君と見た花火は、苦情だらけ
第16話 家族会議と、詩織の決断
日曜の夕方、詩織の家のリビングには、いつもより一つ多く椅子が並んでいた。
ローテーブルの周りに、いつもの二人分のクッション。
その向かいに、折りたたみ椅子が二脚。
テーブルの上には、湯気の消えかけた緑茶と、スーパーの総菜。
唐揚げ、春巻き、ポテトサラダ。どれもパックのままなのに、並べ方だけ妙にきちんとしている。
「緊張するね、なんか」
キッチンとの境目にもたれて、弟が小声で言った。
「緊張させるつもりはないんだけどなあ」
詩織は、湯呑を並べ直しながら苦笑する。
さっきまで何度も、「やっぱり今日はやめようか」と口の中で転がしていた。
玄関のチャイムが鳴った。
「来た」
「はいはい、深呼吸」
弟が妙に背筋を伸ばし、詩織は自分にも言い聞かせるように胸の前で息を吐く。
◇
玄関を開けると、父と母が並んで立っていた。
父はいつものジャケット姿、母はエコバッグを両手に提げている。
「いらっしゃい。そんなに荷物、多くなくてもよかったのに」
「どうせなら食べながらのほうが話しやすいでしょ」
母がエコバッグを掲げる。中身は、さらに総菜。
唐揚げが被った。
「……唐揚げ祭りですね」
「祭りなら明るくていいじゃない」
父は靴を揃えながら、「お、中華攻めだな」とぽつり。
弟がすかさず、
「姉ちゃんが緊張して、やけに品数増やしたんだよ」
と暴露する。
「余計なこと言わない」
詩織は、テーブルクロスの端をつまんでごまかした。
四人がぐるりとテーブルを囲む。
テレビは消し、天井の照明を少し明るめにした。
「とりあえず、いただきましょうか」
母が手を合わせる。
「話は食べながらのほうが、お互い角立たないからね」
その一言に、少しだけ肩の力が抜けた。
◇
食事が始まると、最初の数分は、いつも通りの世間話だった。
弟の通院の近況。父の職場の若手の失敗談。
母の「最近の病院は待ち時間が長い」論。
唐揚げが半分ほど減ったころ、父が箸を置いた。
「で。
今日は、どんな会議なんだ?」
言い方こそ軽いが、目はまっすぐだ。
「会議って言わないでよ。……でも、まあ、そんな感じかな」
詩織も箸を置き、湯呑を両手で包んだ。
「川辺センターのこと、話さなきゃいけないなって」
弟が、少しだけ表情をこわばらせる。
「この前の説明会の?」
「そう。
ビルの一部を直して、みんなで使い続けようっていう案が、会社のほうでやっと前向きになってきて」
そこで一度言葉を切り、視線をテーブルに落とす。
「私も、仕事のスタイルを少し変えないといけないかもしれない」
母が、静かに聞いている。
弟は、膝の上で指をぎゅっと握りしめていた。
「今まではさ。
『家のことがあるから、遠くには行けない』って、自分で自分を縛ってたところがあったと思う」
言いながら、自分の胸が少しずつ軽くなるのを感じる。
「でも、川辺センターの人たち見てたら、『誰かに頼りながら続けてる』人がたくさんいて。
私も、『全部ひとりで抱えなくていいのかも』って、ちょっと思い始めてて」
弟が、顔を上げた。
「……それ、俺のこと、邪魔だって思ってるって話?」
声は小さいが、空気を刺す。
「違う」
詩織は、即座に否定した。
思わず大きな声になり、慌ててトーンを落とす。
「違うよ。
邪魔とかじゃなくて。
『全部私が抱えなきゃ』って勝手に決めてたから、逆にあなたにも、親にも、重くさせてたかもしれないって話」
母が、そっと弟のグラスにお茶を注ぎ足した。
「お母さんもね」
母は、湯呑を持ったまま、少し申し訳なさそうに笑う。
「詩織に頼りすぎてきたかもしれないって、最近やっと思ったのよ。
『あの子はしっかりしてるから』って勝手に決めて、なんでもお願いしちゃってた」
父も、頭をかく。
「俺も、『仕事が忙しいから』って口実にしてたところあるな。
病院の付き添いも、役所の書類も、気づけば大体お前に任せてた」
弟が、膝の上で握っていた手を少しほどいた。
「……ごめん。
俺、もっとちゃんと、自分でできること増やすから」
「謝る会じゃないよ」
詩織は、思わず笑ってしまう。
