幼馴染の影と三年目の誤解 ――その笑顔は、私に向かない
第14章 『二人の沈黙、夜の気配』
家に着く頃には、
雨はすっかり夜の匂いをまとっていた。
しとしとと窓を叩く雨音が、
静まり返ったマンションの中に響く。
隼人は玄関で傘を置くと、
軽く息を吐いた。
「……今日は疲れたな」
言葉は優しい。
いつも通りの夫の声。
けれど、その優しさが
由奈には“壁”のように感じられた。
(……本当に、疲れてるだけ?
私と一緒にいるのが……疲れるの?)
そんな不安が胸を占める。
リビングに入った隼人は、
ジャケットを脱ぎながら言った。
「由奈、先にシャワー浴びてこい」
その何気ない言葉が、
まるで“近づくなよ”
と言われたように感じてしまう。
「い、いえ……私は後で……」
「……そうか」
隼人の声は淡々としていた。
怒ってはいない。
ただ、静かすぎる。
ふたりの間に、
ひどく冷たい空気が流れた。
夕食の時間になっても、
会話はほとんどなかった。
テーブルの上に置かれた
湯気の立つスープ。
それに視線を落としたまま、
隼人はゆっくりスプーンを動かす。
その横顔は優しいのに、
どこか考え込んでいるようだった。
由奈は、何度も声を出そうとして
そのたびに喉が詰まる。
(……ごめんなさいって、言うべき?
でも……何を、どう謝ればいいの?)
言葉が見つからない。
隼人もまた、
言葉を探しているように見えた。
スープを口にしながら、
ふっと視線を上げて由奈を見る。
けれど、何も言わない。
そのまま視線をそらしてしまう。
(隼人さん……目を合わせてくれない……?)
胸が痛む。
もし嫌われたなら、
理由を知りたい。
でも、聞くのが怖い。
そんな矛盾で心が揺れる。
やがて隼人はスプーンを置き、
短く言った。
「もう一度聞くけど……祐真とは、
本当にもう何もないんだな?」
由奈の手が震えた。
「はい……本当に。
もう……何も……」
隼人は深く息を吸うと、
目を伏せて言った。
「……分かった。
信じるよ」
その言葉は
温かいはずなのに、
どこか冷めて聞こえた。
“信じる”と言いながら、
一歩だけ距離を置くような言い方。
(……嘘でも、笑って言ってほしかった……)
胸がきゅっと縮む。
隼人は立ち上がり、
片付けを手伝おうとしたが――
由奈は慌てて首を振った。
「あの……大丈夫です。
隼人さんは……休んでください」
「……そうか」
その“そうか”が、
由奈の胸に重く落ちる。
ふたりとも、
互いを思いやっている。
大切にしている。
なのに、
その思いやりが
まるで逆方向へ向かっていく。
夜、
リビングの灯りだけが柔らかく灯る中。
隼人はソファに座り、
黙ったまま書類に目を通していた。
由奈は離れた椅子で
本を開いているふりをしながら、
ページをほとんど読めていなかった。
ふたりの間には数メートル。
だけど――
心の距離はもっと遠い。
雨音が、
その沈黙を冷たく包む。
(隼人さん……
本当は、何を考えてるの……?)
本当はそばに行きたい。
隼人の肩に触れて、
「好きです」と言いたい。
でもできない。
“泣きそうな顔は嫌いだ”
“重い女は冷める”
祐真に言われてしまった言葉が、
ずっと胸に刺さっている。
隼人の前で泣いたら、
迷惑をかけてしまうのでは――
そう思ってしまう。
由奈がそうやって黙っている間、
隼人は隼人で……
ふと由奈を見つめながら、心の中で呟いていた。
(……俺が、由奈を不安にさせてるのか?
