幼馴染の影と三年目の誤解 ――その笑顔は、私に向かない
第9章 『元彼・祐真との再会』
翌週の金曜日。
オフィスの空気は、どこか浮き立っていた。
みんなが週末を意識しているからだ。
けれど――
由奈の心の中は重く沈んでいた。
昨日も、一昨日も、その前も。
隼人はほとんど家にいなかった。
(……今日もきっと遅いんだろうな)
そんなことを考えながら、
外の空気を吸おうと昼休みに近くのカフェへ向かった。
店内は落ち着いた音楽が流れていて、
ミルクとコーヒーの香りが心を包む。
席につき、
息を落とすように小さく深呼吸した。
(少し、気分転換しないと……)
そう思いながら温かいカフェラテに口をつけた、その瞬間。
「……由奈?」
その声は、
忘れかけていた名前のように
ゆっくりと耳に届いた。
顔を上げた瞬間、
血の気が引く。
「……祐真……さん……?」
大学時代の元彼、
長瀬祐真が立っていた。
変わらない優しい微笑。
整ったシャツの襟元。
記憶の中と同じ、柔らかい雰囲気。
でも――
由奈の心はざわついた。
この人に会いたくなかった。
あの言葉が甦る。
(どうして……今……?)
祐真は、驚いたように笑った。
「すごい偶然だね。
元気してた?」
由奈は喉がつまったように言葉が出なかった。
「え、えっと……はい。
元気……です」
本当は元気なんかじゃないのに。
隼人ともすれ違ってばかりなのに。
でも、嘘でもそう言ってしまうのは癖のようなものだった。
祐真は自然に向かいの席に座り、
柔らかい声で言った。
「君、変わってないな。
前と同じで……可愛いまま」
その瞬間、
由奈の胸に冷たいものが広がる。
昔、祐真に言われた言葉。
それは、
最後には投げ捨てられた最悪な言葉だった。
(……嫌だ。思い出したくない)
視線を落とすと、
手首の白いシュシュが揺れた。
祐真は気づき、ふっと笑う。
「それ、昔からつけてたよね?
俺の好みに合わせてくれてたっけ」
違う。
そのシュシュは――
隼人にもらったもの。
けれど由奈は言えなかった。
心が乱れてしまって。
祐真は懐かしそうに目を細めて言う。
「由奈って、
何かあるとすぐ泣きそうになるところ、昔のままだね」
胸がズキッと痛む。
(……隼人さんにも、そう思われてたら……どうしよう)
そのときだった。
背後から、
空気を切るような気配がした。
「……由奈?」
静かで、低い声。
由奈が顔を上げると、
そこに立っていたのは――隼人だった。
スーツの上着を片腕にかけ、
冷たい瞳で祐真を見ている。
隼人の表情は穏やかだ。
穏やかなのに、
目だけがまったく笑っていなかった。
「……その名前を呼んでいいのは、
夫の俺だけだ」
静かに落とされたその言葉に、
祐真がわずかに硬直する。
カップを持っていた由奈の手が震えた。
隼人はゆっくりと由奈を見る。
「帰るぞ、由奈」
穏やかな言い方なのに、
逆らえない温度があった。
祐真は気まずそうに笑い、
「……旦那さん、怖いな」
隼人は返事しない。
ただ、無言で由奈の手を取った。
手のひらが熱い。
怒りで体温が上がっているのが分かった。
(隼人さん……怒ってる?
どうして……?)
麗華には穏やかに接する隼人が――
祐真には敵意を隠さない。
カフェを出る時、
隼人の指が由奈の手に強く絡んだ。
掴むというより、
奪い返すように。
心臓が早鐘を打つ。
「隼人さん……?」
歩きながら、
隼人は言った。
……由奈を呼び捨てにするな。
その声音は、
いつもの優しい夫とは全く違った。
由奈は胸が締めつけられるような熱を感じた。
(……嫉妬?
隼人さんが……私に?)
