Un BUTTER
六神が私を抱きしめる手に、一層力を込める。
「もしかして、課長と付き合う話になった?」
こないだから六神の精神が、おかしくて不安定だ。
なんで今。なんでこのタイミング。まだ別れたつもりないなんて話、こんなに時間が経ってからいうの。
色々今さらすぎて……ほんと、怖くなる。
「……付き合う話は、まだ保留中。」
「待たせすぎじゃね?」
「先輩が、もうちょっと考えてほしいって。」
「あの人ちょっとマゾいの?」
「け、結婚を前提に、ゆっくり考えてくれって、言われて。」
「…………」
六神の手が、急に緩んだ気がして、私はそのタイミングで六神から離れた。
「だ、だからあんたもさ、もうちょっと真剣に彼女さんとのこと考えてあげたら?」
「…………」
「い、いまさら、勝手すぎるよ。別れたつもりないって思ってたなら、なんですぐに言ってくれなかったの?!振り回されてんのはこっちだよ!」
いつだって振り回されてるのは私の方なのに。なんであんたがそんな寂しそうな顔してんの?
馬鹿みたいに私を見下してるのはいつだって六神の方なのに。自分の都合でそうやって急に弱々しくみせるなんて反則だ。
農政局辞めたこと私に隠してるのだって、どこかで常に優位に立ちたいがためで。どうせまたお前は俺の元に戻ってくるとか、自分のタイミングでいつだって好きに駒を動かせる王様気取りなんでしょ?
「あんたなんて、めっちゃ嫌い――――――」
私はもう一度六神の胸ぐらをつかんでやった。営業マンのシャツがシワになったところでもう私には関係ない。
だからさらに力を込めて、六神の顔を引き寄せた。
波間と波間を縫うさざなみの音が流れるなか、私は六神にキスをした。
でたらめ言ってるのはどう考えても私か。言ってることとやってることが総じて矛盾している。
その日の午後、六神から外線で、前に言っていた味八《みはち》フーズの「冷凍柚子皮」をカナダに輸出する契約が正式に成立したと連絡があった。
なんの感情のぶれも感じない電話で。外線なら社内じゃないからすぐに何か言ってくると思っていたのに、電話を持つ手が震えるのは私の方ばかりなのか。
でも電話の切り際に『次ガールズバーやる時はミニスカ履いてきてね』と全く検討違いのことを言ってきて、それはそれでむかついた。
それから六神とは、本部での研修や出張が重なり、朝会わない日が続いた。
『しばらく忙しいんだわ。寂しい思いさせてごめんね俺のことめっちゃ嫌いな実来チャン(ᗒᗩᗕ)』
などとふざけたメッセージを送ってきたので、私も負けじと
『うん、実来めっちゃ寂しいᐠ( ᐛ )ᐟ』
というメッセージと、なにかがマッチしない絵文字を送ってみたりした。
なんの心境の変化か、割りとマメに六神が私にメッセージを入れてくるようになって、不覚にもときめいてしまう自分がいた。ただどうでもいいメッセージばかりなのは改善策を求めたい。
数日後、私は六神との奇妙キテレツな関係性にうつつを抜かしながらも、その「冷凍柚子皮」を輸出するための申請処理をしていた。
絶対に社内恋愛などこの世には存在しないと思っていた私が、こんなにも活性化させてしまっている事実に。目を背けることなど、どうできようというのか。
ああ仕事がはかどらない。
六神のことに朋政先輩のことに。ついでにまゆゆの問題と山積みだ。
あれからまゆゆは自分の恋愛話に関して、おとなしい日々を過ごしていた。
そんなある日のお昼休み、例のごとく、静かな8階のラウンジへ行こうと誘われた。
「一希《かずき》さんとはその後どうなったの?」
「え?普通に仲直りしたよ。」
「そうなんだ。よかったね。」
ひとけのない場所へのお誘いだったから、てっきり一希さんと何かあったのかと思っていた。
「でも、ね。なんか、最近さ、」
まゆゆが10円パンを半分に割り、中のチーズをたるませながらため息を吐く。
「しっくりこないっていうか。一希と一緒に居ても、我輩はどこか空虚を感じるがごとくね」
「まゆゆは現代になじめない地底人かなにかなの?」
「地底人。そう、地底人と一緒に過ごしている感じなんだよね~」
「それってつまり、マンネリ化現象?」
「もう付き合って3年目だもんなー。マンネリっていうのかなこれ。」
なかなか10円パンを食べようとしないまゆゆを見て、私は「そろそろ話の総まとめに入ってくれ」と咳払いで匂わせた。
「いやあ。つまり、さ。あれだよあれ。」
「あれ?」
「池駒の件があって以来なんだよ。」
え?!もしや??まゆゆが?あの池駒を好きになったと?そういう話?!
「池駒とのセックスがすっごいよくて」
「ぶふッ」
「なんていうか、それはもうぐずぐずに甘々でね?一希はけっこう自分本位なとこあるけど、池駒はすっごい優しくてさ」
「その考え自体がまゆゆ本位なんだわ」
「地底人はやっぱセックスに愛が足りないんだわ」
ここでどなたかにコメンテーター並みの発言を求めたかった。毒舌を吐くでもよし、同調するのもよし。
なんだか女が男を選ぶ時の究極の答えを聞いてしまったようで、私にはぐうの音もでない。
ああ、でも池駒の言わんとすることが分かった気がする。
池駒って、多分まゆゆのことが好きなんだ。
そんな池駒から、大事件を知らせる内線があったのは、次の日の朝だった。
『物流部の池駒ですけど。』
「あ、実来です。おはよう。」
いつものようにルーティーンを終え、朝礼の真っ最中の出来事だった。
うつつを抜かしていたツケが回ってきたのか、この実来春風、中堅にして初めてとんでもないミスをやらかすこととなる。
『ちょっと確認なんだけど、』
「なに?」
『昨日搬入された柚子皮?確か味八フーズさんからの配送便では冷凍で来てたと思うんだけど。』
「え、うん。冷凍…」
『だよなあ。コンテナがさ、常温なんだわ。これって大丈夫なの?』
「え」
『俺昨日担当じゃなかったからすぐには気づけなかったんだけど。システムの登録では冷凍コンテナになってないから。常温用になっててさ。』
あっあれ、わたし、コンテナの種類って……
『冷凍商品、溶かしちゃったらまずくないか?』