一大決心して大学院に進学したら、なぜか指導教官の外科医に溺愛されてます
「……有希」
彼が、私の名前を呼んだ。
私は震える唇を噛み締め、彼の次の言葉を待った。
けれど。
彼の口から出てきた言葉は──私が想像していた、どの残酷な言葉でもなかった。
「結婚しよう」
「…………え?」
時が、止まったようだった。
風の音も、遠くの車の音も消えた。
「……え、あの、先生……?」
「順序が逆になって、すまん。……本当は、もっとちゃんとした場所で言うつもりだったんだけど」
彼は一歩、私に近づき、私の冷たい手を両手で包み込んだ。
その手は、彼らしくなく震えていて、でもとても温かかった。
「怖かったんだ。……お前と、子供を選ぶことで、俺のキャリアが終わるんじゃないかって」
彼は正直に吐露した。
「でも……気付いた。お前と子供を失ってまで手に入れた地位に、何の意味があるんだって」
彼は私の目を、真っ直ぐに見つめた。
そこにはもう、迷いも、逃げもなかった。
「俺は、教授になれないかもしれない。……御崎みたいに器用にも生きられないかもしれない。……それでも」
彼は、祈るように言葉を紡いだ。
「俺は、お前と生きていきたい。……お腹の子の父親に、俺をしてくれ」
張り詰めていた糸が、プツリと切れた。
我慢していた涙が、決壊したダムのように溢れ出す。
「……っ、ず、るい……です……」
「……ああ」
「……あんなに、無視してたくせに……怖かったのに……」
「……ごめん。本当に、ごめん」
彼は私を強く抱きしめた。
薬品の匂いと、彼の匂い。
一番安心する、私の帰る場所。
「……はい。……結婚、しましょう……」
私の声は涙でぐしゃぐしゃだったけれど。
彼が安堵の息をつき、さらに強く抱きしめ返してくれた力強さだけは、一生忘れないと思った。