でもその答えを口にできずにいるうちに、
隼人の手の力だけが
その“本心”を物語っていた。
――
隼人の中に、
静かに燃え始めた“独占欲”。
由奈はまだ、それを知らない。
知らないまま、
もう戻れないところまで
夫婦の距離は動き出していた。
オフィスの空気は、どこか浮き立っていた。
みんなが週末を意識しているからだ。
けれど――
由奈の心の中は重く沈んでいた。
昨日も、一昨日も、その前も。
隼人はほとんど家にいなかった。
(……今日もきっと遅いんだろうな)
そんなことを考えながら、
外の空気を吸おうと昼休みに近くのカフェへ向かった。
店内は落ち着いた音楽が流れていて、
ミルクとコーヒーの香りが心を包む。
席につき、
息を落とすように小さく深呼吸した。
(少し、気分転換しないと……)
そう思いながら温かいカフェラテに口をつけた、その瞬間。
「……由奈?」
その声は、
忘れかけていた名前のように
ゆっくりと耳に届いた。
顔を上げた瞬間、
血の気が引く。
「……祐真……さん……?」
大学時代の元彼、
長瀬祐真が立っていた。
変わらない優しい微笑。
整ったシャツの襟元。
記憶の中と同じ、柔らかい雰囲気。
でも――
由奈の心はざわついた。
この人に会いたくなかった。
あの言葉が甦る。
(どうして……今……?)
祐真は、驚いたように笑った。
「すごい偶然だね。
元気してた?」
由奈は喉がつまったように言葉が出なかった。
「え、えっと……はい。
元気……です」
本当は元気なんかじゃないのに。
隼人ともすれ違ってばかりなのに。
でも、嘘でもそう言ってしまうのは癖のようなものだった。
祐真は自然に向かいの席に座り、
柔らかい声で言った。
「君、変わってないな。
前と同じで……可愛いまま」
その瞬間、
由奈の胸に冷たいものが広がる。
昔、祐真に言われた言葉。
それは、
最後には投げ捨てられた最悪な言葉だった。
(……嫌だ。思い出したくない)
視線を落とすと、
手首の白いシュシュが揺れた。
祐真は気づき、ふっと笑う。
「それ、昔からつけてたよね?
俺の好みに合わせてくれてたっけ」
違う。
そのシュシュは――
隼人にもらったもの。
けれど由奈は言えなかった。
心が乱れてしまって。
祐真は懐かしそうに目を細めて言う。
「由奈って、
何かあるとすぐ泣きそうになるところ、昔のままだね」
胸がズキッと痛む。
(……隼人さんにも、そう思われてたら……どうしよう)
そのときだった。
背後から、
空気を切るような気配がした。
「……由奈?」
静かで、低い声。
由奈が顔を上げると、
そこに立っていたのは――隼人だった。
スーツの上着を片腕にかけ、
冷たい瞳で祐真を見ている。
隼人の表情は穏やかだ。
穏やかなのに、
目だけがまったく笑っていなかった。
「……その名前を呼んでいいのは、
夫の俺だけだ」
静かに落とされたその言葉に、
祐真がわずかに硬直する。
カップを持っていた由奈の手が震えた。
隼人はゆっくりと由奈を見る。
「帰るぞ、由奈」
穏やかな言い方なのに、
逆らえない温度があった。
祐真は気まずそうに笑い、
「……旦那さん、怖いな」
隼人は返事しない。
ただ、無言で由奈の手を取った。
手のひらが熱い。
怒りで体温が上がっているのが分かった。
(隼人さん……怒ってる?
どうして……?)
麗華には穏やかに接する隼人が――
祐真には敵意を隠さない。
カフェを出る時、
隼人の指が由奈の手に強く絡んだ。
掴むというより、
奪い返すように。
心臓が早鐘を打つ。
「隼人さん……?」
歩きながら、
隼人は言った。
……由奈を呼び捨てにするな。
その声音は、
いつもの優しい夫とは全く違った。
由奈は胸が締めつけられるような熱を感じた。
(……嫉妬?
隼人さんが……私に?)
でもその答えを口にできずにいるうちに、
隼人の手の力だけが
その“本心”を物語っていた。
――
隼人の中に、
静かに燃え始めた“独占欲”。
由奈はまだ、それを知らない。
知らないまま、
もう戻れないところまで
夫婦の距離は動き出していた。