ビタースイート・ドロップ~次期社長の甘い嘘~
 声をあげる。
 耐えるための声ではなく、拒否するための声を。

「楽しいですか。そうやって、私をもてあそんで」

 太腿に触れる指を払いのける。
 顔が見えないから言いきれた。正面からあの目で射抜かれながら同じことをされていたら、きっと私は自分からこの人に身を寄せていた。
 それだけは避けなければと思っていたことを、その一線を守りきれて良かったはずなのに、息苦しさは終わらない。

 頬を伝う水滴の感触に、自分が涙を零しているのだと思い至る。
 仕事中に泣いたのは、多分、今日が始めてだ。

「……那須野?」

 目を見開いたきり、今度は沓澤課長が硬直してしまっている。
 それ以上、顔は見ていられなかった。

「すみません、なんでもないです。帰りますね」

 震える手を無理に動かしたから、掴み取るような仕種になった。
 バッグを持ち直し、相手の顔を見てはならないと強く意識して、私は小走りにフロアを飛び出した。
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