Un BUTTER
朋政先輩の存在に気付いたうちの山城《やましろ》課長が、こちらに近付いてきた。
「朋政くん、わざわざここまで迎えに来たのか?実来くんとは直接農政局で待ち合わせるものだとばかり、」
「あ、山城《やましろ》課長!お久しぶりです!実来は交通費があるし、うちが迷惑かけた仕事なんで自家用車で迎えにきちゃいました。」
同じ課長同士なのに、うちの課長よりも先輩のほうが年下だからか不思議な感じがした。
私が証明書を取りに行くというのは、事前に先輩からうちの山城課長に話がつけてあったらしい。
それなのに私は全く持って準備をしていない。
そっか、あれか!六神に朋政先輩との電話を邪魔された時の話か。
まゆゆが自分に用事がないと分かり、安心した表情になった。
因みにまゆゆにとって朋政先輩は厳しい鬼でしかない。
私とまゆゆ以外の社員は、まばゆいオーラを纏う朋政先輩に釘付けだ。ああ、あとうちの山城課長も腹の中ではいい気はしていないだろう。
「ぼさっとするな。ほら行くよ。」
「は、はひ!」
とりあえず農政局からの証明書交付のお知らせメールを打ち出して、慌ててパソコンの電源を切った。机の引き出しから自分の名刺と貴重品を持って先輩の後を追いかける。
朋政先輩が廊下を歩くと、床にレッドカーペットが敷かれているかのように見えてしまう。
うちの美魔女といわれるお局にもエレベーターの前で話しかけられていて、先輩はなんとも柔和な笑顔で返している。その背中に、さっき私に睨みを利かせた先輩の顔をポスターにして貼ってやりたい。
「先輩聞きましたよ!ブルーだかグリーンだかの水素を輸入する案件取ってきたって話!いやあさすが先輩!スパダリだのユニコーンだの言われてるだけのことはありますねっ!」
「グリーン水素ね。あとスパダリってなに?」
今日私も一緒に証明書を取りに行く話を、全く聞いていなかったことをカバーするかのように朋政先輩を褒め称えた。
今は先輩の自家用車で、農政局に向かっている途中だ。
先輩の色白の手が黒いレザーカバーのついたシフトレバーを握り、ギアを一旦ブレーキに切り替える。
「す、すーぱーだーりん?」
「へえ。じゃあ実来はあれだ。」
「はい?」
「スーパーハニー。」
「な、なんですかそれ……」
信号待ちでパーキングにギアを入れた先輩が、助手席に座る私を見て意味深に微笑みかける。
「実来、手、ちょーだい」
「え?手?」
「馬鹿、右だよ 笑」
何も考えず左手を出した馬鹿が、言われて右手を出せば。そのままシフトレバーを握らされて、その上から朋政先輩の手で包み込まれる。
「っあ、。」
躊躇いもなくこういうことをやってしまう先輩。恥ずかしすぎて思わず俯いてしまう。
長くて細い指にも関わらず、その大きな手から伝わる大人の余裕は、私におびただしいほどの熱をもたらす。先輩の前では車内の空調も無意味らしい。
「……申請者本人が行った方がスムーズだなんて、ただの口実だよ。」
先輩の和らいだ声が、私の胸の内で反芻する。
「なかなか会えないから、今日は特別半休ってことで。」
先輩が横目だけで私に微笑みかけて、私はまだ緊張が解けずに左手を固く結んでいた。
「実来、直球で聞いていい?」
「はい?」
少し改まったような口調になった先輩が、軽く息を呑むのが分かった。
「結婚についてどう思ってんの?」
「ぶっ」
「実来の歳なら結婚を考える女性は多いと思うんだけど。」
「け、結婚は、もうちょっと後でもいっかなー。」
「それは、どういう意味で?まだ遊んでいたいとか趣味に没頭したいとか?」
「えっと。今は弟も一人暮らししてて、母が家で一人なので。私が結婚しちゃうとさびしいかなって。」
「……お父さん、亡くなられてるんだもんね。」
「そうなんですよ。もうちょっと家にいてあげたいかなとは思っているんですけど。」
「そっか。」
私の父親は私が中学3年生の時に亡くなった。珍しい潰瘍の一種で、病気が見つかってから2年のことだった。
それでも高校も大学も卒業しなさいと言ってくれた母。語学系の資格も将来必要になるだろうからと、外資系で働いていた父親の影響もあり取らせてもらった。だから少しでも長く一緒に暮らせたらと思っている。
今の先輩の質問は一体どういう意味なのだろう?
シフトレバーを握る私の指を、先輩の指が擦るように撫でる。ぶわっと手の平に汗が噴き出す。
「で、こないだの電話越しの元彼くんはなんなの。」
「な、なんなんでしょう。。」
「まだ実来に未練たらたらなの?」
「いや、それはないですよ。だってあいつ彼女いますもん。」
「……それで邪魔してくるって。いい度胸してるよね。」
というか先輩、すでにあの時の通話を邪魔してきた相手が六神だという前提で話を進めてるのだから、無駄がなく話が早い。