幼馴染の影と三年目の誤解 ――その笑顔は、私に向かない
第29章 『翌朝の沈黙、そして罠』
朝の光はやわらかいのに、
リビングの空気はどこかぎこちなかった。
昨夜、
隼人に抱きしめられ、
由奈は泣き疲れて眠った。
隼人はそのそばで、
しばらく由奈の髪に触れられず、
ただ見守っていた。
胸の中で、何度も何度も反省しながら。
(傷つけたくない。
でも……どうして俺はこんなに下手なんだ)
その苦しさを抱えたまま朝を迎えた。
キッチンで、
由奈はコーヒーを淹れていた。
手元は整っているのに、
胸の奥はまだ落ち着いていない。
(昨日の……あの言葉。
“触れたい”って……
隼人さん、本当に……?)
思い出すたびに胸が熱くなる。
でも同時に、
怖くなる。
(……また、私が泣いたら……
隼人さんは困るよね)
カップをそっと置いたとき——
背後から気配がした。
「……おはよう、由奈」
隼人の声はほんの少し掠れていた。
寝不足の声。
悩んでいた声。
由奈の胸が痛む。
「……おはようございます」
二人の声は小さく、
どこか遠慮がちだった。
昨日はあれほど近かったのに、
朝になったらまた距離が生まれている。
(近づきたい。
でもまた、泣いたらどうしよう……)
(抱きしめたい。
でもまた、震えられたら……)
お互いの“怖さ”だけが沈黙を作った。
出勤の準備をする間も、
二人とも言葉を選びすぎて、
会話は短く途切れた。
隼人がジャケットを羽織りながら言う。
「……今日、
できるだけ早く帰る」
由奈は驚いて顔を上げる。
「……無理、しないでください」
「無理じゃない」
隼人はすぐに言い返した。
けれどその声は優しくて、
どこか不器用で。
由奈は胸の奥がじんわり熱くなった。
言いたい言葉は山ほどあるのに、
喉でつっかえて出てこない。
(本当は……
今日も一緒に帰りたい)
隼人も同じだった。
(本当は……
ずっとそばにいたい)
でもそれを言う勇気がなかった。
玄関で靴を履きながら、
隼人がふと声を落とした。
「……昨日は……
ごめん」
由奈は目を丸くした。
「そんな……
謝らないでください。
私こそ……」
「いや。
俺のほうが……悪かった」
由奈は首を振った。
「ちがうんです。
私が……ちゃんと、
言えなかったから……」
目が合う。
二人とも、
今にも泣きそうな不器用な笑顔だった。
その瞬間だった。
玄関の外、
廊下の端で“誰か”がスマホを構えている影に
隼人が気づかなかった。
由奈も、気づけなかった。
(隼人さんと……
またちゃんと話せるといいな)
(今日こそ……
由奈と、ちゃんと向き合いたい)
そう思いながらドアが閉まった。
そして、
少し離れたエレベーターホールでは——
麗華がスマホの画面を確認していた。
そこには、
廊下から撮影した“ある写真”があった。
・玄関で隼人と由奈が向き合う姿
・微妙な距離
・緊張した表情
・由奈の涙の跡が残った顔
見る角度によっては――
「険悪な夫婦」「泣かせた夫」
そんなふうに見えるように。
麗華は写真を確認し、
唇に歪んだ笑みを浮かべた。
「……いいわ。
由奈さんの“味方”を名乗るのにも、
理由が必要よね?」
冷たい光が瞳に宿る。
ピッ。
麗華はメッセージを送りつけた。
宛先は——
祐真。
――次の段階に進むわよ
――“由奈の安全を心配する証拠”を作って
祐真は短く返信する。
――任せろ
麗華がエレベーターに乗り込む。
閉まりゆく扉の中で
彼女は静かに呟いた。
「壊すのなんて……簡単よ」
そして、
この日の午後――
由奈と隼人のもとに“別々に”届くメッセージが
次の崩壊を引き起こすことになる。
リビングの空気はどこかぎこちなかった。
昨夜、
隼人に抱きしめられ、
由奈は泣き疲れて眠った。
隼人はそのそばで、
しばらく由奈の髪に触れられず、
ただ見守っていた。
胸の中で、何度も何度も反省しながら。
(傷つけたくない。
でも……どうして俺はこんなに下手なんだ)
その苦しさを抱えたまま朝を迎えた。
キッチンで、
由奈はコーヒーを淹れていた。
手元は整っているのに、
胸の奥はまだ落ち着いていない。
(昨日の……あの言葉。
“触れたい”って……
隼人さん、本当に……?)
