幼馴染の影と三年目の誤解 ――その笑顔は、私に向かない

第4章 『麗華の“善意”の忠告』

隼人と別れたあと、
由奈はゆっくりと歩きながら家へ向かった。

ライトに照らされる道路がぼんやり揺れて見える。
胸の奥が重く沈み、
呼吸が浅くなる。

(私……何か、間違ってるのかな)

そう自問しながらマンションのエントランスを開けた瞬間。

「――あら、由奈さん?」

聞き慣れた、澄んだ声。

振り向けば、白いコートを肩にかけた麗華が立っていた。
夜なのに、落ち着いた大人の気品が漂っていて、
思わず見惚れてしまうほど綺麗だった。

けれど、その瞳には
かすかな冷えた光が宿っている。

「こんなところで偶然ね。
隼人、今向かってると思うけど……」

麗華は由奈に歩み寄り、
心配そうな顔を作った。

「……大丈夫? 少し、顔色が悪いわ」

その優しい声音が、
今の由奈には痛かった。

「大丈夫です。……少し、疲れただけです」

笑おうとしたけれど、
口元が上手く動かなかった。

麗華はそっと由奈の腕に触れ、
少しだけ身をかがめて言う。

「由奈さん、無理はしないでね。
隼人って、優しく見えるけど……
奥様の気持ちには気づきにくい人だから」

心臓がきゅっと縮む。

(……気づきにくい?)

麗華は続けた。

「昔からそうなの。
大切に思ってる相手ほど、距離を置いちゃう癖があって。
ほら……不器用でしょ、あの人」

まるで、
“あなたより私のほうが隼人を分かっている”――
そう言われたように聞こえた。

「……そう、なんですね」

由奈が落ち込みかけているのを見て、
麗華はさらに追い打ちをかけるように微笑んだ。

「でもね――
由奈さんがもっとハッキリ言わないと、
隼人はあなたが困ってるなんて分からないわよ?」

その言葉は一見、正論に聞こえる。
だけど、由奈の心には
“あなたが悪いのよ”という棘にしかならなかった。

麗華は気づいているのかいないのか――
由奈の胸の痛みに、
まるで触れるような声でささやいた。

「隼人って、昔から私の困っている事にはすぐ気づいてくれるの。
たぶん……そういう距離感で育ってきたのよね。」

(やめて……そんなこと言わないで)

喉が締めつけられて、
由奈は反論できなかった。

麗華はさらに微笑み、

「由奈さんも、頑張って。
隼人に“妻として”寄り添ってあげれば……
きっと、うまくいくわ」

そう言うと、
まるで勝利を確信したように軽い仕草で髪を払った。

由奈には、その言葉の裏に
“あなたじゃ隼人を支えられない”
という冷たい響きが隠れているのが分かった。

「それじゃ、また会社でね」

麗華はヒールを鳴らしながらエントランスを後にした。

残された由奈は、
しばらくその場から動けなかった。

胸がつぶれそうだった。

(……隼人は、麗華さんのほうが分かり合えるの?)

そんな思いが、
静かに、ゆっくりと決定打のように落ちる。

エレベーターが上へ上がる途中、
由奈の目には涙がにじんでいた。

押し寄せる孤独に、
胸を抑えて俯く。

――麗華の“善意”が、
由奈の心に深いひびを作った夜だった。
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