いいえ。平気です」
 ルミは、雪の冷たさを感じない。
 だが、テオは心配そうに、自分のマフラーを外してルミの首に巻いた。
「油断するな。ここの寒さは、骨まで凍らせる」
 テオのマフラーからは、日向のような匂いがした。
 ルミは、口元をマフラーに埋めた。
 ——温かい。
 ——どうしてこの人は、こんなに無防備に、私に体温を分け与えるのだろう。
 パフは、雪にはしゃいで、二人の周りを飛び回っている。

 二人は、領都から少し離れた、丘の上へと歩いた。
 そこからは、ブランネージュ領の広大な雪原が見渡せた。
 だが、ルミの目は、その美しい景色の中に混じる「異物」を捉えていた。
『魔力視覚、起動。……異常反応、検知』
 雪の下。大地の奥深く。
 そこに、どす黒い、タールのようなものが脈打っている。
 それは、広範囲に広がっており、作物の根を腐らせ、人々の活力を奪っているようだった。
「……テオ様。あれは、何ですか?」
 ルミが指差すと、テオは怪訝な顔をした。
「あれ? ただの雪原だが……」
「いいえ。雪の下です。黒くて、重いものが……」
 テオの表情が、真剣なものに変わった。
「……君には、見えるのか?」
 テオは、重々しく口を開いた。
「ここは、百年前の『氷雪戦争』の激戦地だ。数万の兵士が、この地で命を落とした。……古老たちは言う。死者の無念が、土地を呪っていると」
 呪い。
 それはつまり、行き場を失った「悪意」と「憎悪」の塊だ。
 ルミの喉が、ゴクリと鳴った。
 ——食べられる。
 あれは、ルミにとって、巨大なビュッフェのようなものだった。
 しかも、誰かを傷つけるわけではない。土地に捨てられたゴミを、掃除するだけだ。
「……近づいても、いいですか?」
「えっ? いや、危険だ。呪いに当てられたら……」
「大丈夫です。私には、分かります」
 ルミは、テオの手を振りほどき、雪原へと駆け出した。
 パフも、何かを感じ取ったのか、ルミの後を追う。

 ルミは、黒い澱みが最も濃い場所で立ち止まった。
 雪の上に膝をつき、両手を地面に当てる。
 冷たい雪を通して、禍々しい気配が伝わってくる。
 ——痛い。苦しい。憎い。殺してやる。
 百年前の兵士たちの、死の瞬間の感情。
 常人なら、触れただけで発狂するほどの怨念。
 だが、ルミは微笑んだ。
『悪意濃度:測定不能(極大)。熟成度:百年物。……いただきます』
 スキル全開。
 【悪意変換】、最大出力。
 ルミの手のひらが、掃除機のように、地中の呪いを吸い上げ始めた。
 ズズズズズ……。
 地面が低く唸る。
 黒い霧が雪の中から噴き出し、ルミの身体へと吸い込まれていく。
「ルミエール!?」
 追いついたテオが、驚愕の声を上げる。
 ルミの身体が、黒い霧に包まれている。だが、彼女は苦しむどころか、恍惚とした表情を浮かべていた。
 美味しい。
 濃厚で、深みがあって、それでいて喉越しの良い、極上のヴィンテージワインのような味。
 体中の魔力回路が、歓喜の声を上げて満たされていく。
 そして。
 ルミの手の中で、黒い霧が圧縮され、光を放ち始めた。
 ポンッ、ポンッ、ポンッ。
 軽快な音と共に、ルミの周りに、色とりどりの「お菓子」が降り注ぐ。
 ピンク色のマカロン。
 黄金色のフィナンシェ。
 エメラルド色のゼリー。
 それらは全て、呪いを浄化し、高純度の魔力へと変換した結晶だった。
 数分後。
 周囲の雪は溶け、黒い気配は完全に消滅していた。
 代わりに、甘い香りが漂う、お菓子の山が出来上がっていた。
「……ふぅ」
 ルミは、満腹感に包まれて、雪の上に大の字になった。
 生きていてよかった。こんなに美味しいものが、地面に埋まっていたなんて。

「……これは、一体……」
 テオが、呆然と立ち尽くしている。
 彼の目の前には、雪が溶け、黒い土が顔を出した大地と、山積みのお菓子。
 そして、そのお菓子を、パフが猛烈な勢いで食べている。
 ムシャムシャ、カリカリ。
 パフが一つ食べるたびに、その身体が光り、一回り大きくなっていく。
 最初は手乗りサイズだったパフが、今や中型犬ほどの大きさになっていた。
「きゅぅ〜ん!」
 パフは満足げに鳴き、ルミの顔を舐めた。
 ルミは、身体を起こし、テオを見た。
 しまった、と思った。
 食欲に負けて、力の秘密を見せてしまった。
 これで、テオも私を恐れるだろう。
 「化け物」だと、「呪われた女」だと、罵ってくれるだろうか。
 そうすれば、また彼の悪意を食べられる。
 ルミは、期待と諦めが入り混じった気持ちで、テオの言葉を待った。

 テオは、震える手で、ルミの肩を掴んだ。
「……君は」
 来る。罵倒が。
「……君は、この土地を、救ってくれたのか?」
「……え?」
 テオの瞳には、涙が溜まっていた。
「百年間、誰も解けなかった呪いを……君は、一人で背負って、浄化してくれたのか……?」
 違う。
 ただ、お腹が空いていただけだ。
 ゴミを食べただけだ。
 だが、テオはルミを強く抱きしめた。
「ありがとう……! なんて優しくて、強い子なんだ……!」
 テオの身体から、感謝と尊敬、そして愛おしさの感情が、奔流となって溢れ出す。
 ルミは、その眩しさに目を細めた。
 ——違う。
 ——誤解だ。
 ——私は、そんな立派な人間じゃない。
 でも、テオの腕の中は、呪いの味よりも、ずっと温かかった。
 ルミは、弁解する言葉を失い、ただされるがままになっていた。
 遠くから、騒ぎを聞きつけた領民たちが集まってくる気配がする。
 「聖女様」という新しい誤解が、ここから始まろうとしていた。
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