天敵外科医さま、いいから黙って偽装婚約しましょうか~愛さないと言った俺様ドクターの激愛が爆発して~【愛され最強ヒロインシリーズ】
志季子のしつこい説得を受け、根負けした俺が渡米することに決めたのは三月の末のことだった。
赴任の準備のため渡米している園岡教授に研究機関を紹介してもらうというのが表向きの理由だ。園岡教授の協力で、アメリカ帰りの優秀な救急医の引き抜きができたことで、現場に多少の余裕ができたのも理由だ。
とはいえ。
「香月先生、まさか本当にこのままアメリカ行かないですよね?」
「先生が病院継がなかったら、この病院めちゃくちゃになりますよ」
心細そうな同僚たちに言われ苦笑する。なんとなく、自分の今までの努力が無駄ではなかったんだなと思う。
「婚前旅行を兼ねているだけだよ」
「ああ、そうでしたか。よかったあ」
「香月先生、働き詰めだったからしばらく休みとってもいいですよ、ほんと」
同僚に祝われつつ、病院から直接空港に向かう。空港のラウンジでは、志季子が論文を読み漁っていた。
「お疲れさまです」
顔も見ずに志季子が言う。かなり集中しているらしい。
コーヒー片手に彼女の横に座り、春の水彩がにじむような青空の下、白く輝く飛行機の機体を眺める。
……治療がうまくいけば、この忌々しい病の症状は寛解する。そうなればどれだけいいか。
仕事中はドーパミンでも出ているのか、全身の痛みや熱は感じにくい。
だがひとたび気が抜けると、ドッと汗が噴き出し筋肉と関節が痛み熱を孕む。
スマホを持つのすら激痛が伴った。
こっそり自分で検査をして、園岡教授に頼み込み、秘密裏の治療を始めて数年。
辛かった。
志季子が一緒に住み始め、発作の回数が減ったのは、安心感でストレスが軽減したからだろう。そしていつも適切な治療を施した。
そんな彼女が、他の同じような病気の患者のためにも、治療を受けてくれと言うものだから。
俺が治れば、よりたくさんの人を救えるはずだと――なにより、もうあなたが苦しむのを見たくないと懇願するものだから。
だから俺は治療を受けることを決めた。
なにより、と横目で志季子を見る。
今も必死で治療へ向けて知識を蓄え続けている。彼女の努力に報いたい。
元気な姿を見せてやりたい。
そのための二週間…。
そんなに現場を離れるのは、医師になってからは初めてのことだった。
ニューヨーク、かつての大統領の名前を冠した空港を二人並んで歩く。
「アメリカに来るの、初めてです」
俺の横でトランクを引く志季子が心細そうにつぶやく。心細そうどころか、不安でいっぱいといった様相だった。
「君のそんな顔は珍しいな」
「そもそも私、英語の読み書きはできても、発音も聞き取りも苦手なんです」
「いざとなればスマホでどうにでもなるさ」
税関を出て入国すると、すぐさま大柄な白人男性が近寄って来た。
「おまちしておりました、香月様」
にこやかに日本語で言われ、志季子が目を白黒とさせた。今日からしばらく世話になるホテルのスタッフだ。知人を通して、志季子の世話を頼んでいたのだ。去年彼女とランチに行ったホテルの元支配人だ。
「日本ではホテル総支配人をしておりました。そのころ、香月様には大変目にかけていただき」
説明を受けつつ、空港を出る。空港内を走る主幹道路沿いに、黒塗りの日本車が止めてあった。
レディーファーストでドアを開かれるも、不慣れな志季子は目を瞬いている。
「ほら、どうぞ。お姫様」
手を取りエスコートしてやると、志季子は慌てて車に乗る。
「おお、お姫様とは。溺愛されていらしゃるのですね」
「はは、溺愛ですめばいいんですが」
そんなもの超越しているなあ、と俺もシートに身体を預けながら思う。
ホテルの部屋に着くと、志季子はとても難しい顔をして室内をウロウロとさまよった。