一大決心して大学院に進学したら、なぜか指導教官の外科医に溺愛されてます
「……桜。悪い、車回してくる。ここで待ってて」
御崎はそう言い残し、駐車場へと走っていった。
残されたのは、俺と、御崎の彼女。
気まずい沈黙が流れる。
夜風が冷たい。彼女は少し身を縮め、御崎が消えた方向をじっと見つめている。
「……御崎は、変わってるよな」
間を持て余し、俺はついそんなことを口走っていた。
「あいつなら、もっと楽な相手もいただろうに。……女医とか、看護師とか。生活リズムも合うし、隠す必要もない相手が」
失礼な物言いだとは分かっていた。
けれど、俺はどうしても聞かずにはいられなかった。
何かを得るために、何かを犠牲にする。
その「痛み」を、彼女たちがどう処理しているのかを。
「……そうですね」
中野桜は怒ることもなく、静かに肯定した。
「日向さんは……本当は、子供を欲しがってるから」
「……え」
俺は言葉を詰まらせた。
あいつの、あの時、エコーを見ていた『羨ましい』と言いたげだった横顔が蘇る。
「……考えます」
彼女は足元を見つめ、ぽつりと溢した。
「私を選んだばっかりに、彼が望むものを手に出来なかったらって、何度も考えます」
彼女はまだ学生だ。
結婚も、出産も、現実的には何年も先になる。
俺と同じ、33歳の御崎にとって、彼女と付き合うことは、一般的な「家庭を持つ幸せ」を先送りし、あるいは周囲の白い目というリスクを背負うことだ。
「……彼にとっても、もっと『正解』の道があったんじゃないか。私が彼の足枷になってるんじゃないか。……そう思うと、怖くなります」
それは、今の俺が抱えている恐怖と同じだった。
有希とお腹の子を選ぶことで、俺のキャリアが閉ざされるのではないかという恐怖。
「……それでも」
中野桜は顔を上げた。
街灯に照らされたその瞳は、小動物のように震えていたが、決して逃げてはいなかった。
「でも、日向さんは……私を選んでくれた」
彼女は、御崎から渡されたものなのか、おそらく家のキーを、お守りのように握りしめた。
「『他の誰でもない、お前がいい』って。……全ての損得を捨てて、私を選んでくれたんです」
「…………」
「だから、私も迷うのはやめました。……彼が私を選んだことが、間違いじゃなかったって証明したい。……それが、全てなんだって」
選ばなかった道のことを考えて嘆くよりも。
選んでくれた事実を、これからの人生で「正解」にしていくしかない。
彼女の華奢な背中からは、そんな強烈な覚悟が伝わってきた。
「……お待たせ」
クラクションの音と共に、御崎の車が目の前に停まる。
御崎の彼女はパッと表情を明るくし、「日向さん!」と駆け寄っていった。
俺はその場に立ち尽くしていた。
(……完敗だ)
学生の彼女ですら、腹を括っている。
なのに、いい大人の俺が、いつまで「選ばなかった道」を惜しんで立ち止まっているんだ。
『私を選んでくれた。それが全て』
その言葉が、俺の背中を強く、強く叩いた気がして。
ポケットの中のスマートフォンを、強く握りしめた。