涙腺の奥がじわっと熱くなるのを、笑いでごまかした。
「今日は、『これからどう分担していくか』を一緒に考える会」
父が「おお、議題が出た」と冗談めかしてメモを取るふりをする。
「たとえばさ」
詩織は指折り数えながら話し始めた。
「平日の病院は、今まで通り私がメインで行くけど、事前の予約とか書類はみんなで一緒にやる、とか。
家事も、『全部やる人』を決めるんじゃなくて、『できる人ができるときに』ってルールにするとか」
弟が、真剣な顔でうなずく。
「それと……」
言い淀んでから、思い切って続けた。
「私、川辺センターの仕事、もう少し増やしたいなって思ってる。
講座の本数もそうだし、フリーペーパーの特集も」
「体は持つの?」
母の問いかけは、心配と応援が半分ずつ混ざった声だった。
「全部を完璧にしようとしたら、無理。
でも、『完璧じゃない状態を誰かと共有する』っていうのを、やってみたい」
さっきまで会議室で数字の話をしていた誰かの顔が、ふと頭に浮かぶ。
「……一緒に考えたい人がいるの?」
父が、唐揚げをつまみながらさりげなく聞いた。
「えっ」
「お父さん、その聞き方ずるい」
弟が笑いながらツッコミを入れる。
詩織は、顔が熱くなるのを感じながら、湯呑で口元を隠した。
「……います。
でも、まだ『どうする』って決めたわけじゃなくて。
だから、その前にちゃんと家のことを共有しておきたいなって」
母は目を細め、父は「なるほど」とだけ言った。
弟は、「今度、その人紹介してね」と悪戯っぽく笑う。
「そのときは、唐揚げぐらいは自分で作るからさ」
「そこ?」
笑いがテーブルの上を一周した。
重たかったはずの話題が、いつの間にか食後の雑談みたいな温度になっている。
――全部をきれいに整えてから誰かの隣に立つんじゃなくて、
ぐちゃぐちゃなままを、一緒に整えていく。
川辺センターの壁に貼られた文章を思い出しながら、詩織は胸の奥でそっと決めた。
その夜遅く、片づけを終えたリビングで、彼女は手帳を開く。
余白に、小さく書き込んだ。
『家族会議、第一回終了。
次は、二階の教室で「これからの話」。』
ローテーブルの周りに、いつもの二人分のクッション。
その向かいに、折りたたみ椅子が二脚。
テーブルの上には、湯気の消えかけた緑茶と、スーパーの総菜。
唐揚げ、春巻き、ポテトサラダ。どれもパックのままなのに、並べ方だけ妙にきちんとしている。
「緊張するね、なんか」
キッチンとの境目にもたれて、弟が小声で言った。
「緊張させるつもりはないんだけどなあ」
詩織は、湯呑を並べ直しながら苦笑する。
さっきまで何度も、「やっぱり今日はやめようか」と口の中で転がしていた。
玄関のチャイムが鳴った。
「来た」
「はいはい、深呼吸」
弟が妙に背筋を伸ばし、詩織は自分にも言い聞かせるように胸の前で息を吐く。
◇
玄関を開けると、父と母が並んで立っていた。
父はいつものジャケット姿、母はエコバッグを両手に提げている。
「いらっしゃい。そんなに荷物、多くなくてもよかったのに」
「どうせなら食べながらのほうが話しやすいでしょ」
母がエコバッグを掲げる。中身は、さらに総菜。
唐揚げが被った。
「……唐揚げ祭りですね」
「祭りなら明るくていいじゃない」
父は靴を揃えながら、「お、中華攻めだな」とぽつり。
弟がすかさず、
「姉ちゃんが緊張して、やけに品数増やしたんだよ」
と暴露する。
「余計なこと言わない」
詩織は、テーブルクロスの端をつまんでごまかした。
四人がぐるりとテーブルを囲む。
テレビは消し、天井の照明を少し明るめにした。
「とりあえず、いただきましょうか」
母が手を合わせる。
「話は食べながらのほうが、お互い角立たないからね」
その一言に、少しだけ肩の力が抜けた。
◇
食事が始まると、最初の数分は、いつも通りの世間話だった。
弟の通院の近況。父の職場の若手の失敗談。
母の「最近の病院は待ち時間が長い」論。
唐揚げが半分ほど減ったころ、父が箸を置いた。
「で。
今日は、どんな会議なんだ?」
言い方こそ軽いが、目はまっすぐだ。
