一大決心して大学院に進学したら、なぜか指導教官の外科医に溺愛されてます


「……大学院生なんてのは、身分は『学生』だ。労働者じゃない」

坂上先生は淡々と言った。

「だから、病院での診療はあくまで『研究・教育の一環』という名目になる。名目が実習なら、賃金を払う義務はない……そういう理屈だ」

「……っ、そんなの!」

私は思わず声を荒らげた。
実習? 勉強?
人の命を預かり、メスを握り、当直で夜通し働き、病院の収益に貢献しているあの業務が?

「そんなの、ただの詭弁じゃないですか!」

「詭弁だが、それがまかり通ってるのが大学病院だ」

「納得できません……!」

私は悔しさで震える手で、クシャクシャになった明細書を指差した。

「だって、もし先生の言ってる理屈が正しいなら……私だって、検査技師の給料が『ゼロ』じゃないとおかしいです!」

「……は?」

「私だって、日々検体を扱いながら勉強してます。新しい手技も覚えます。……もし先生のやってる高度な医療行為が『勉強』扱いでタダなら、私の検査業務だって『実習』扱いにならなきゃ計算が合いませんよ!」

同じ病院の中で、同じように白衣を着て、患者さんのために働いている。
なのに、国家資格を持った医師である彼が、病院職員である私よりも低い──いや、無の扱いを受けているなんて。

「先生は、私よりずっと重い責任を負ってるのに……。病院にとってなくてはならない戦力なのに……。どうして『タダ』なんですか……!」

私の訴えは、感情的な叫びだったかもしれない。

でも、それはこの巨大な組織が抱える矛盾そのものだった。
坂上先生は少しだけ目を見開き、やがて困ったように眉を下げた。

「……違いない。お前の言う通りだ」

彼は否定しなかった。
論破しようと思えばできただろう。「医師と技師は違う」「学位のためだ」と。

でも、彼は私の怒りを、正当なものとして受け止めてくれた。

「おかしいとは思う。……思うけど、俺一人が反論したって、今のこのシステムはどうにもならない」

その言葉には、個人の力ではどうしようもない組織への諦念と、それでも歯を食いしばって立つ男の孤独が滲んでいた。

「文句を言って干されるより、今は黙って働き、外勤で稼ぎ、一刻も早く学位を取ってここを抜ける。……それが一番合理的だ」

「先生……」

「泣くな。……俺が選んだ道だ」

彼は不器用に私の頭を撫でた。

「それに、もうすぐ終わる。……お前が居てくれたからだよ」

目の前の彼の掌は、温かくて、大きかった。
私は彼の腰に抱きつき、そのTシャツを涙で濡らした。




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