話してほしいのに……
どうして、こんなに遠い)
そう思いながらも、
隼人も不器用で、
一歩が踏み出せない。
夜が深くなるほど、
ふたりの沈黙は重く、長く伸びていく。
――触れられそうで触れられない距離。
――聞きたいのに聞けない想い。
その夜、
ふたりの間に落ちた沈黙は――
未来に続く“決定的なすれ違い”の
始まりだった。
雨はすっかり夜の匂いをまとっていた。
しとしとと窓を叩く雨音が、
静まり返ったマンションの中に響く。
隼人は玄関で傘を置くと、
軽く息を吐いた。
「……今日は疲れたな」
言葉は優しい。
いつも通りの夫の声。
けれど、その優しさが
由奈には“壁”のように感じられた。
(……本当に、疲れてるだけ?
私と一緒にいるのが……疲れるの?)
そんな不安が胸を占める。
リビングに入った隼人は、
ジャケットを脱ぎながら言った。
「由奈、先にシャワー浴びてこい」
その何気ない言葉が、
まるで“近づくなよ”
と言われたように感じてしまう。
「い、いえ……私は後で……」
「……そうか」
隼人の声は淡々としていた。
怒ってはいない。
ただ、静かすぎる。
ふたりの間に、
ひどく冷たい空気が流れた。
夕食の時間になっても、
会話はほとんどなかった。
テーブルの上に置かれた
湯気の立つスープ。
それに視線を落としたまま、
隼人はゆっくりスプーンを動かす。
その横顔は優しいのに、
どこか考え込んでいるようだった。
由奈は、何度も声を出そうとして
そのたびに喉が詰まる。
(……ごめんなさいって、言うべき?
でも……何を、どう謝ればいいの?)
言葉が見つからない。
隼人もまた、
言葉を探しているように見えた。
スープを口にしながら、
ふっと視線を上げて由奈を見る。
けれど、何も言わない。
そのまま視線をそらしてしまう。
(隼人さん……目を合わせてくれない……?)
胸が痛む。
もし嫌われたなら、
理由を知りたい。
でも、聞くのが怖い。
そんな矛盾で心が揺れる。
やがて隼人はスプーンを置き、
短く言った。
「もう一度聞くけど……祐真とは、
本当にもう何もないんだな?」
由奈の手が震えた。
「はい……本当に。
もう……何も……」
隼人は深く息を吸うと、
目を伏せて言った。
「……分かった。
信じるよ」
その言葉は
温かいはずなのに、
どこか冷めて聞こえた。
“信じる”と言いながら、
一歩だけ距離を置くような言い方。
(……嘘でも、笑って言ってほしかった……)
胸がきゅっと縮む。
隼人は立ち上がり、
片付けを手伝おうとしたが――
由奈は慌てて首を振った。
「あの……大丈夫です。
隼人さんは……休んでください」
「……そうか」
その“そうか”が、
由奈の胸に重く落ちる。
ふたりとも、
互いを思いやっている。
大切にしている。
なのに、
その思いやりが
まるで逆方向へ向かっていく。
夜、
リビングの灯りだけが柔らかく灯る中。
隼人はソファに座り、
黙ったまま書類に目を通していた。
由奈は離れた椅子で
本を開いているふりをしながら、
ページをほとんど読めていなかった。
ふたりの間には数メートル。
だけど――
心の距離はもっと遠い。
雨音が、
その沈黙を冷たく包む。
(隼人さん……
本当は、何を考えてるの……?)
本当はそばに行きたい。
隼人の肩に触れて、
「好きです」と言いたい。
でもできない。
“泣きそうな顔は嫌いだ”
“重い女は冷める”
祐真に言われてしまった言葉が、
ずっと胸に刺さっている。
隼人の前で泣いたら、
迷惑をかけてしまうのでは――
そう思ってしまう。
由奈がそうやって黙っている間、
隼人は隼人で……
ふと由奈を見つめながら、心の中で呟いていた。
(……俺が、由奈を不安にさせてるのか?
話してほしいのに……
どうして、こんなに遠い)
そう思いながらも、
隼人も不器用で、
一歩が踏み出せない。
夜が深くなるほど、
ふたりの沈黙は重く、長く伸びていく。
――触れられそうで触れられない距離。
――聞きたいのに聞けない想い。
その夜、
ふたりの間に落ちた沈黙は――
未来に続く“決定的なすれ違い”の
始まりだった。