「会議って言わないでよ。……でも、まあ、そんな感じかな」
詩織も箸を置き、湯呑を両手で包んだ。
「川辺センターのこと、話さなきゃいけないなって」
弟が、少しだけ表情をこわばらせる。
「この前の説明会の?」
「そう。
ビルの一部を直して、みんなで使い続けようっていう案が、会社のほうでやっと前向きになってきて」
そこで一度言葉を切り、視線をテーブルに落とす。
「私も、仕事のスタイルを少し変えないといけないかもしれない」
母が、静かに聞いている。
弟は、膝の上で指をぎゅっと握りしめていた。
「今まではさ。
『家のことがあるから、遠くには行けない』って、自分で自分を縛ってたところがあったと思う」
言いながら、自分の胸が少しずつ軽くなるのを感じる。
「でも、川辺センターの人たち見てたら、『誰かに頼りながら続けてる』人がたくさんいて。
私も、『全部ひとりで抱えなくていいのかも』って、ちょっと思い始めてて」
弟が、顔を上げた。
「……それ、俺のこと、邪魔だって思ってるって話?」
声は小さいが、空気を刺す。
「違う」
詩織は、即座に否定した。
思わず大きな声になり、慌ててトーンを落とす。
「違うよ。
邪魔とかじゃなくて。
『全部私が抱えなきゃ』って勝手に決めてたから、逆にあなたにも、親にも、重くさせてたかもしれないって話」
母が、そっと弟のグラスにお茶を注ぎ足した。
「お母さんもね」
母は、湯呑を持ったまま、少し申し訳なさそうに笑う。
「詩織に頼りすぎてきたかもしれないって、最近やっと思ったのよ。
『あの子はしっかりしてるから』って勝手に決めて、なんでもお願いしちゃってた」
父も、頭をかく。
「俺も、『仕事が忙しいから』って口実にしてたところあるな。
病院の付き添いも、役所の書類も、気づけば大体お前に任せてた」
弟が、膝の上で握っていた手を少しほどいた。
「……ごめん。
俺、もっとちゃんと、自分でできること増やすから」
「謝る会じゃないよ」
詩織は、思わず笑ってしまう。
涙腺の奥がじわっと熱くなるのを、笑いでごまかした。
「今日は、『これからどう分担していくか』を一緒に考える会」
父が「おお、議題が出た」と冗談めかしてメモを取るふりをする。
「たとえばさ」
詩織は指折り数えながら話し始めた。
「平日の病院は、今まで通り私がメインで行くけど、事前の予約とか書類はみんなで一緒にやる、とか。
家事も、『全部やる人』を決めるんじゃなくて、『できる人ができるときに』ってルールにするとか」
弟が、真剣な顔でうなずく。
「それと……」
言い淀んでから、思い切って続けた。
「私、川辺センターの仕事、もう少し増やしたいなって思ってる。
講座の本数もそうだし、フリーペーパーの特集も」
「体は持つの?」
母の問いかけは、心配と応援が半分ずつ混ざった声だった。
「全部を完璧にしようとしたら、無理。
でも、『完璧じゃない状態を誰かと共有する』っていうのを、やってみたい」
さっきまで会議室で数字の話をしていた誰かの顔が、ふと頭に浮かぶ。
「……一緒に考えたい人がいるの?」
父が、唐揚げをつまみながらさりげなく聞いた。
「えっ」
「お父さん、その聞き方ずるい」
弟が笑いながらツッコミを入れる。
詩織は、顔が熱くなるのを感じながら、湯呑で口元を隠した。
「……います。
でも、まだ『どうする』って決めたわけじゃなくて。
だから、その前にちゃんと家のことを共有しておきたいなって」
母は目を細め、父は「なるほど」とだけ言った。
弟は、「今度、その人紹介してね」と悪戯っぽく笑う。
「そのときは、唐揚げぐらいは自分で作るからさ」
「そこ?」
笑いがテーブルの上を一周した。
重たかったはずの話題が、いつの間にか食後の雑談みたいな温度になっている。
――全部をきれいに整えてから誰かの隣に立つんじゃなくて、
ぐちゃぐちゃなままを、一緒に整えていく。
川辺センターの壁に貼られた文章を思い出しながら、詩織は胸の奥でそっと決めた。
その夜遅く、片づけを終えたリビングで、彼女は手帳を開く。
余白に、小さく書き込んだ。
『家族会議、第一回終了。
次は、二階の教室で「これからの話」。』