思い出すたびに胸が熱くなる。
でも同時に、
怖くなる。
(……また、私が泣いたら……
隼人さんは困るよね)
カップをそっと置いたとき——
背後から気配がした。
「……おはよう、由奈」
隼人の声はほんの少し掠れていた。
寝不足の声。
悩んでいた声。
由奈の胸が痛む。
「……おはようございます」
二人の声は小さく、
どこか遠慮がちだった。
昨日はあれほど近かったのに、
朝になったらまた距離が生まれている。
(近づきたい。
でもまた、泣いたらどうしよう……)
(抱きしめたい。
でもまた、震えられたら……)
お互いの“怖さ”だけが沈黙を作った。
出勤の準備をする間も、
二人とも言葉を選びすぎて、
会話は短く途切れた。
隼人がジャケットを羽織りながら言う。
「……今日、
できるだけ早く帰る」
由奈は驚いて顔を上げる。
「……無理、しないでください」
「無理じゃない」
隼人はすぐに言い返した。
けれどその声は優しくて、
どこか不器用で。
由奈は胸の奥がじんわり熱くなった。
言いたい言葉は山ほどあるのに、
喉でつっかえて出てこない。
(本当は……
今日も一緒に帰りたい)
隼人も同じだった。
(本当は……
ずっとそばにいたい)
でもそれを言う勇気がなかった。
玄関で靴を履きながら、
隼人がふと声を落とした。
「……昨日は……
ごめん」
由奈は目を丸くした。
「そんな……
謝らないでください。
私こそ……」
「いや。
俺のほうが……悪かった」
由奈は首を振った。
「ちがうんです。
私が……ちゃんと、
言えなかったから……」
目が合う。
二人とも、
今にも泣きそうな不器用な笑顔だった。
その瞬間だった。
玄関の外、
廊下の端で“誰か”がスマホを構えている影に
隼人が気づかなかった。
由奈も、気づけなかった。
(隼人さんと……
またちゃんと話せるといいな)
(今日こそ……
由奈と、ちゃんと向き合いたい)
そう思いながらドアが閉まった。
そして、
少し離れたエレベーターホールでは——
麗華がスマホの画面を確認していた。
そこには、
廊下から撮影した“ある写真”があった。
・玄関で隼人と由奈が向き合う姿
・微妙な距離
・緊張した表情
・由奈の涙の跡が残った顔
見る角度によっては――
「険悪な夫婦」「泣かせた夫」
そんなふうに見えるように。
麗華は写真を確認し、
唇に歪んだ笑みを浮かべた。
「……いいわ。
由奈さんの“味方”を名乗るのにも、
理由が必要よね?」
冷たい光が瞳に宿る。
ピッ。
麗華はメッセージを送りつけた。
宛先は——
祐真。
――次の段階に進むわよ
――“由奈の安全を心配する証拠”を作って
祐真は短く返信する。
――任せろ
麗華がエレベーターに乗り込む。
閉まりゆく扉の中で
彼女は静かに呟いた。
「壊すのなんて……簡単よ」
そして、
この日の午後――
由奈と隼人のもとに“別々に”届くメッセージが
次の崩壊を引き起こすことになる。