Un BUTTER

水絵は特にスマホに目を向けることもなく、はあ、と大きく息を吐いた。椅子に浅く腰かけ、背中全体を背もたれにつけ机から遠ざかる。


「あー……。はいはい。私の負けね。」

「そうそう。俺の勝ち。」

「そこまで調べた執念深さはちと君らしいわ。」

「執念深さはあんたのためじゃないよ?」

「知ってますけど?」
 

俺は水絵に、水絵のスマホを要求した。ロックを外して大人しく差し出してきたから、フォトフォルダに入っていた泣き喚く春風の画像を消去しておいた。


「ま、育て親なだけあって、相当RainLADYに愛情を持ってるんだね?あんたが人の情を持ってて安心したわ。」

「………」

「なんでもいーけど、他人の色恋邪魔してるといつか本当に大事なもん失くすことになるんじゃないの。」

「説教じみた男ちょー嫌い。」

「俺もあんたみたいな、自分の不幸を他人の不幸で解消するやつ、死ぬほど嫌い。」

「私の気持ちなんてあんたなんかに一生わかんないし!!」

「ならわかるやつにでも慰めてもらえば?」


俺は水絵のスマホのフォトフォルダに入っていた、磯良亜泉と水絵が仲良さげに寄り添っている画像を見せて言ってやった。


「っ、亜泉は関係ないでしょ?!」

「あれ、俺の勘違いだった?さっきこいつの公式ブログ見せた時のあんた、恋する女の顔になってたんですけど?笑」


俺から乱暴に自身のスマホを取り上げると、水絵はカフェを出て行った。

恋する女の顔がどんなのかは知らんけど。


これが水絵との縁をすぱーんと切った、俺のやり方。

悪いけど、これ以上春風との仲を邪魔するようなら何するかわかんないよ俺?








私が絶対に六神には見せられないと思ってた泣き顔。

ねえ、なんであんたが持ってるの?

あの時泣いてたの知ってたんなら、なんで慰めに来てくれなかったの?

ヒーローを待ちわびて悲劇のヒロインになってた私を、後ろから抱きしめてくれてたら。

あんたから一瞬足りとも離れることはなかったのに。



大学3年生の頃だった。

早いところだとインターンが始まって、授業数も2年生に比べて割と少なくなってきたせいか、大学に来る友達も減ってきていた。

2年生の後期から3年生の前期までの単位取得で、佐渡先生の国際私法という授業を履修していた。

40才という若さで教授になれてしまった佐渡先生は、年齢よりも若々しく生徒にもフレンドリーな対応で、生徒には比較的いい印象を与えていたと思う。

当の私は、最初は恋心を抱いていたというよりも、死んでしまった父の面影を追っていたといった方が正しい。

2年生の頃から友達と佐渡先生の研究室まで質問しに行ったり、直接レポートの提出をしに行くうちに、ついでにお茶やお菓子をごちそうになるほどの仲になっていた。

でもそんなある日、私が一人で授業の質門をしに行った時のことだった。


『君の論文は確固たる概念を根底から覆している。我々年寄への冒涜としか思えない!』

『いえ、決して私はそのようなつもりで書いたわけでは』

『次の学会でこんなものを提出しようもんなら君をこの大学から追い出すぞ!』


そんな罵声が研究室の中から聞こえてきた。

佐渡先生よりもずっと年上の先生が、佐渡先生の研究室から憤慨した様子で出てきた。

その先生は私がいることにも気づかず、廊下を速足で歩いて行くからよほど怒っていたのだと思う。

そっとドアから佐渡先生を覗いてみれば、机に手をつきため息をついていて。

すでに開いているドアをとりあえずノックする。



「先生、あの。ちょっと質問したいことがあったんですけど。また今度来ますね。」

「あ、君か。いや恥ずかしいところを見られてしまったね。大丈夫だよ。なんだった?」


私に大学教授のことはよく分からないけれど、教授同士の派閥やいざこざがあるというのは分かった。
  

佐渡教授は若くして教授という地位に就いてしまったというだけで、周りの教授から反感を買うことが多かったようだ。


「研究費や科研費だって結局は奪い合いみたいな世界だからね。やっかみを買うのは覚悟の上だったんだけど。」

「……厳しい世界なんですね。」

「そうだね。でも実来さんの顔見たら嫌なことも忘れられるよ。」


細みのフレーム眼鏡を、佐渡先生が広いデスクの上に置く。


疲れを含む目元を指でマッサージをする先生は、その日もきっちりネクタイを上まで締めていた。

 
「先生、私でよければ肩、マッサージしましょうか?」

「はは、こんな若い子にしてもらえるなんて。役得だなあ。」


先生が座る後ろに周り、ごつごつした肩に手を置く。骨ばった身体つきで、ちゃんとご飯を食べているのか心配になった。


「プロテインバーだけじゃなんの栄養もないじゃないですか。」

「たんぱく質と炭水化物はそれなりに配合されてるよ?」

「それならたんぱく質含んだおかずとご飯食べ下さいよ〜」
 

何気ない会話で、一つも色っぽい雰囲気になる要素なんてなかったはずなのに。


「女の子の手って、こんなに柔らかかったっけ。」  


独身の先生は、女の人に触れられたのが久々だとでもいうように。肩をもむ私の手をつかんだ。


「……せ、先生?」

「ごめん。いやなら、逃げてくれて構わないからら、」

「え、」

「でも実来さん、君が可愛いからこうなるんだよ。」

 
先生に手をつかまれたまま、軽々と抱っこするように持ち上げられて。気付けばデスクの上に寝かされていた。 
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