甘く香るあなたと、唯一無二の。
 * * *

 
 10月の半ばを過ぎた頃、プロジェクトは佳境を迎えていた。そして、妹の結婚式まで後二ヶ月。

 残業をこなす中ポンっとスマホの通知が鳴った。今までほとんど直接連絡を取り合ったことのない詩歌からだった。


 『どうしても話したいことがあって、今お姉ちゃんの家まで来ています』


 え? そのメッセージは私を動揺させるには充分な威力を持っていた。けど、とりあえず帰らないと。夜は大分冷え込むようになってきている。急いで帰宅の準備を済ませて会社を出た。

 家の前には薄手のトレンチコートの襟を合わせて寒そうに、そして悲しみの匂いを纏った妹が所在なさげに立っていた。
「詩歌!」大声で名前を呼ばないと消えてしまいそうな、儚い雰囲気を醸し出していた。

「お姉ちゃん――」振り返り私の存在を確認すると、泣き腫らしたのか真っ赤なウサギのような瞳から更に涙をポロポロと零す。慌てて部屋の中へ招き入れ、お湯を沸かした。

「甘いの好き、だったよね?」インスタントのココアの入ったマグカップを差し出すと、「ありがとう」と小さく微笑む笑顔は幼い頃から変わっていない。

「何があったの? 急に訪ねてくるなんて」私も自分の分のココアに口をつけながら努めて冷静な声を出す。

「ごめん。今まで本当にごめんね」嗚咽を漏らしながら、苦しそうに謝罪を繰り返す姿はひどく痛々しい。

「私、自分の家族がすごく歪だって知ってた。分かってた。だけど」そう言葉を切って激しく泣いている詩歌は過呼吸を起こしかけているのか呼吸が荒い。慌てて体ごと抱き寄せ、背中をゆっくりとさする。

「大丈夫。大丈夫」何がなんて唐突過ぎて言えない。頭がうまく回らない。だけど、もしも私がこんな風に泣きじゃくっていたら、一ノ瀬課長はこうして抱き締めて「大丈夫」って言ってくれると思った。

 ゆっくりと落ち着いてきた様子に安堵していると、妹は「ごめん」と一言言葉を放ち、深呼吸を繰り返した。
 そして、私の目をじっと見つめて「お父さんから聞いたの。どうしてお母さんが私ばかり可愛がってお姉ちゃんに辛く当たるのか」と言った。

「私達、お父さんとお母さんが結婚してから遅くに生まれたでしょう?」

「……うん」詩歌は一呼吸置いてから、言葉を続けた。

「お母さん、長い間不妊治療をしていたんだって」思いもよらない事実に思わず息を呑む。

「何度も痛い思いや、苦しい思いをしてやっと授かったのがお姉ちゃん。そして、そのすぐ後に自然と授かったのが私。お母さんね、不妊治療が本当に辛かったんだって。葛藤もあったんだろうって。だから、自然と自分の元にやって来てくれた私のことの方がいい子だって思うようになったって」

「そんな――」言葉が継げない。

「うん。おかしいよね、おかしいと私も思う。やっぱり私達の家族はどこまでも歪なんだよ」詩歌の目に力が宿る。

「だからね、お姉ちゃん。家族を壊そう」

「え?」

「お姉ちゃんが昔から努力して今の生活を一人で築き上げてきたのは私も、お父さんだって分かってる。お母さんがなんて言おうと私はお姉ちゃんを尊敬してる。だからもう、お母さんや家族に縛られなくていい。自由になろう。私も自由になるから。結婚式だってしないことに決めたんだ、彼と話し合って」

「結婚式中止するの?」驚きを隠せない。

「うん。元々本当は結婚式なんてしたくなかったんだ、見世物になるみたいで。お母さんが当然かのように話を進めようとするから何も言えなかったんだけど、今回の事で私も変わりたいって思った。私も私の足で歩いていきたい、自分の人生を」そう言って花開くように笑う詩歌は自分の妹ながら美しいと思った。そして、こんなにも強い女性だったのかと驚く。

「壊してもいいの?」私から出た言葉はひどく小さく弱いものだった。

「私、ずっと愛されたかった。お母さんに。家族に」駄目だ、涙が溢れて来て止まらない。必死で唇をかむけど、決壊したダムのように私の目の端からこぼれ落ちる。今度はふわっと私の体ごと抱き締められた。温かい。

「愛してるよ、私が。壊したものを復元する必要なんてない。私達は私達の家族の形を探そうよ、これから。協力するから」


 詩歌のその言葉を聞いて、私は記憶にないくらい久しぶりに声を上げて泣いた。
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