Un BUTTER

農政局を辞める時は、案の定引き止められた。

わざわざ大学から佐渡が来た時は、只事じゃないのだと実感した。

 
「頼むよ六神くん!どうか農政局に残ってほしい!」


農政局の応接室で、低い机を前に頭を下げる佐渡。まだ卒業して一年半しか経っていないのに、少し老けたように見えた。


「先生には悪いんですけど、俺もうすでに央海倉庫の内定貰ってまして。」

「困るよ、そういうのはせめて相談してからにしてほしかったよ。」


俺にとっては全く困らないというのに、平気で自己中発言をされてあの時の憎悪が次第に思い出される。


「困ると言われても。俺は元々この職種に興味があったわけでもないですし、」

「だが最終的に入社すると決めたのは君じゃないか。」

「はい、だから今回の辞職も自分で決めたんです。」

「たかが一年半で辞めるなんて!社会人として失格じゃないか!」


普段は温厚な佐渡が急に声を荒げる。相当まずい状況なのだろう。


「学長にも、ここの局長にも、なんとしてでも引き止めてこいと言われてるんだよ。」

「………」

「それなら取引ならいいか?君は何が欲しい?」

「は?」

「僕のポケットマネーから出してあげるから。頼むよ。もし今君が農政局を辞めれば、僕の立場どころか居場所まで失くなる可能性だってあるんだ。」

「居場所って。まさか、うちの大学のことですか?」


佐渡が「決まっているだろう」と額に手をつき、酸欠状態を緩和させるような息を吐く。


「その大事な居場所で、女子生徒に手を出していたのはどこのどいつですか。」

「え?なに?」

「なにじゃねーよ。」


俺の憤りを察してもらうため、口調を変えてはみたものの、佐渡は唖然とした表情で俺を見ている。


「白昼堂々と女子生徒を研究室に呼んで行為に及んでた変態はどこのどいつだよって言ってんだよ。」


具体的な言葉に、さすがの佐渡も唇を震わせ始めた。


「な、なにを言っているんだ……きみは……」 

「なんなら今ここであんたにポイ捨てされた女子生徒の名前を並べてやってもいいんですけどね?」

「いや、僕が?はは、まさか、そんなことは……」

「理事会に投書が行かないよう上手く金で釣ったのかもしれませんが、俺が一言訴えれば次々と女子生徒が名乗り出る可能性だってありますけどどうします?」 

「っはは。だってあれは、そもそも合意の上だし……」

「結婚してるのに合意の上って。奥さんも合意されたんですか?」

「な、なぜ僕が結婚してることを知って……」

「局長が佐渡くんの奥さん若いから羨ましいって言ってましたよ。って、結婚してること隠してたんですか先生?」


手足の震えも伴い、何も言えず、ただ頭を抱えるだけの佐渡。

俺はもう話すことはないと、応接室を出て行った。

それから俺は、無事央海倉庫に転職することができ、農政局での繋がりも影響したのか、春風のいる横浜支部に配属された。

しかも同じ一課の所属で馬鹿みたいに運命を感じ、いずれ告白することを誓った。



研修が一通り終わり、国際営業部一課初出勤の日。挨拶が終わり、先輩から簡単なルーティンを教わって、先輩がトイレに立った時だった。


「その涙ぶくろひとつください。」


春風に話かけられて、よく自分の平常心が保てていられたなと思う。


「涙ぶくろひとつって。片方一重、片方二重よりもいやなんだけど。」

「じゃあふたつください。」

「安くはできないよおねーさん。」

「セットでお得な涙ぶくろよりも、リッチで高性能な涙ぶくろが欲しーのあたし。」

「残念。俺のは低燃費高性能だからコスパがいいんだわ。」

「残念。」

「その代わりといっちゃなんだけど、俺という友達はなかなかにリッチで高性能だけど。」

「あら素敵。買いだわ。ところでコスパいい友達ってなんだろうね?」

「さあ?」


ずっと会いたいと思っていた春風と難なく話すことができて、その安定した関係がまた居心地よくて。しばらくは友達としての関係を堪能しようかと思った。


ただそれをいつ壊されるのかと気が気でないのも確かで。その時はまだ三課に朋政課長がいて、ことあるごとに春風に絡んでいた。

春風も当たりの強い課長に物怖じすることもなく。俺の知らない二人の距離感は、俺の知らないところでどんどん縮まっていた。


「六神君、どう?一課の仕事は慣れた?」


昼を食べ終わって、フロアの休憩スペースでコーヒーを飲んでいる時だった。


「営業はなかなか厳しいですね。」

「営業は押して引いての加減が大事だしね。見極めが難しいよね。」


綺麗な見た目とは裏腹に、厳しい鬼と噂されている朋政課長。でもその時は俺が新人だったからか、鬼とは思えなかった。


「朋政さんも前は一課にいたんですよね?」 

「ああ、うん。実来と福間の教育担当でね。たまたま教えられる事務員がいなくてさ。」

「へえ。営業も好成績で事務も教えられるなんて。凄いですね。」

「でしょ?僕って凄いんだわ。」

「………。」


笑うところだったのかもしれないが、面白くないから無反応で返した。


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