ビタースイート・ドロップ~次期社長の甘い嘘~
 沓澤代理は、私の腕を掴んだきり放さない。
 歩く速度が速い。私も歩幅を広げ、急ぎ足で応じる。

 社長室は四階、営業課を含めた営業部は三階にある。社員のみでの使用が制限されているエレベーターへ乗り込んだ沓澤代理は、なぜか二階のボタンを押した。
 二階には備品倉庫と小会議室がふた部屋、それから総務部がある。怪訝に思っているうちにエレベーターは二階へ到着し、あれよあれよという間に、私は備品倉庫のドアの奥側へ押し込まれてしまった。

 無人の備品倉庫は、初夏だというのにひんやりとしていた。
 背筋が震える。震えた理由はもちろん、体感的な涼しさによるものだけではなかった。

「あの、ここ、なにか用ですか?」
「あんた嫌がらせ受けてんの?」

 質問に質問を返され、ようやく合点がいった。
 不躾に社長室を飛び出し、(ひと)()のないこの場所へ彼が立ち寄った、その理由は。

「いえ、今のところは大丈夫です」
「だったらさっきの『今朝の』って話はなんだ」
「……本当になんでもないんです。ただ、たまに面識がない他部署の人から変な視線を向けられることがあるくらいで。今朝のもそれです」
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