一大決心して大学院に進学したら、なぜか指導教官の外科医に溺愛されてます
夕暮れの自販機コーナー。
検体検査室への異動初日を終え、ひと息ついていた私の元に、御崎先生が缶コーヒーを買いにやってきた。
「……坂上とは、ちゃんと話せた?」
硬貨を投入しながら、彼は世間話のように尋ねてきた。
私は持っていた紙コップを両手で包み込み、視線を落とした。
「……『考える時間が欲しい』と言われて。……それきり、です」
「……」
「もう一週間、顔も合わせていません。研究室にも行っていないので」
事実を口にすると、胸が締め付けられるようだった。
あれほど一緒にいたのに。今は他人よりも遠い。
御崎先生は、取り出し口から缶コーヒーを拾い上げ、プシュッとプルタブを開けた。
「……そう、か。辛いな」
その声は、短く、けれど私の痛みを理解してくれている響きがあった。
彼はいつもそうだ。
必要な時に、必要な言葉をくれる。
逃げ出した坂上先生とは対照的に、私の足元を照らしてくれる。
「……御崎先生は、優しいですね」
つい、本音が漏れた。
すると、彼は一口飲んだコーヒー缶を離し、ふっと自嘲気味に鼻で笑った。
「いいや。……口だけだよ」
「え?」
彼は冷めた目で、窓の外の夕景を眺めた。
「優しいんじゃなくて、体裁を整えてるだけだ。……正直、内心ではこう思ってる」
彼は私の方を見ずに、淡々と、自分の内面を解剖するように告げた。
「『もう君達2人の問題だから、どうなろうと知ったこっちゃない』……ってね」
「……」
「冷たいだろ? でも、それが本音だ。……俺は当事者じゃない。君たちが破局しようが、シングルマザーになろうが、俺の人生には1ミリも影響しない。……面倒事に巻き込まれるのは御免だ、って冷めたこと考えてるよ」
突き放すような言葉。
けれど、不思議と嫌味には聞こえなかった。
むしろ、「俺を美化するな」「俺に依存するな」という、彼なりの線引きのように感じられた。
「……それでも」
私は顔を上げた。
「心の中でどう思っていようと……先生は、私たちを助けてくれました。行動してくれました。……私にとっては、それが全てです」
「……。ま、結果論だよ」
御崎先生は居心地が悪そうに視線を逸らした。
「知ったこっちゃない」と言いながら、結局は見捨てられない。
その矛盾こそが、この人の業なのだろう。
「……坂上は、遅いだけだ」
彼はポツリと言った。
「あいつは馬鹿で不器用だが、逃げ切れるほど器用な奴でもない。……待ってやれとは言わないが、信じてやる価値はあると思うよ」
「……はい」
結局、最後には坂上先生のフォローをしていく。
「知ったこっちゃない」なんて嘘ばっかりだ。
私はこの天邪鬼な恩人の背中に、深く頭を下げた。