ビタースイート・ドロップ~次期社長の甘い嘘~
 口調は優しい。呼び方も、普段と同じ〝那須野さん〟に戻っている。
 けれど、言っていることが相当にえげつない。今度は悔しさのせいで言葉に詰まってしまう。

「任せとけ。悪いようにはしないから」

 いつの間にか、彼は私のすぐ後ろまで足を進めていたらしい。
 背を向けたきりの私の耳元で、沓澤代理はそう囁き、私になにかを握らせた。かさりと乾いた音が鼓膜を掠め、私はそれが小さく畳まれた紙切れだと気づく。

 手元へ視線を落としたと同時に、沓澤代理は私を追い越し、その場を去ってしまった。
 ひらひらと手を振って去っていく上司の背中を呆然と見送る。後には静寂が残った。終業時間後の無人の給湯室。他人に呼び出されて、それなのに私だけが最後に残って、ものすごく馬鹿らしく思えてくる。

 手元のメモに改めて視線を向けると、そこには沓澤代理のフルネームと十一桁の電話番号、それから英数字の羅列――メールアドレスが記載されていた。業務中に見慣れている彼の字だ。
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