天敵外科医さま、いいから黙って偽装婚約しましょうか~愛さないと言った俺様ドクターの激愛が爆発して~【愛され最強ヒロインシリーズ】
ゆーちゃんは無言だった。そのまま車は順調に街を走る。
「……そろそろ下ろして。もう、自分で帰るから」
「嫌だ」
きゅっと唇を噛む。次の赤信号で降りてやる、と決めるもなかなかいいタイミングがない。
「どこまで行く気なの」
「とりあえずオレの家」
「願い下げよ」
フン、と鼻に皺を寄せる。ゆーちゃんは困ったように眉を下げた。
「なんでわからないんだ? オレは君のためを思って言っているんだ」
「余計なお世話」
「そっか」
ゆーちゃんの声が、急に冷たくなる。ひやっとして、思わず身体をかき抱きたくなるも我慢した。
「じゃあ、わかってもらうしかない。目を覚ましてもらうしか」
「……何をする気?」
「さあ」
ゆーちゃんの目は冷えている。でも、その目にはっきりと、ねっとりとした嫌な熱を感じる。
背中が粟だった。
私はきょろきょろとあたりを伺う。逃げるタイミングを必死で探した。
信号が赤になる。
停止する車に続き、ゆーちゃんも車を止めた。
私は素早くシートベルトを外し、鞄を抱えて車から飛び出す。
「志季子!」
ゆーちゃんの声を無視してガードパイプを乗り越え、歩道に出た。
街路樹はここも桜――花びらが目の前を一枚、ひらりと落ちていく。
行きかう通行人がぎょっとした顔で、私と車から叫ぶゆーちゃんを交互に見ている。
多分、カップルが喧嘩したとでも思っているのだろう。
まあ、いいや。叫ぶゆーちゃんを無視して歩き出す。
「ここ、どこだろ……」
ぐるりと見渡すと、大きな交差点にクリーム色の歩道橋が見えた。手すりは青い。
渋谷区という看板と、通りの名前が大きく書いてある。
「……あ、バス停」
あまり土地勘のない場所だったけれど、とりあえず歩道橋に向かって歩き出す。
反対側にバス停が見えた。
何系統がくるのか調べようと鞄からスマホを出すと、宗司さんから数度着信があった。すぐにかけなおす。
『志季子?』
宗司さんの声にホッとした。
私は肩から力を抜き、雑踏とまでは言わないまでもそれなりに人が行きかう歩道を歩きながら苦笑する。
「ごめんなさい。ちょっとトラブルがあって……ええといま、広尾のあたり、だと思う」
『どうしてそんなところに?』
「帰ったら詳しく話……」
と、クラクションの音が聞こえた。振り向けば、ゆーちゃんの車が無理やり路肩に停車している。
「ちょ……」
私は眉を吊り上げ、しかしそれどころじゃないと足を速める。
『志季子⁉』
宗司さんの驚いた声がスマホ越しに聞こえるけれど、返事をする余裕はない。ゆーちゃんが車から飛び出してきた。
一体なにがあったのか、わからない、でも彼は私が知っているゆーちゃんじゃない。逃げろと言う本能に従った。何をされるかわからない。
「志季子、待て、待ってくれ!」
背後からゆーちゃんの声が聞こえ、私は鞄にスマホを突っ込んで、慌てて歩道橋の階段を駆け上がり始めた。