辺境に嫁いだ皇女は、海で真の愛を知る
そしてまた夜。
扉の外には、交代の近衛が二人。
中に入ってくることはないが、
「自由な夜」は存在しない。

ソニアが茶を淹れ、心配そうに言う。
「……今日も、お疲れ様てございました」

(デクラン……)
ファティマはそっと胸に手を置く。
夜になるといつも彼のことを思い出していた。
侯国の屋敷に戻れば
文机の引き出しに彼の手紙がある。
些細な日常のこと、
心配してくれる言葉、
優しい冗談。

彼からの手紙を読むのが
ささやかな楽しみだった。
けれど帝国に戻ってから、
1通も読んでいない。

(……私の返事が届かなくて、心配してくれているかしら)

本当は書いている。
何通も。
だけどすべて検閲に回され、
焼かれてしまうに違いない。
そう思うと出せなかった。

胸に湧き上がるのは、
恐怖でも怒りでもなく――
ただただ、会いたいという切ない願い。

こぼれそうになる涙を、
ファティマは必死に堪える。

「ごめんなさいね、ソニア。少し、今日は疲れたみたい」

「……殿下は、十分頑張っておられます。どうか、ご自分を責めないで」

侍女だけが、
いまの彼女の心の支えだった。

けれど眠りにつこうとしても、
まぶたの裏に浮かぶのは――
アズールティアの海。
温かな王宮。
優しい笑顔。

(また……帰りたいな)

自分でも気づかぬうちに、
脂のような熱い涙がひと粒、頬を伝う。

暗い天井を見つめながら、
彼女はそっと呟いた。
「デクラン……」

その名を呼ぶ声だけが、
彼女の自由だった。
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