幼馴染の影と三年目の誤解 ――その笑顔は、私に向かない
第3章 『触れられなかった手の記憶』
夕方。
オフィスの窓から見える空は、
昼間の明るさを少しずつ手放しながら、
淡いオレンジ色へと変わっていた。
一日の仕事を終えて帰る準備をしていると、
隼人が近づいてきた気配がした。
「由奈、帰るか?」
いつもの淡々とした声。
優しいのに、どこか距離がある。
「……はい」
由奈はバッグを肩にかけながら答えた。
二人で並んでエレベーターへ向かう。
けれど、その歩幅は微妙に揃わない。
以前は――
自然に手をつないで歩いていたのに。
エレベーターの中で、
由奈の指先が少しだけ隼人の手に触れた。
ほんの、ほんの一瞬。
その瞬間、隼人の手が“そっと避けるように”わずかに動いた。
(……また)
胸がきゅっと縮む。
避けられたわけじゃない。
ただ、タイミングがずれただけ。
そう思い込もうとするけれど、
由奈の心はごまかせなかった。
あの“触れられなかった記憶”がよみがえる。
――大学時代。
泣きながら別れを告げた祐真に、
由奈は最後まで触れられなかった。
祐真は、由奈の震える手を見て
「怯えたり泣いたり、お前本当さぁ、何なんだよ」と吐き捨てた。
あの瞬間、
由奈は自分の手にも、想いにも、価値がないように思えてしまった。
(隼人まで……同じなら、どうしよう)
エレベーターが一階に着く音が響いた。
降りたあと、
隼人はふいにスマホを見ながら言った。
「悪い、由奈。先に行っててくれ。
話したい人が――来てる」
由奈の足が止まる。
見ると、
ビルの外の柱にもたれかかるようにして、
麗華が待っていた。
ライトに照らされた麗華は、
まるで迎えを待つ恋人のように美しく微笑んでいる。
「隼人、お疲れさま。
例の件、少しだけ相談があって……いい?」
隼人は軽く頷き、麗華の横へ向かう。
「由奈、先に帰ってて。遅くはならない」
その言葉には、
優しさと――ほんの少しの無意識な“距離”が混ざっていた。
由奈は笑うふりをして
「分かった。先、帰ってるね。」と言った。
けれど、喉がきゅっと締めつけられて、
声が震えていた。
隼人は気づかず、
麗華の方へ歩いていった。
隣に並んだ二人の姿は、
あまりにも自然で、
あまりにも“お似合い”に見えてしまう。
(どうして……私じゃないの)
帰り道。
夜風がそっと首筋をなでた。
由奈は手を胸に当てる。
さっき触れられなかった指先が、
じんわりと冷たかった。
“触れてほしい相手”がいるのに、
その人には触れられない。
そして――
“触れられたくない記憶”ばかりが胸に残っていく。
(隼人は……どうして私に触れてくれないの?)
追い詰めるような疑問が、
静かに、しかし確かに由奈の心を締めつけた。
触れられなかった手の記憶が、
夫婦の距離をさらに遠ざけていく――
そんな夜だった。
オフィスの窓から見える空は、
昼間の明るさを少しずつ手放しながら、
淡いオレンジ色へと変わっていた。
一日の仕事を終えて帰る準備をしていると、
隼人が近づいてきた気配がした。
「由奈、帰るか?」
いつもの淡々とした声。
優しいのに、どこか距離がある。
「……はい」
由奈はバッグを肩にかけながら答えた。
二人で並んでエレベーターへ向かう。
けれど、その歩幅は微妙に揃わない。
以前は――
自然に手をつないで歩いていたのに。
エレベーターの中で、
由奈の指先が少しだけ隼人の手に触れた。
ほんの、ほんの一瞬。
その瞬間、隼人の手が“そっと避けるように”わずかに動いた。
(……また)
胸がきゅっと縮む。
避けられたわけじゃない。
ただ、タイミングがずれただけ。
そう思い込もうとするけれど、
由奈の心はごまかせなかった。
あの“触れられなかった記憶”がよみがえる。
――大学時代。
泣きながら別れを告げた祐真に、
由奈は最後まで触れられなかった。
祐真は、由奈の震える手を見て
「怯えたり泣いたり、お前本当さぁ、何なんだよ」と吐き捨てた。
あの瞬間、
由奈は自分の手にも、想いにも、価値がないように思えてしまった。
(隼人まで……同じなら、どうしよう)
エレベーターが一階に着く音が響いた。
降りたあと、
隼人はふいにスマホを見ながら言った。
「悪い、由奈。先に行っててくれ。
話したい人が――来てる」
由奈の足が止まる。
見ると、
ビルの外の柱にもたれかかるようにして、
麗華が待っていた。
ライトに照らされた麗華は、
まるで迎えを待つ恋人のように美しく微笑んでいる。
「隼人、お疲れさま。
例の件、少しだけ相談があって……いい?」
隼人は軽く頷き、麗華の横へ向かう。
「由奈、先に帰ってて。遅くはならない」
その言葉には、
優しさと――ほんの少しの無意識な“距離”が混ざっていた。
由奈は笑うふりをして
「分かった。先、帰ってるね。」と言った。
けれど、喉がきゅっと締めつけられて、
声が震えていた。
隼人は気づかず、
麗華の方へ歩いていった。
隣に並んだ二人の姿は、
あまりにも自然で、
あまりにも“お似合い”に見えてしまう。
(どうして……私じゃないの)
帰り道。
夜風がそっと首筋をなでた。
由奈は手を胸に当てる。
さっき触れられなかった指先が、
じんわりと冷たかった。
“触れてほしい相手”がいるのに、
その人には触れられない。
そして――
“触れられたくない記憶”ばかりが胸に残っていく。
(隼人は……どうして私に触れてくれないの?)
追い詰めるような疑問が、
静かに、しかし確かに由奈の心を締めつけた。
触れられなかった手の記憶が、
夫婦の距離をさらに遠ざけていく――
そんな夜だった。